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吾輩ブログ 一覧

  • 博物館実習生によるレポート5 漱石公園をご紹介します

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和2年度は5人の実習生が参加して、10日間の博物館実習が行われました。
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いましたので、
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    本日は漱石公園をご紹介します。
    漱石公園は漱石山房記念館に隣接されており、
    記念館を出て左にあるスロープを下ると、
    夏目漱石の胸像がある入口が見えてきます。

    夏目漱石胸像

    中に入ると、都心の市街地にも関わらず自然を感じることができます。
    漱石公園の中央には『吾輩は猫である』のモデルとなった「福猫」や文鳥など、
    夏目家で飼われていた生き物たちを供養するために建てられた「猫の墓(猫塚)」があります。

    猫の墓

    漱石公園には桜やアジサイなど、鮮やかに咲く花があり、
    花が咲く季節にはとても見応えがあります。
    しかし、バショウやサルスベリ、ハゲイトウといった
    夏目漱石の作品内に出てくる様々な植物も見ものです。
    植物のネームプレートには、
    夏目漱石がどの作品でその植物を登場させたかを見られるものもあり、
    漱石のことを知ることができます。

    漱石公園

    植物は漱石公園内の他にも、漱石山房記念館の入り口脇にも植えられており、
    そこにもザクロや柿などの漱石の作品に登場した植物が植えられています。
    ぜひご利用ください。
    (博物館実習生:保屋野)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生によるレポート4 図書室について

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和2年度は5人の実習生が参加して、10日間の博物館実習が行われました。
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いましたので、
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    本日は漱石山房記念館の地下1階にある、図書室についてご紹介します。
    漱石作品はもちろん関連図書も豊富で、なんと約3500冊もの図書があります。
    閲覧のみで貸出はしていませんが、コピーを取ることができます。

    図書室入口

    図書室内の様子です。棚の上から下まで本がずらりと並んでいます。
    室内は明るく、開放的な造りなのも魅力です。
    閲覧スペースがあるので、落ち着いて本を読むこともできます。
    手の届かない上段の本は、職員に声をかけてお取りくださいね。

    図書室内風景

    こちらは漱石作品の初版本、ではなくその復刻版です。
    『名著復刻 漱石文学館』というシリーズで刊行されました。
    つい手に取りたくなるような綺麗な装丁に、
    実際に触れることが出来るのは復刻版ならではです。
    ぜひ手に取って読んでみてください。
    本物の初版本の一部は2階の常設展示に展示しています。

    名著復刻漱石文学館

    図書室の外には「新宿区立図書館蔵書検索システムOPAC」と
    「漱石山房記念館情報検索システム」があります。
    「OPAC」では館内図書室の蔵書検索ができます。

    OPAC

    「漱石山房記念館情報検索システム」は新宿区の所蔵資料だけでなく、
    全国の漱石関連資料を調べることもできます。
    他にも「漱石事典」では漱石に関する豆知識や、
    作品の解説なども見ることができます。
    こちらでしか利用できないシステムなので、
    訪れた時にはぜひ利用してみてください。

    漱石山房記念館情報検索システム
    (博物館実習生:和田)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生によるレポート3 「あの言葉を持ち帰りたい」

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和2年度は5人の実習生が参加して、10日間の博物館実習が行われました。
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いましたので、
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    漱石山房記念館の二階では、漱石が残した言葉をパネルで展示しています。
    漱石の言葉展示
    展示をご覧になったお客様から
    「あの言葉を持ち帰りたい」というご意見に応えて作られたのが、
    現在ミュージアムショップに並べられている、活版印刷メモ帳「夢十夜」です。

    活版印刷メモ帳

    メモ帳を作るにあたってどの言葉を載せたらいいか、
    職員皆で話し合いや投票を行い、選ばれたのが「夢十夜」のこの一文でした。

    夢十夜パネル

    「百年待っていてください」という素敵な言葉を持ち帰っていただくだけでなく、
    その展示の一部を持ち帰っていただきたい、という職員の思いも込められています。

    記念館のオリジナルグッズには色々なこだわりが詰まっています。
    例えばショップに並べているミニトート、実は最初、製作会社から何版か提案がありました。

    ミニトート試作品

    しかし『吾輩ハ猫デアル』の初版本の色味にこだわりたいという思いから、
    今のミニトートが生まれました。

    ミニトート完成品

    何気なく並べられているグッズたちは、こうした思いが詰まった品々なのです。
    皆さまもご来館の際には、漱石山房記念館の展示品を「お持ち帰り」になってはいかがでしょう。
    (博物館実習生:李)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生によるレポート2 「記憶の再現」へのこだわり

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和2年度は5人の実習生が参加して、10日間の博物館実習が行われています。
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いましたので、
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    はじめまして、博物館実習に参加させて頂きました、熊倉です。
    この記念館の目玉といったらやはり、漱石山房書斎の再現展示でしょう。
    写真と見比べてみても、本当にそっくりで、漱石の息遣いが聞こえてくるようです。

    実はこの再現には、想像を超えるこだわりが隠されていました。
    今回はそんな「記憶の再現」にまつわるこだわりポイントを2つ、ご紹介させて頂きます。

    1.八畳・十畳問題
    漱石山房は、漱石自身の記述や絵画、
    門下生の松岡譲や芥川龍之介らの記述に基づき再現されています。
    しかし、彼らの記述には食い違う部分があり、
    書斎・客間の広さも8畳と10畳の二説があり、はっきりしませんでした。
    そこで使われたのが、客間にあった安井曾太郎の洋画「麓の町」です。
    この絵画の寸法と、昭和3(1928)年に撮影されたこちらの客間の写真に写る同じ絵画とを比べ、
    書斎・客間とも10畳であることをつきとめました。

    昭和3年の漱石山房

    漱石が最晩年を過ごした書斎・客間は、このように再現されたのです。

    2.壁紙の紋様
    室内の壁紙についても、漱石自身は壁紙は白であると述べており、はっきりしませんでした。
    そこで、この壁紙を作成したと思われる職人・栗山弘三郎の証言から
    「銀杏鶴」紋の壁紙として再現されました。

    作品を通してしか出会えなかった漱石の姿を、眼前に見せてくれるこの再現展示。
    みなさまも漱石山房記念館で、漱石と同じ景色を見てみてはいかがでしょうか?

    「記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです。」
    ―「こころ」大正3年

    早稲田南町の書斎に於ける漱石

    漱石山房記念館再現展示室

    (博物館実習生:熊倉)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生によるレポート1 松岡譲と火焔型土器、オリンピック

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和2年度は5人の実習生が参加して、10日間の博物館実習が行われています。
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いましたので、
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    今回は、現在行なわれているテーマ展示
    「越後の哲学者 松岡譲 ―人と作品―」についてご紹介します。
    「夏目漱石の門下生」「漱石に越後の哲学者と評された」など
    夏目漱石との関わりの中で語られることが多い松岡ですが、
    今回は松岡と彼の故郷長岡で出土した火焔型土器、
    そしてオリンピックとの意外なつながりについて紹介します。

    松岡譲の生涯
    松岡譲は明治24(1891)年に新潟県古志郡石坂村(現・長岡市)で生まれました。
    生家である寺を継ぐことを期待されながらも文学の道に進み、
    約50年にわたり作家として活動しました。
    重厚な長編小説や夏目漱石についての随筆など、500点近い著作を遺しています。

    松岡と火焔型土器、オリンピック
    晩年の松岡は、縄文時代の火焔型土器に強い関心を持っていました。
    長岡で発掘され、長岡科学博物館に展示されていた火焔型土器を鑑賞し、
    すっかり魅了された松岡は、友人らにチラシを配り、その魅力を伝えました。

    火焔土器

    さらに、自らテニス愛好者向けの雑誌を創刊するほどスポーツを愛好していた松岡は、
    東京オリンピックの聖火台のデザインを火焔型土器にする案を提言したそうです。
    他にも、当時の東京都知事に火焔型土器の模型を送り、
    大会事務総長に1時間にも及ぶプレゼンテーションを行うなど、精力的な活動を行なっていました。

    松岡の提案が1964年の東京オリンピックに取り入れられることはありませんでしたが、
    その思いは現代にも受け継がれています。
    松岡の出身地である長岡市が加盟する信濃川火焔街道連携協議会は
    今回開催予定の東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に
    火焔型土器のデザインが採用されることを目指して活動をしています。

    越後の哲学者松岡譲展示風景

    参考文献:関口安義『評伝 松岡譲』小沢書店 1991年

    (博物館実習生:加納)

    テーマ:その他    
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