新宿区立新宿歴史博物館では、
学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
―夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』明治38年
「夏目漱石」と聞いて、誰もが思い浮かべるのはこの一文ではないでしょうか。
「吾輩は猫である」が雑誌『ホトトギス』に掲載され、
夏目漱石の名を一躍有名にしたのは、多くの人がご存知の通りです。
では、漱石が実際に猫を飼っていたことはご存知でしょうか。
今回は、漱石と飼い猫についてご紹介します。
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岡本一平「夏目漱石先生」
肉筆漫画『開国六十年史図絵』、昭和2(1927)年
夏目家初代の猫は、明治37(1904)年の6〜7月頃に千駄木の家に迷い込んだ子猫でした。
鏡子夫人は猫嫌いで、何度も追い払っていましたが、
漱石が「そんなに入って来るんなら、おいてやったらいいじゃないか」と言ったことで、
猫は一家に加わることになります。
鏡子夫人は相変わらず猫を嫌っていましたが、
家に来る按摩さんが「福猫だ」と言ったことで、扱いをあらためます。
実際、病を患っていた漱石も機嫌が良くなり、
翌年に猫目線で執筆した小説『吾輩は猫である』が大ヒットしました。
その後、ここ早稲田に引っ越す際も連れてきています。
明治41(1908)年9月13日に初代の猫は死に、書斎裏の桜の樹の下に埋められました。
漱石は、その翌日に松根豊次郎(東洋城)ら門下生数名に「猫の死亡通知」を送りました。
漱石の死後、猫の13回忌には供養塔も建てられました。
供養塔はその後の空襲で壊れてしまいましたが、
その残欠を利用して再興されたものが「猫の墓(猫塚)」として漱石公園で見られます。
猫は夏目家にとって大事な存在になっていたことがうかがえます。
ちなみに、この猫にも名前はなかったそうです。
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夏目金之助 松根豊次郎宛て葉書
(猫の死亡通知)
明治41(1908)年9月14日
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猫の墓(猫塚)
漱石山房記念館にもいたるところに猫のパネルがあります。
私が数えたところ大きいものが4匹、小さいシルエットが11匹いました。
漱石山房記念館に向かう漱石山房通りの案内板にも猫のモチーフが使われています。
ぜひ記念館にお越しの際は猫の案内を辿ってみてください。
※参考文献
・夏目鏡子 述・松岡譲 筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)
・半藤末利子『夏目家の福猫』(新潮文庫、2008年)
(博物館実習生:内田)