只今、漱石山房記念館では《通常展》「夏目漱石と漱石山房 其の一」を開催中です。
本展示では、「松岡・半藤家資料」をはじめとする寄贈資料や
「夏目漱石記念施設整備基金」への寄付金によって購入した収蔵資料を中心に、
漱石ゆかりの書簡や画を公開しています。
漱石の肖像が描かれた「日本銀行千円券 No.2」もそのひとつです。
日本銀行券が今年(令和6年)7月に一新することをご存じの方も多いのではないでしょうか。
本ブログでは、紙幣の話題にあやかり、漱石の千円札にまつわる裏話をご紹介します。
ご参考までに、紙幣のシリアルナンバー(記番号)について取り上げた過去のブログも
是非ご一読いただければ幸いです。
漱石の千円札の肖像は、大正元(1912)年9月に写真師・小川一真によって
撮影された写真が元となっています。
身に着けている黒ネクタイと左腕の喪章は、撮影の約2ヶ月前に崩御した
明治天皇に対する服喪の意思を示したものです。
漱石が着ている背広は、その後、漱石の門下生である内田百閒が譲り受け、
陸軍士官学校や海軍機関学校の教官時代に盛んに着用しました。
百閒の随筆「漱石遺毛」には、段々とふくよかになる百閒の体型に耐え切れず、
縫い目がほつれて着られなくなった背広のエピソードとともに、
着古したことを後悔する彼の想いが綴られています。
背広の現物を拝むことは叶いませんが、
百閒の逸話とともに、千円札の肖像として後世に遺ることとなったのです。
昭和21(1946)年に大蔵省(現財務省)と日本銀行が選出した紙幣肖像の
新たな候補者20名の中には、福沢諭吉とともに漱石の名前も含まれていましたが、
この時は残念ながら両者とも採用に至らなかったという経緯があります。
しかし、高度経済成長以降に起こる国民の芸術・文化志向の高まりと、
当時の世界的な紙幣肖像への文化人起用の流れから、
昭和59(1984)年に晴れて漱石の千円札が発行されることとなりました。
凹版彫刻に適した彫りの深さや国内外での高い知名度が銀行券の人物肖像に
採択される要件ということもあり、漱石は最適な人物だったのでしょう。
財布の中にあった何気ない漱石の千円札も、
肖像起用の背景に想いを馳せながら
ご鑑賞いただくと、
展示資料としての様相が垣間見えるのではないでしょうか。
《通常展》「夏目漱石と漱石山房 其の一」は、
令和6(2024)年4月21日(日)まで開催しています。
2月18日(日)、3月17日(日)、4月13日(土)は午後2時からギャラリートークも開催します。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。