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作品名 書誌情報 解説
吾輩わがはいねこである 【初出】明治38(1905)年1月から39(1906)年8月、「ホトトギス」
【初版】上篇が明治38年10月、中篇が39年11月、下篇が40年5月、いずれも大倉書店と服部書店の合同出版
中学の英語教師珍野苦沙弥先生宅で飼われている名前のない猫「吾輩」の視点を借りて珍野一家やそれを取り囲む人間社会を風刺的に描いた。登場人物の多くは実際に漱石の周囲にいた人々がモデルになっていると考えられている。
っちゃん 【初出】明治39(1906)年4月、「ホトトギス」
【初版】『鶉籠』1907年1月、春陽堂
物理学校(現在の東京理科大学)を出たばかりの数学教師が四国の中学校に赴任し、その無鉄砲で喧嘩早い性格故に悪戯学生やずる賢い教師たちとぶつかりながら、自分の道を進んでいく様をユーモラスに描いた。漱石の松山での教師経験をもとに書かれている。
虞美人草ぐびじんそう 【初出】明治40(1907)年6月から10月にかけて東京、大阪の「朝日新聞」
【初版】明治41年1月、春陽堂
漱石が朝日新聞入社後、初めて書いた小説。恩師の娘小夜子と裕福で美人だが虚栄心の強い藤尾の間で迷う小野を中心に、藤尾の血の繋がらない兄甲野や藤尾の許嫁だった宗近ら友人たちをめぐる人間模様を美文を駆使して表現した。
三四郎さんしろう 【初出】明治41(1908)年9月から12月にかけて東京、大阪の「朝日新聞」
【初版】明治42年5月、春陽堂
熊本の第五高等学校を出て東京帝国大学に入るために上京してきた青年小川三四郎が、謎多き女性里見美禰子や第一高等学校の教師広田らとの交流を通じて、人として成長していく様を描いた。同時に地方出身の純朴な若者の視点から日露戦争後の浮かれた世相を冷静に見つめる作品でもある。
それから 【初出】明治42(1909)年6月から10月まで東京、大阪の「朝日新聞」
【初版】明治43年1月、春陽堂
裕福な父と兄から経済的援助を受けて高等遊民の生活を送る長井代助のもとに、かつて友人平岡に譲った三千代がやってくる。代助は三千代への愛の自覚と平岡や見合い結婚を薦める父への義理との間で悩んだ末に三千代を選び、厳しい社会に歩み出ていくことを決心する。
もん 【初出】明治43(1910)年3月から6月まで東京、大阪の「朝日新聞」
【初版】明治44年1月、春陽堂
旧友の安井を裏切って御米と駆落ちし、崖の下の家にひっそりと暮らす野中宗助は崖の上に住む道楽者の坂井と親しくなる。その坂井のもとに坂井の弟と知り合った安井が訪れるという話が持ち上がり、不安に怯える宗助は禅寺の門を叩く。「三四郎」「それから」と併せて前期三部作とされる。
彼岸過迄ひがんすぎまで 【初出】明治45(1912)年1月から4月まで東京、大阪の「朝日新聞」
【初版】大正1年9月、春陽堂
漱石によると、いくつかの短篇を連ねて書いた作品で、須永市蔵が従妹である田口千代子との結婚に対して葛藤する話を中心に、須永と千代子の叔父松本の幼い娘が亡くなった話や、それらの聞き手となる田川敬太郎の話などが組み合わさり、複雑な人間模様が描かれている。松本のエピソードは漱石の亡くなった娘ひな子がモデルになっている。
こゝろ 【初出】大正3(1914)年4月から8月まで東京、大阪の「朝日新聞」
【初版】大正3年9月、岩波書店、漱石自身による装丁
かつて親友Kを裏切って妻を手に入れた「先生」がその親友の自殺に罪を感じ、鎌倉の海で出会った青年「私」にエゴに従って生きたことを告白する遺書を残して死んでいくまでを書いた話で、前作「彼岸過迄」と同じように「先生と私」、「両親と私」、「先生の遺書」の三つの部分から成り立っている。
道草みちくさ 【初出】大正4(1915)年6月から9月まで東京、大阪の「朝日新聞」
【初版】大正4年10月、岩波書店
漱石の唯一の自伝的小説とされており、イギリス留学から帰国し、東京帝国大学(現在の東京大学)で講師を始めた頃から、「吾輩は猫である」の執筆を始めるくらいまでの出来事を1年の話に脚色し、養父であった塩原昌之助との金銭問題や妻との不仲な関係を健三という主人公に託して書いた。
明暗めいあん 【初出】大正5(1916)年5月から12月まで東京、大阪の「朝日新聞」、漱石が亡くなったため、118回で未完のまま終了した。
【初版】大正6年1月、岩波書店
津田由雄は妻お延と表向き新婚夫婦らしく仲睦ましく暮らしているが、清子というかつての恋人に未だ思いを寄せており、吉川夫人に居場所を知らされて、会いに行ってしまう。津田の心を疑うお延や、浪費家のお延を嫌う津田の妹お秀など様々な人物の思惑が折り重なるようにして一つの人間劇を形成している。
硝子戸がらすどうち 【初出】大正4(1915)年1月から2月まで東京、大阪の「朝日新聞」
【初版】大正4年3月、岩波書店、漱石自身による装丁
自らの身辺についてあまり多くを語ってこなかった漱石が、病気療養で自宅にこもりがちだったのを機に早稲田南町の自宅書斎やその周辺を主な舞台として、訪れる人々との交渉やかつての思い出などについてスケッチした作品。
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