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  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート7 展示室照明の明るさの秘密

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    突然ですが皆さん、博物館や美術館の展示室が少し薄暗いと感じたことはないでしょうか?
    漱石山房記念館でも受付や入り口はとても明るいのに対して展示室の照明は薄暗く、
    そして少し肌寒く感じることもあると思います。
    しかし、展示室の照明が薄暗いのにはちゃんとした理由があります。
    博物館の資料は多くが昔に作られたものばかりです。
    漱石山房記念館に展示してある資料も当時のものであれば紙とはいえ100年以上前のものになり、
    さらに資料の多くには万年筆を使って書かれたインクが付着しています。
    紙やインクは光と熱に弱いため強い照明を使用することができないのです。

    夏目金之助 夏目鏡子宛書簡(部分)
    明治35(1902)年3月10日付

    漱石山房記念館の鈴木館長によると、
    漱石山房記念館の2階資料展示室の照度は120ルクスまでに統一しているそうです。
    そうすることでインクが日焼けして薄くなることを防ぎ、
    資料の損傷を抑え、良い状態で保存することができるといいます。
    また、博物館の照度はJIS照明基準総則によって定められた照度で展示することが決められており、
    おおよそ20ルクスから1000ルクスの照度の間で資料に合わせて照らしています。
    一方で私たちが普段生活するリビングや食卓の照度は50ルクスから1000ルクス、
    図書室の照度もJIS照明基準総則により最低でも500ルクスから800ルクスとされており、
    漱石山房記念館の2階資料展示室の照明は、図書室と比べてもおよそ4分の1ほどの照度しかありません。

    漱石山房記念館2階資料展示室

    漱石山房記念館図書室

    そのため、展示室の照明が少し薄暗く感じてしまいます。
    しかし、展示室の照明は資料保存のために貴重なものや価値のあるものほど照度を低くしている
    ということを知った上で展示を見てみると、資料の持つ価値や重要性が分かると思います。

    ※ルクス(lx)照明器具によって照らされた場所の明るさの値
    ※参考資料
    ・JIS照明基準総則 Z9110-2010.
    ・Panasonic.“美術館・博物館の照明”.照明設計サポートサイト.
    (https://www2.panasonic.biz/ls/lighting/plam/knowledge/document/0209.html)

    (博物館実習生:大塩)

    テーマ:その他    2021年09月17日
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート6 漱石の庭〜小説の中の植物たち〜

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    漱石山房記念館1階導入展示の「漱石と植物」の展示パネルによると、
    漱石山房には、サクラ・ヒノキ・アオギリといった大木から、
    季節の山野草、敷地境の生垣や裏庭の花壇に至るまで多種多様な植物が見られたそうです。
    漱石やその家族、門下生が残した記録などを元に数えてみると、なんと20種類以上にもなるとか!
    特にバショウやトクサは漱石のお気に入りで、ここ漱石山房記念館を象徴する植物でもあります。

    漱石山房記念館のバショウとトクサ

    漱石は植物を愛でるだけではなく、度々自分の作品にも登場させました。
    『行人』には
    「二三週間はそれなりに過ぎた。そのうち秋が段々深くなった。
    葉鶏頭の濃い色が庭を覗くたびに自分の眼に映った」
    (夏目漱石『行人』新潮文庫、平成23年改版)
    という一節があります。
    葉鶏頭の実物を見たことがない方は見逃してしまうかもしれませんが、
    目にも鮮やかな赤色が印象的で、雨の日でも存在感のある植物です。
    元来神経質な性分であった兄に、主人公が追い詰められていく日々の中で、
    この葉鶏頭の鮮やかな色彩はどのような意味を持って彼の視界に映っていたのか……?
    と考えてみるのも良いかもしれません。
    漱石の小説の中に登場している植物の特徴や特性に注目しながら、
    作品を鑑賞してみるのも新しい楽しみ方になるのではないでしょうか。

    漱石公園の葉鶏頭

    (博物館実習生:伊藤)

    テーマ:その他    2021年09月14日
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート5 漱石と猫

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
    ―夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』明治38年

    「夏目漱石」と聞いて、誰もが思い浮かべるのはこの一文ではないでしょうか。
    「吾輩は猫である」が雑誌『ホトトギス』に掲載され、
    夏目漱石の名を一躍有名にしたのは、多くの人がご存知の通りです。

    では、漱石が実際に猫を飼っていたことはご存知でしょうか。
    今回は、漱石と飼い猫についてご紹介します。

    岡本一平「夏目漱石先生」
    肉筆漫画『開国六十年史図絵』、昭和2(1927)年

    夏目家初代の猫は、明治37(1904)年の6〜7月頃に千駄木の家に迷い込んだ子猫でした。
    鏡子夫人は猫嫌いで、何度も追い払っていましたが、
    漱石が「そんなに入って来るんなら、おいてやったらいいじゃないか」と言ったことで、
    猫は一家に加わることになります。

    鏡子夫人は相変わらず猫を嫌っていましたが、
    家に来る按摩さんが「福猫だ」と言ったことで、扱いをあらためます。
    実際、病を患っていた漱石も機嫌が良くなり、
    翌年に猫目線で執筆した小説『吾輩は猫である』が大ヒットしました。
    その後、ここ早稲田に引っ越す際も連れてきています。

    明治41(1908)年9月13日に初代の猫は死に、書斎裏の桜の樹の下に埋められました。
    漱石は、その翌日に松根豊次郎(東洋城)ら門下生数名に「猫の死亡通知」を送りました。
    漱石の死後、猫の13回忌には供養塔も建てられました。
    供養塔はその後の空襲で壊れてしまいましたが、
    その残欠を利用して再興されたものが「猫の墓(猫塚)」として漱石公園で見られます。
    猫は夏目家にとって大事な存在になっていたことがうかがえます。
    ちなみに、この猫にも名前はなかったそうです。

    夏目金之助 松根豊次郎宛て葉書
    (猫の死亡通知)
    明治41(1908)年9月14日

    猫の墓(猫塚)

    漱石山房記念館にもいたるところに猫のパネルがあります。
    私が数えたところ大きいものが4匹、小さいシルエットが11匹いました。
    漱石山房記念館に向かう漱石山房通りの案内板にも猫のモチーフが使われています。
    ぜひ記念館にお越しの際は猫の案内を辿ってみてください。

    ※参考文献
    ・夏目鏡子 述・松岡譲 筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)
    ・半藤末利子『夏目家の福猫』(新潮文庫、2008年)

    (博物館実習生:内田)

    テーマ:その他    2021年09月10日
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート4 漱石山房記念館情報検索システムについて

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    今回は漱石山房記念館の地下1階にある漱石山房記念館情報検索システムについてご紹介します。

    漱石山房記念館情報検索システムは漱石関連資料を広く公開するという目的の為に設置されました。
    このシステムには新宿区が所蔵している資料を検索出来る「新宿区所蔵資料」、
    全国にある夏目漱石関係の資料を検索出来る「全国漱石関係資料」、
    漱石本人や漱石山房・作品解説など漱石に関する情報を検索出来る「漱石事典」の3つのページがあります。

    ・「新宿区所蔵資料」
    「新宿区所蔵資料」では現在展示室で展示されている資料だけでなく
    新宿区が所蔵している様々な漱石関係資料を写真と解説付きで見ることが出来ます。

    資料によっては翻刻もされています。
    拡大するとそれぞれの文字の読み方もわかるようになっているのでご活用ください。

    ・「全国漱石関係資料」
    「全国漱石関係資料」では新宿区所蔵の資料以外の
    全国の博物館・図書館に所蔵されている漱石関係資料を検索することが出来ます。
    新宿区が所蔵していない資料の検索だけでなく、
    漱石関係の資料を所蔵している施設についての情報も調べる事が出来ます。

    ・「漱石事典」
    「漱石事典」では漱石本人や関係人物だけでなく、
    漱石山房の建物についてや作品解説など、漱石に関する様々な情報を検索する事が出来ます。
    漱石についてもっと深く知りたいという人はぜひご活用ください。

    この漱石山房記念館情報検索システムは漱石山房記念館でしか利用出来ないシステムなので
    訪れた際にはぜひご利用ください。

    (博物館実習生:井上)

    テーマ:その他    2021年09月07日
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート3 漱石の言葉を持ち帰ろう!

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    記念館奥の階段を登り、2階展示室にいたる廊下の壁に、夏目漱石の言葉がたくさん並んでいるのをご存知ですか?

    これらは漱石の作品や、親しい友人・門下生たちに宛てた書簡の中から一文を抜粋してパネルにしたもので、
    誰もが知っている有名なものから、ハッとさせられるような鋭い一節まで様々です。
    ひとつひとつから漱石の思いや人生観がうかがえ、“言葉の力”を存分に感じることができるスペースとなっています。

    「漱石文学の言葉を大事にしたい」という思いから、
    漱石山房記念館のミュージアムグッズには、漱石の言葉に焦点を当てたものがいくつか存在します。
    その中から今日は2点ご紹介いたします。

    ひとつ目は、漱石のことば鉛筆。
    五角形の鉛筆の側面に、漱石の作品「吾輩は猫である」から「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」、
    「草枕」から「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」
    と、誰もが知っている一文が刻印されています。
    おこづかいでも購入できる価格なので、
    小中学生にも使いながら漱石作品に親しんでほしいという思いがあるそうです。

    ふたつ目は、活版印刷メモ帳「夢十夜」。
    こちらも漱石の作品「夢十夜」の第一夜の一節が抜粋され、表紙・メモ用紙部分に施されています。
    新宿区の地場産業のひとつに印刷製本業があり、優れた印刷技術を活かしたグッズを作りたいと、
    区内の佐々木活字店さんにご協力いただき完成しました。
    文学作品をいかした個性的なミュージアムグッズとして注目され、
    このメモを目当てに来館する方もいるそうです。

    今回ご紹介したグッズは、いずれも2階のパネルから選ばれた言葉が引用されています。
    ご来館の際には、ぜひ展示されたパネルで漱石の言葉をゆっくりと味わい、
    気に入ったものがあればミュージアムグッズでお持ち帰りください。

    (博物館実習生:星野)

    テーマ:その他    2021年09月03日
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート2 漱石をもっと知りたくなる、漱石公園と図書室へ

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    漱石公園と、漱石山房記念館地下1階の図書室についてご紹介します。
    漱石公園は、漱石山房記念館を包むように広がっています。
    記念館前にある漱石の胸像のすぐそばが公園の入り口です。
    公園の開園時間は、記念館より2時間早い朝8時です。
    朝、少し早くに公園を訪れ、記念館の開館を待ちながら散策してみるのもおすすめです。

    公園の植物の中には、漱石の作品や漱石に関連する著作に出てくるものも。
    「葉鶏頭(はげいとう)」や「梅擬(うめもどき)」などいくつかには、
    解説板に作品の一節が記されています。

    公園中央あたりにあるのは、「猫の墓(猫塚)」です。
    夏目家で飼われていた動物を供養するためにつくられましたが、
    空襲で損壊し、その残欠を利用して再興されたものです。

    また、入口から正面に見える「道草庵」の中には、
    「漱石山房に集った人々」、「牛込に住んだ文学者たち」などの解説パネルも置かれています。

    こうしたものを見ながら散策していると、
    もっと漱石の作品を読みたい、漱石のことを知りたいと思えてくるのではないでしょうか。
    開館時間になったら、地下1階の図書室へ。
    図書室には、漱石の作品や、研究書などの関連図書が約3500冊あります。

    公園で見た植物が出てくる本や、漱石山房を訪れた人々の著作も置かれています。
    そのほかにも、漱石作品の中でもホラーを感じるものを中心に組まれたアンソロジーや、
    絵本などもあり、様々な切り口で漱石を味わうことができます。
    また、漱石に縁のある人々、同じ時代を生きた人々の著作など、
    漱石を通して新しい図書に出会える場所でもあります。
    (博物館実習生:小松)

    テーマ:その他    2021年08月31日
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート1 夢見る若者 集いの場所

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    近代日本文学の作家として活躍を収めた夏目漱石。
    「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」など名だたる作品を残しました。
    そんな彼には多くの門下生がおり、愛されていました。

    皆さんは「木曜会」をご存知でしょうか。
    漱石を中心に、多くの門下生たちが集まって行われた議論の場です。
    作家として名高い漱石ですが、東京帝国大学(現在の東京大学)で教鞭を執っており、
    優れた教育者でもありました。
    その為、作家として憧れを抱く若者たちだけではなく、
    教師としての教え子達も多く集いました。
    漱石に会いにくる門下生や来客は次第に多くなり、
    週に一度、木曜日の午後を面会日と定めたことから、「木曜会」と呼ばれました。
    漱石の晩年は鈴木三重吉、松根東洋城に代わって
    「蜘蛛の糸」でも有名な芥川龍之介、久米正雄たち新世代が木曜会に出入りするようになりました。

    「古参のメンバーと違って、彼らは遠慮せずに漱石と議論し、漱石もまたそれを喜ぶようだった。
    彼らに言わせたいだけ言わせた上で、最終的には漱石が勝つのである。」
    (十川信介著『夏目漱石』岩波新書、2016年)
    と、なんとも漱石先生の偉大さがうかがえる様な師弟関係を思わされるエピソードも残されています。

    芥川龍之介写真

    芥川龍之介
    (国立国会図書館ウェブサイトより)

    漱石山房記念館には、漱石の書斎と客間が再現展示されています。
    展示室からは、この書斎で創作活動をする漱石を前に、多くの門下生たちが客間に集う当時の様子も想像できます。

    漱石山房記念館再現展示室

    (博物館実習生:佐藤)

    テーマ:その他    2021年08月27日
  • 漱石山房記念館の芭蕉(バショウ)

    漱石山房記念館の植栽についてご案内してみたいと思います。

    「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、
    赤い実の結った梅もどきの枝だの、
    無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、
    その他にこれといって数え立てるほどのものは殆んど視線に入って来ない。」

    (岩波文庫『硝子戸の中』1933年初版、1990年改版)

    漱石の随筆『硝子戸の中』の冒頭です。
    書斎から外を見渡し、
    目に入るものとして最初に挙げられているのが、
    植物の「芭蕉(バショウ)」です。
    漱石山房記念館の再現展示室からも、
    実際に硝子戸越しにバショウを見ることができます。

    バショウは、色々と興味深い謂れのある植物です。
    高さ3~5メートルにまで成長しますが、
    木ではなく大型の草であること。
    俳人、松尾芭蕉の名前の由来となっていること。
    原産地は中国とされながら、英名は「Japanese banana」であること。
    その英名は、シーボルトが命名者の一人であり、
    日本で発見しヨーロッパに伝えたためにそうなったことなどです。

    人の背丈を超える高さや、
    数十センチにも及ぶ葉の大きさが南国ムードを漂わせ、
    来館された方に「バナナが植えられているのですか」と尋ねられることもあります。
    そう思われるのも当然で、
    バナナとバショウは、同じバショウ科の植物です。
    写真の、小さなラグビーボールのような楕円は苞葉(ほうよう)という、
    葉の塊で、その葉の間に花の集まりがあります。
    そして苞葉の根元の辺りには、バナナと同じような形の、
    小さな緑色の実がたくさん付いているのが分かります。

    このように開花します。
    バショウの花言葉は「燃える思い」です。
    確かに、バショウはその言葉のように強い生命力を持ち、
    地下茎を通じて次々に芽を出します。
    そのため、もちろん大切に育てていますが、
    植栽管理の観点から、
    他の植物を守るために広がり過ぎないようにも留意しています。
    大正時代の漱石山房の写真には、
    立派に育った数本のバショウが写っています。
    漱石も、バショウを絶やさないよう、
    また増やしすぎないように気を遣っていたのでしょうか。
    そんな想像をしながら、植栽の管理に向き合っています。
    漱石山房記念館の周囲には、バショウだけでなく、
    他にも様々な漱石ゆかりの植物が植わっています。
    お越しになった際は、それらの植物も是非ご覧になってください。

    テーマ:その他    2021年07月12日
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その3

    政府による緊急事態宣言を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

    受付スタッフ河本のおすすめは、「漱石山房メモ帳」です。
    平成29年に漱石山房記念館が開館したときから販売しているグッズですので、
    オープニングから受付スタッフとして勤務している私にとって、
    一番馴染みが深いグッズです。
    私の父は元新聞記者だったので、文字を書くことが好きで、
    帰省するたびにこのメモ帳をプレゼントしていました。
    高齢の父にとってはマス目が少し小さすぎたようでしたが、
    マス目を気にせず自由に使っていました。
    一筆箋としても使える格調高いデザインが気に入っていたようです。
    現在、紙に文字を書く機会は少なくなっているかもしれませんが、
    若い方達にもこのメモ帳を手に取っていただき、
    久しぶりに手書きに親しんでいただけたら嬉しく思います。

    受付スタッフ佐藤のおすすめは
    「漱石のことば鉛筆」と、
    「夏目漱石「道草」草稿 絵はがき」、
    「夏目漱石「ケーベル先生の告別」原稿 絵はがき」の3点です。
    「漱石のことば鉛筆」に刻まれた「草枕」の一節
    「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
    意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
    はとても有名ですが、
    漱石の作品だと知らない方もいらっしゃるようで、
    来館者の方から
    「これって漱石のことばだったのね」
    とお声がけいただいたこともあります。
    レトロな木の温もりの良さを、
    漱石のことばとともに味わっていただければと思います。

    「夏目漱石「道草」草稿 絵はがき」と
    「夏目漱石「ケーベル先生の告別」原稿 絵はがき」はどちらも、
    漱石の手書き文字を手元で楽しめるグッズです。
    額に入れて飾れば、お部屋でミュージアム気分を味わえます。

    受付スタッフ栄森のおすすめは、
    「ミニトート『吾輩は猫である』」です。
    可愛らしい猫のデザインにひかれて、発売してすぐに購入しました。
    ナチュラルとネイビーの2種類あるのでとても迷いましたが、
    私は仕事用のサブバッグとして使いたかったので、
    汚れにくいネイビーを選びました。
    シンプルなデザインですので、
    『吾輩は猫である』のデザインに合わせて、
    漱石の缶バッジを付けてアレンジを楽しんでいます。
    実際に使ってみると布の手触りも良く、
    使い勝手の良い大きさだったのでお気に入りになりました。
    まだ新型コロナウイルス感染症が流行する以前、
    文学好きの集いにプライベートで参加したときに、
    さりげなく持って行ったら他の参加者の方々から、
    「素敵ね!」「どこで売っているの?」
    と声をかけてもらいました。
    また、友人たちへプレゼントしたところ、
    バッグインバッグとしても使えるサイズと好評でした。
    小ぶりですので近所をお散歩用の気軽なバッグとしても使いやすいと思います。

    今回ご紹介したミュージアムグッズの詳細は、
    こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間に、また外出ができるようになった時のお供としても、ぜひお楽しみください。

    テーマ:その他    2021年05月29日
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その2

    政府による緊急事態宣言を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

     

    受付スタッフ山上のおすすめは、『漱石山房記念館ガイドブック』です。
    私は平成29年に漱石山房記念館が開館したときからのオープニングスタッフですが、
    まだまだ漱石については初心者です。
    受付スタッフは来館者の方から日々、とても多くのご質問をいただきますが、
    誤った情報をお伝えしてはならないので、このガイドブックを活用しています。
    このガイドブックは年表とともに漱石の生涯を映し出す人間関係や作品、資料、漱石山房の変遷など、
    基礎知識がわかりやすくコンパクトにまとまっていて、頼りになる1冊です。
    私のような初心者にはもちろん、すでに漱石に詳しい方でも、
    漱石の人生の軌跡がわかりやすくまとめられていますので、
    活用していただけるのではないかと思います。

    このガイドブックの記事で私が特に気に入っているのは、
    59~60ページの「漱石史跡めぐり」です。
    小学1年生から中学1年生まで神楽坂で育った私にとって、
    新宿と漱石のつながりは何よりも興味深いのですが、
    このページでは漱石の歩く姿が目に浮かぶような、
    楽しい史跡めぐりが紹介されています。
    幼いころからよく知っている場所でも、
    漱石とのゆかりがあることを知ってから再訪すると、一味違うものです。
    休日にはこのページに紹介されている場所を訪れて、
    漱石が見たであろう景色を、同じように感じる楽しみを味わっています。

     

    受付スタッフ秋間のおすすめも『漱石山房記念館ガイドブック』です。
    私も開館からのオープニングスタッフですが、
    開館当初はミュージアムグッズの品数も少なく、
    来館者の方から図録の販売を待ち望む声を多くいただきました。
    このガイドブックが発行されたとき、
    皆さまにとても喜んでいただけたことをよく覚えています。
    私もすぐにこのガイドブックを読み込んで、
    漱石について勉強しました。
    現在は来館者の方からいただいた質問から調べた内容を、
    付箋を使ってガイドブックに書き込んで活用しています。
    このガイドブックは本文を1回読めば、
    漱石について基本的な情報がわかる内容になっていますが、
    細かい記事まで読み込んでいくと、面白さが増してきます。

    『漱石山房記念館ガイドブック』と併せておすすめしたいのが『コミック新宿史』です。
    ミュージアムの刊行物は堅苦しいイメージがあるかと思いますが、
    この本はマンガで親しみやすい1冊です。
    架空の登場人物と実在の人物が交流しながら物語がすすんでいきますので、
    楽しく読むうちに新宿の文化的なこと全般がよくわかるようになっています。
    縄文時代から現代までの新宿の歴史・文化の流れを知ることができますので、
    『漱石山房記念館ガイドブック』と併せて読むことで、
    漱石が生きた明治・大正時代を取り囲む時代背景についても、
    俯瞰することができるのではないでしょうか。

    『漱石山房記念館ガイドブック』や『コミック新宿史』の詳細は、
    こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間に、また外出ができるようになった時のお供としても、ぜひお楽しみください。

    テーマ:その他    2021年05月26日
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その1

    政府による緊急事態宣言の延長を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

    事務スタッフ長谷川のおすすめは、
    漱石山房記念館特別展図録『漱石山房の津田青楓』
    と、漱石山房記念館オリジナル絵はがきです。

    漱石山房の津田青楓展図録

    私は染色や手芸が好きなので、
    令和3年1月26日(火)~3月21日(日)に開催の
    特別展「漱石山房の津田青楓」で展示されていた
    津田青楓≪フランス刺繍花と鳥≫(大正2(1913)年、笛吹市教育委員会所蔵)
    を見てとても感動し、展示図録を購入しました。
    図録の魅力は展示ケースの中に入っていた時には見られなかった部分が掲載されていることです。
    例えば、展示ケースでは一場面だけの展示だった、
    津田青楓『九竹草堂絵日記』
    (大正6(1917)年(大正7年の作を含む)、笛吹市教育委員会所蔵)
    は、合計9場面分の絵が図録に掲載されていて、
    とてもユーモラスな日記だったことがわかります。
    また、キャプションをじっくり落ち着いて読むことができるのも、図録の醍醐味の一つです。
    図録の53ページでは、
    津田青楓≪漱石と十弟子≫(昭和51(1976)年、紙本着色)
    に描かれている人物の一人ずつに吹き出しでキャプションがつけられていて、
    どの門下生がどんな人物だったかがわかりやすく、
    思わずこの≪漱石と十弟子≫がデザインされている絵はがきも買ってしまいました。

    リメイクしたメモ帳

    絵はがきはミュージアムグッズの定番ですが、
    私はミニノートにリメイクして楽しんでいます。
    絵はがきとして使用してしまうと1度きりの楽しみで終わってしまいますし、
    ファイルに整理していたこともありましたが、たまに眺めるだけになってしまい、
    身近に置いて使えるものにリメイクしたらいつも楽しめるのでは?と思いつきました。

    ミニノートの作り方はとても簡単ですので、
    みなさんもおうち時間にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

    <ミニノートの作り方>
    材料:絵はがき1枚、裏表紙用の厚紙(絵はがきと同じサイズ)1枚、
    メモ用紙の紙(A5サイズくらい)5~6枚、両面テープ

    道具:カッターナイフ、カッターマット、定規、ホチキス、鉛筆、クリップ(2個)、発泡スチロール

    1.絵はがきの端から1センチの部分に鉛筆でしるしをつける。

    2.しるしに合わせて定規をあて、カッターナイフの裏側で軽く折り目をつける。
    ※刃を当てて切り離してしまわないよう、ご注意ください。

    3.折り目に合わせて定規をあて、しっかり折る。

    4. メモ用紙の上下をクリップで止める。

    5.メモ用紙の中央に絵はがきの折り目を開いて当てたら、下に発泡スチロールを敷いて、
    本を綴じるように折り目の上下2か所にホチキスの針を打ち込む。

    6.裏返してホチキスの針を閉じる。

    7.絵はがきの折り目に合わせてメモ用紙も半分に折る。

    8.絵はがきの折り目1センチ部分の内側に両面テープを貼る。
    このとき、はみ出した両面テープはカッターナイフで切り落とすと綺麗に仕上がります。

    9.裏表紙を両面テープにあわせて貼り付ける。

    10.不要な部分をカッターナイフで切り落とす。

    写真は絵はがきのデザインに揃えて切り落としていますが、
    絵はがきそのままの大きさに揃えて切り落とす方が楽に仕上がります。
    怪我をしないようにご注意ください。

    11.完成!

    漱石山房記念館の図録や絵はがきは、こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間をミュージアムグッズと一緒にお楽しみください。

    テーマ:その他    2021年05月18日
  • ボランティアレポート7 「硝子戸の中」について(後編)

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    夏目漱石「硝子戸の中」は漱石が晩年に住んだ早稲田の漱石山房の書斎で書いたものです。
    この小品に出て来るお寺、神社、建物、地名等は今でも残っています。
    前編の記事はこちらをクリック

    当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人家のない茶畠とか、
    竹藪とかまたは長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。
    買物らしい買物は大抵神楽坂まで出る例になっていたので、
    そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、
    それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、
    あの五、六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終薄暗かった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」二十より)

    牛込馬場下横町(現、新宿区喜久井町)辺りに住む人達の買い物は神楽坂へ行くのですが、
    矢来の坂を上り小浜藩酒井若狭守の屋敷の横を通って寺町を抜けるのです。
    幕府から拝領した屋敷は竹矢来で囲われたことから、現在の矢来町の名の由来となっています。

    今私の住んでいる近所に喜久井町という町がある。
    (中略)この町は江戸といった昔には、多分存在していなかったものらしい。
    江戸が東京に改まった時か、それともずっと後になってからか、
    年代はたしかに分らないが、何でも私の父が拵えたものに相違ないのである。
    私の家の定紋が井桁に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、
    父自身の口から聴いたのか、または他のものから教わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。
    (中略)私が早稲田に帰って来たのは、東京を出てから何年ぶりになるだろう。
    (中略)私は昔の早稲田田圃が見たかった。しかし其所はもう町になっていた。
    私は根来の茶畠と竹藪を一目眺めたかった。しかしその痕跡はどこにも発見することが出来なかった。
    多分この辺だろうと推測した私の見当は、当たっているのか、外れているのか、それさえ不明であった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」二十三より)

    漱石が十数年振りに生家のあった喜久井町を訪れると町は大きく変わっていて、
    根来(現・新宿区弁天町)の方まで拡がっていました。
    根来は江戸時代に幕府の鉄砲隊「根来組」の屋敷があった所です。
    喜久井町は夏目家の定紋が「井桁に菊」(正式には「平井筒に菊」)なのでそれにちなんで町名とし、
    更に近くの坂にも夏目の名をつけました。
    両方ともこの地域の区長を勤めていた、夏目漱石の父・夏目直克が付けたのです。
    夏目漱石誕生の地

    まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。
    猫がどこかで痛く嚙まれた米嚙を日に曝して、あたたかそうに眠っている。
    先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供たちは、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。
    家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、
    静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。
    そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。
    (夏目漱石「硝子戸の中」三十九より)

    冬の始めに書き始めた随筆も、春先の長閑な庭先を眺めながら終わります。
    早稲田南町の家の跡地には現在、新宿区立漱石山房記念館(新宿区早稲田南町7番地)が建っています。

    漱石山房記念館

    参考文献:『夏目漱石全集 9』1971年 筑摩書房
    ※引用文の表記は岩波文庫『硝子戸の中』(1933年初版、1990年改版)に従いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:立脇清)

     

    テーマ:その他    2021年03月27日
  • ボランティアレポート6 「硝子戸の中」について(前編)

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、
    赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、
    その他にこれといって数え立てるほどのものは殆んど視線に入って来ない。」

    と冬の庭の景色から始まる小品「硝子戸の中」は
    漱石が晩年に住んだ早稲田の漱石山房の書斎で書いたものです。
    この小品に出て来るお寺、神社、建物、地名等は今でも残っています。

    ヘクトーは元気なさそうに尻尾を垂れて、私の方へ脊中を向けていた。
    (中略)彼がいなくなって約一週間も経ったと思う頃、一、二丁隔ったある人の家から下女が使に来た。
    その人の庭にある池の中に犬の死骸が浮いているから引き上げて頸輪を改ためて見ると、
    私の家の名前が彫り付けてあったので、知らせに来たというのである。
    (中略)私は下女をわざわざ寄こしてくれた宅がどこにあるか知らなかった。
    ただ私の子供の時分から覚えている古い寺の傍だろうとばかり考えていた。
    それは山鹿素行の墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のように、古い榎が一本立っているのが、
    私の書斎の北の縁から数多の屋根を越して能く見えた。
    (夏目漱石「硝子戸の中」五より)

    早稲田南町の家で飼っていた犬のヘクトーがいなくなって一週間程経つと、
    寺の傍に住む女性が池に犬が浮いていると知らせてくれたのです。
    この寺は新宿区弁天町にある曹洞宗宗参寺のことです。
    境内には国の指定史跡「山鹿素行墓」と東京都指定史跡「牛込氏墓」、
    そして乃木希典の遺愛の梅「春日野」があります。
    宗参寺「春日野」

    彼は昔し寺町の郵便局の傍に店を持って、今と同じように、散髪を渡世としていたことが解った。
    「高田の旦那などにも大分御世話になりました」その高田というのは私の従兄なのだから、私も驚いた。
    (中略)「あのそら求友亭の横町にいらしってね、……」と亭主はまた言葉を継ぎ足した。
    「うん、あの二階のある家だろう」
    「ええ御二階がありましたっけ。あすこへ御移りになった時なんか、
    方々様から御祝い物なんかあって、大変御盛でしたがね。
    それから後でしたっけか、行願寺の寺内へ御引越なすったのは」
    この質問は私にも答えられなかった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」十六より)

    漱石が未だ子供の頃、従兄が牛込肴町(現、新宿区神楽坂5丁目)にある
    行元寺(原文、行願寺)の傍に住んでいました。
    行元寺は鎌倉時代からある天台宗の寺で、牛込氏の信仰を受けていましたが、
    明治40年に区画整理のため品川区西五反田4丁目へ引っ越しました。
    神楽坂にあった行元寺の跡地は花街となり、
    さらに現在は「寺内公園」という小さな公園になっていて、詳しい説明板があります。
    寺内公園

    私の旧宅は今私の住んでいる所から、四、五町奥の馬場下という町にあった。
    (中略)それから坂を下り切った所に、間口の広い小倉屋という酒屋もあった。
    (中略)堀部安兵衛が高田馬場で敵を打つ時に、此処へ立ち寄って、
    枡酒を飲んで行ったという履歴のある家柄であった。
    (中略)半町ほど先に西閑寺という寺の門が小高く見えた。
    赤く塗られた門の後は、深い竹藪で一面に掩われているので、
    中にどんなものがあるか通りからは全く見えなかったが、
    その奥でする朝晩の御勤の鉦の音は、今でも私の耳に残っている。
    ことに霧の多い秋から木枯の吹く冬へ掛けて、カンカンと鳴る西閑寺の鉦の音は、
    何時でも私の心に悲しくて冷たい或物を叩き込むように小さい私の気分を寒くした。
    (夏目漱石「硝子戸の中」十九より)

    漱石の生れた家は晩年に過ごした早稲田南町から四五町(500m)さきの
    牛込馬場下横町(現、新宿区喜久井町)にありました。
    跡地には門下生の安倍能成の揮毫した碑が立っています。
    江戸時代この辺りは辺鄙な所で西側の下高田村に「墨引」があったのです。
    「墨引」とは江戸御府内のおおよその境界を示すもので、
    絵図に黒色の線がひかれていて、幕府が定めたものでした。
    それでも土蔵造りの家が三四軒あり、生家の近くに酒屋があって、
    堀部安兵衛は助太刀に行く途中にこの店で枡酒を飲んだのです。
    そこから少し西に行くと高田八幡神社(穴八幡宮:新宿区西早稲田2丁目)があります。
    漱石が癇癪を起すと妻の鏡子が虫封じの札を貰ってきた神社です。
    その横が八幡坂で以前やっちゃ場がありました。
    「やっちゃ場」は青物市場の通称で、言葉の由来は「野菜場」ではなく、競り人の掛け声からきたものです。
    近くにあるもう一つの坂、夏目坂を少し上ると誓閑寺(原文、西閑寺:新宿区喜久井町)があります。
    浄土宗のお寺で境内には新宿区指定有形文化財に指定されている区内最古の梵鐘がありますが、
    漱石が「硝子戸の中」で書いている「御勤の鉦」とはこの梵鐘のことではありません。
    後編へつづく

    参考文献:『夏目漱石全集 9』1971年 筑摩書房
    ※引用文の表記は岩波文庫『硝子戸の中』(1933年初版、1990年改版)に従いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:立脇清)

    テーマ:その他    2021年03月24日
  • ボランティアレポート5 木曜会の人びと

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    漱石山房記念館ボランティアガイドの解説場所の一つが、1階にある漱石の書斎の再現展示室です。
    「山房」とは書斎を意味し、当時のままに再現されたそこはまさに記念館の心臓とでもいうべき場所です。
    ここに着いたお客さまは必ず立ち止まり、説明キャプションを読み、音声案内に耳を傾けます。
    書斎の対面には津田青楓画「漱石山房と其弟子達」のパネルが飾ってあります。
    この部屋は、当時も漱石に会いにたくさんの人びとが訪れていた客間でした。

    漱石山房記念館再現展示室

    漱石のもとを訪れたのは熊本時代や東京帝大での教え子だけでなく、画家や実業家などさまざまでした。
    門下生の一人、小宮豊隆は著書『夏目漱石 中』(岩波書店、昭和13年初版)の「門下生」の中で、
    訪問者に対する漱石の態度を
    「地位だの名声だのではなく、純粋に「人」だけを愛し愛されることを欲した漱石は(中略)
    純粋に漱石の「人」だけを慕って来る客を喜び」
    と書いています。
    さらに小宮は同書で、漱石が明治37(1904)年7月20日に野間真綱に宛てた書簡から
    「脵野大観先生卒業。彼いふ。訪問は教師の家に限る。かうして寐転んで話しをしてゐても小言を言はれないと。
    僕の家にて寐転ぶもの、曰く脵野大観曰く野村伝四。半転びをやるもの、曰く寺田寅彦曰く小林郁。
    危坐するもの曰く野間真綱曰く野老山長角」
    という一節をひいて、
    「漱石は人を心置きなく寐ころばせるようなものを持っていたのである」
    と書いています。
    この手紙は漱石山房に転居する前のものですが、
    漱石のもとを訪れた人々はまったく津田青楓の画のようにリラックスしていたのではないでしょうか。
    私には漱石が「作家」としてというよりも「教師」として、
    いやもはや「家族」として人々を受け入れていたように思えてなりません。

    しかし、あまりの来客の多さに明治39(1906)年、
    鈴木三重吉の発案で木曜日午後3時以後を面会日と定め「木曜会」が発足します。
    ところが漱石人気は衰えず、木曜日にも人が来ればそれ以外にも来て、
    結局は同じだったと、笑い話のようなエピソードも残っています。
    この木曜会は明治40(1907)年に早稲田南町の漱石山房に転居した後も続きました。

    さて、皆さまは「木曜会の人びと」の作品をご存じでしょうか?
    新宿歴史博物館ボランティアガイドで結成された朗読の会「ふみのしおり」では、
    ただ今「木曜会の人びと」をテーマとした朗読会を企画中です。

    ふみのしおり

    高浜虚子「丸の内」、寺田寅彦「団栗」、鈴木三重吉「ぶしょうもの」、
    芥川龍之介「蜜柑」、久米正雄「虎」、菊池寛「勝負事」、松岡譲「モナ・リザ」など。
    「名前は知っているけれど作品の内容は忘れてしまった……」
    とおっしゃる方に朗読でご紹介したいと思っています。

    場所は漱石山房記念館の講座室。
    今からおよそ120年前、ここ漱石山房の客間で交わされていた
    「木曜会の人びと」の会話が聞こえてくるかもしれません。

    日時が決まりましたら漱石山房記念館のWebサイトや、
    ふみのしおりのWebサイト(https://fuminoshiori.jimdosite.com/)でお知らせする予定です。
    どうぞお楽しみに。

    ※朗読会「木曜会の人びと」の開催日時が決定しました。詳細はこちらをクリック(4月1日追記)

    (漱石山房記念館ボランティア:岩田理加子)

    ※新宿区立漱石山房記念館再現展示室
    書斎内の家具・調度品・文具は、資料を所蔵する県立神奈川近代文学館の協力により再現。
    書棚の洋書は東北大学附属図書館の協力により、同館が所蔵する「漱石文庫」の蔵書の背表紙を撮影し、製作された。

    テーマ:その他    2021年02月26日
  • ボランティアレポート4 漱石山房への小路

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    いつも見慣れた景色が、ある日ある時、見違えるほどきれいだった……とは、
    誰もが経験されることでしょう。

    私たち一家は2010年4月、ここ早稲田へ当時6歳の愛犬とともに越してきました。
    それから昨年5月までのほぼ毎日、
    宗参寺から漱石山房記念館を回る小路を愛犬と散歩しました。

    昨年の麗らかな春の午後でした。
    いつも見慣れた漱石山房記念館への坂道が、春の日差しに輝いていました。
    毎日散歩する路がまるで違っていたのです。
    思わずそこを進みました。

    漱石山房への小路

    漱石山房記念館は小さな丘の上にあります。
    行こうとすれば、どこからでも坂道を上ることになります。
    上ると通りから一歩、控えた場所にあり、謙虚な佇まいです。
    漱石が住んでいた当時の山房も、芥川龍之介の「漱石山房の秋」に
    「門をくぐると砂利が敷いてあつて(略)
    砂利と落葉とを踏んで玄関へ来ると(略)
    蔦の枯葉をがさつかせて、呼鈴(ベル)の鈕(ボタン)を探さねばならぬ」
    とあり、やはり奥まっていたということでしょう。
    夏目漱石もそんな控えめな人だったのでは、と思わせます。

    かつて、多くの人々が漱石を訪ねました。
    漱石のもとに行けば何かある……と、誰もが何かを求めて坂道を上ったことでしょう。
    その時の坂道は、私が見たように輝いていたのではないでしょうか。

    麗らかなその日、坂の上で私が見たのは、
    漱石山房記念館の隣、漱石公園にひっそりと咲く桜でした。
    誰に見られずとも、咲く時が来たので……という飾らぬ姿でした。
    しばし、その可憐で清らかな美しさを眺めていると、
    心の中に、ぽぅっと灯るものがありました。
    これを教えたくて、山房への小路が輝いていたのだ、と思ったのでした。
    ほのぼのとした気持ちで坂を下り、家へ帰りました。
    山房に漱石を訪ねた人々もきっと同じ。
    漱石という人に接し、心に何かが灯り、
    温かな気持ちを抱えて坂道を帰っていったことと思います。

    猫の街燈

    漱石山房記念館は静かに住宅街に溶け込んでいます。
    そこへの小路は人や車の往来も少なく、のんびりと散策すれば、
    あなたの心にも何か温かいものが灯るかも……。
    夕暮れには猫の街灯が優しく導いてくれますよ。

    ※漱石山房記念館のある漱石山房通りには、
    平成29年度から新宿区道路課によって猫のモチーフの街燈が設置されています。

    (漱石山房記念館ボランティア:井上公子)

    テーマ:その他    2020年12月01日
  • ボランティアレポート3 千駄木の家

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
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    本郷区駒込千駄木町57番地(現在の文京区向丘2丁目)。
    この地に明治23(1890)年~25(1892)年までは森鷗外、
    そして明治36(1903)年3月~39(1906)年12月までは夏目漱石が住んでいました。
    現在、この家は愛知県犬山市にある博物館明治村に移築されています。

    戦火を免れたこのあたり一帯は、古い木造の家が残りました。
    私が幼い頃、そんな中のひとつを指して「なつめそうせきの家」と教えられたその家は、
    ひと気もなくひっそりとしていて薄暗く、ただ苔むして緑色になった塀だけが印象に残り、
    幼い記憶ではありますが今も思い浮かべることができます。

    今は日本医科大学の橘桜会館、
    済生学舎ギャラリーの前に「夏目漱石旧居跡」の碑が残っています。
    橘桜会館の塀には猫のオブジェが乗り、
    中へ入れば猫の足跡に導かれるように木製の「夏目漱石旧居跡」が残されています。

    本郷通りと並行する漱石旧居跡前の道は「人力」こそ通りませんが、今も比較的静かです。
    「道草」の主人公・健三は物語の冒頭で、
    毎日定刻に家を出て千駄木から追分へ出る通りを本郷の方へ歩いています。
    健三が歩いた通りはこの漱石旧居前の道だと思いますが、
    漱石旧居跡を後にして右手に進むと、現在の日本医大前の四つ角に出ます。
    その右角にある和菓子店「一炉庵」は明治36(1903)年の創業です。
    朝、店の前へ差し掛かると小豆を炊く良い香りが漂ってきます。
    健三も、いや漱石もこの同じ香りを嗅いでいたのではないだろうか。
    想像すれば、昔も今も変わらぬ良い香りが共有できたようでなんとなくうれしくなります。

    一炉庵

    健三の通勤路と離れて根津裏門坂から根津神社へ。
    乙女稲荷の舞台から社殿を囲む朱と緑の透塀を眺めるといつも清々しい気持ちになります。
    長い鳥居を下りたところには「文豪の石」があり、
    漱石も、鷗外も……色々な人が腰かけたのかも知れません。
    参拝を済ませ、表参道口を右手にS字坂を上れば健三の通勤路に戻ります。
    左へ出て不忍通りを渡って坂を上ればそこは谷中です。
    文学散歩をお楽しみください。
    (漱石山房記念館ボランティア:櫻井眞里子)

    テーマ:その他    2020年11月25日
  • ボランティアレポート2 猫の墓

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    11年飼っていた猫が8月末に亡くなりました。
    突然、具合が悪くなったのではありません。
    1年前、猫は後足に血栓ができ危うく命を落とすところだったのです。
    その後何とか生き延びましたが、今年の暑い夏は越せませんでした。
    私は昨年の4月に、漱石山房のボランティアになりました。
    猫が1年前倒れたとき、漱石の猫の墓のことが頭に浮かびました。
    そして漱石が詠んだ俳句のことも。
    此の下に稲妻起こる宵あらん
    和田利男「漱石の鳥獣悼亡句」(『漱石の詩と俳句』めるくまーる社、1974年)によると、
    「明治41年9月、例の『吾輩は猫である』のモデルにされた猫が死んだ。
    この句はその猫の墓標に漱石が書いてやったものである。
    『永日小品』の中に「猫の墓」という一章があり、
    「早稲田へ移つてから、猫が段々瘠せて来た。」という書き出しで、
    しだいに弱って行って遂に死に至るまでの容態がくわしく描写されている(中略)
    「稲妻」はこの句の季語になっているが、
    実は夜空の電光そのものをいっているのではなく、
    ここでは猫の目の光の比喩として用いたものである」
    とあります。
    この句について和田氏はさらに
    「滅びゆく生命の火花を双の目にともした猫の最期の憐れさが、
    漱石の眸裡にいつまでも焼きついていたに違いない。」
    としています。
    また、大正3(1914)年に漱石は
    ちらちらと陽炎立たちぬ猫の塚
    と詠んでいます。
    「此の下に」の句から6年余の歳月が流れていますが、
    漱石が生死の境を彷徨した修善寺の大患もその間にありました。

    猫の墓

    私の話にもどります。
    猫が1年前、生死の境をさまよっている頃、
    私も漱石のように猫が亡くなったら俳句を作ってみようかと思いました。
    しかし頭に浮かびませんでした。
    ちょうど書道教室に通い始めた頃でしたので、
    かわりに猫を詠んだこの2句を書いてみることにしました。
    その後1年間、猫は家の近くの犬猫病院に通院し、
    この夏再び入院することになりました。
    するとすぐに病院から呼ばれ、駆けつけましたが間に合いませんでした。
    亡くなった亡骸を、タオルケットに包み、両手で抱いて病院を出ました。
    まだ温かく生きているようでした。
    しかし妙に重く感じました。
    そういえば今までこんなに長く抱いたことがなかったことに気づきました。
    猫は抱かれるのが好きではなかったのです。
    人間と同じように四十九日後、両親がねむる墓の中に入れました。
    子猫のときから世話をした妻には、
    漱石山房で買った猫のコーヒーカップを贈ることにしました。

    注1:現在、漱石山房記念館に隣接する漱石公園にある猫の墓(猫塚)は、
    『吾輩は猫である』のモデルとなった猫の十三回忌にあたる大正9(1920)年に、
    夏目家で飼われた生き物たちを供養するため、
    漱石の長女・筆子の夫・松岡譲が造らせたものが、
    昭和20(1945)年に空襲で損壊し、
    その残欠を利用して昭和28(1948)年に再興されたものです。

    (漱石山房記念館ボランティア:松本民司)

    テーマ:その他    2020年10月20日
  • ボランティアレポート1 「漱石山房記念館」開館の思い出

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    今から丁度3年前、平成29年9月24日(日)に、
    夏目漱石没後100年(平成28年)及び生誕150年(平成29年)を記念して、
    早稲田南町に「漱石山房記念館」がオープンしました。
    当日、私はボランティアガイドの為、
    近くのお店でコーヒーを飲みながら研修書を読み直し、
    地階から2階までの展示図をしっかりと頭に入れました。
    その日は朝から天気も良く、9時半頃出陣すると、
    玄関前には既に50人程の入場整理券を手にした人達が並んでいました。
    矢張り相当な人気がある模様です。

    現在のボランティアガイドは主に漱石の書斎の再現展示室を解説していますが、
    オープン直後は館内数箇所の解説をしており、私の担当は2階展示室で、
    明治大正に出版された漱石の作品『吾輩ハ猫デアル』、
    『虞美人草』、『三四郎』などの貴重な資料が並んでいました。
    さらに門下生との書簡や絵葉書、漱石の原稿や遺品、
    作品の解説、漱石の人脈図等々、
    まさに記念館の本丸のような展示品です。
    未だ入館者の居ない静かな展示室に立つと、
    何回も研修して来た事が懐かしく思い出されました。
    オープン初日は人が多く、ほとんど解説をする事もなく、
    来館者の誘導が主な仕事でしたが、
    10月~11月になると次第に来館者数も落ち着き、
    ゆっくりとガイドをする事が出来ました。

    その時の印象的なエピソードを一つ、思い出してみます。
    ある日、私が漱石の書斎の再現展示室でガイド待機中に、
    一人の男性が質問にいらっしゃいました。
    「漱石の書斎の右側にある調度品は何ですか?」
    この質問は初めてでした。

    ご質問をいただいた調度品

    私は漱石がロンドンから持ち帰った家具かと思っていましたが、男性は
    「私はインテリアを扱っている者ですが、ちょっと調べさせてください。」
    と希望されたので、事務室にご案内しました。
    職員がその男性のお話をお伺いしたところ、
    後日調査をしたいということになり、
    しかるべき手続きの後に、詳しく調査をされたそうです。
    その結果、辞書などの分厚い書物を読むための
    「書見台」ではないか?ということがわかりました。

    そのほかにも開館直後の時期はたくさんの質問を受け、
    色々な方とお話をすることができました。
    英国留学時代の漱石のブルー・プラーク
    (イギリスで著名人がかつて住んだことがある建物に設置されている銘板)
    をご覧になったという、ロンドンに住んだ事のある方。
    「夢十夜」を朗読するために勉強にいらっしゃったという方。
    漱石ゆかりの地を廻っているという方には、神楽坂の地図をお渡ししました。
    当然の如く博識の方が多く、この得難き貴重な体験を大事にしようと思いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:立脇清)

    テーマ:その他    2020年10月15日
  • 博物館実習生によるレポート5 漱石公園をご紹介します

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和2年度は5人の実習生が参加して、10日間の博物館実習が行われました。
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いましたので、
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    本日は漱石公園をご紹介します。
    漱石公園は漱石山房記念館に隣接されており、
    記念館を出て左にあるスロープを下ると、
    夏目漱石の胸像がある入口が見えてきます。

    夏目漱石胸像

    中に入ると、都心の市街地にも関わらず自然を感じることができます。
    漱石公園の中央には『吾輩は猫である』のモデルとなった「福猫」や文鳥など、
    夏目家で飼われていた生き物たちを供養するために建てられた「猫の墓(猫塚)」があります。

    猫の墓

    漱石公園には桜やアジサイなど、鮮やかに咲く花があり、
    花が咲く季節にはとても見応えがあります。
    しかし、バショウやサルスベリ、ハゲイトウといった
    夏目漱石の作品内に出てくる様々な植物も見ものです。
    植物のネームプレートには、
    夏目漱石がどの作品でその植物を登場させたかを見られるものもあり、
    漱石のことを知ることができます。

    漱石公園

    植物は漱石公園内の他にも、漱石山房記念館の入り口脇にも植えられており、
    そこにもザクロや柿などの漱石の作品に登場した植物が植えられています。
    ぜひご利用ください。
    (博物館実習生:保屋野)

    テーマ:その他    2020年08月23日
  • 博物館実習生によるレポート4 図書室について

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和2年度は5人の実習生が参加して、10日間の博物館実習が行われました。
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いましたので、
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    本日は漱石山房記念館の地下1階にある、図書室についてご紹介します。
    漱石作品はもちろん関連図書も豊富で、なんと約3500冊もの図書があります。
    閲覧のみで貸出はしていませんが、コピーを取ることができます。

    図書室入口

    図書室内の様子です。棚の上から下まで本がずらりと並んでいます。
    室内は明るく、開放的な造りなのも魅力です。
    閲覧スペースがあるので、落ち着いて本を読むこともできます。
    手の届かない上段の本は、職員に声をかけてお取りくださいね。

    図書室内風景

    こちらは漱石作品の初版本、ではなくその復刻版です。
    『名著復刻 漱石文学館』というシリーズで刊行されました。
    つい手に取りたくなるような綺麗な装丁に、
    実際に触れることが出来るのは復刻版ならではです。
    ぜひ手に取って読んでみてください。
    本物の初版本の一部は2階の常設展示に展示しています。

    名著復刻漱石文学館

    図書室の外には「新宿区立図書館蔵書検索システムOPAC」と
    「漱石山房記念館情報検索システム」があります。
    「OPAC」では館内図書室の蔵書検索ができます。

    OPAC

    「漱石山房記念館情報検索システム」は新宿区の所蔵資料だけでなく、
    全国の漱石関連資料を調べることもできます。
    他にも「漱石事典」では漱石に関する豆知識や、
    作品の解説なども見ることができます。
    こちらでしか利用できないシステムなので、
    訪れた時にはぜひ利用してみてください。

    漱石山房記念館情報検索システム
    (博物館実習生:和田)

    テーマ:その他    2020年08月21日
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