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吾輩ブログ記事
  • 越後の哲学者 松岡譲 その2

    「越後の哲学者 松岡譲」展のみどころをご紹介するブログの第2回目は、
    松岡の「青年時代から忍従の日々」について見ていきたいと思います。

    東京帝国大学の哲学科に籍を置いた松岡は、
    特に親しくしていた久米正雄と芥川龍之介の手引きにより、
    大正4(1915)年12月に東京早稲田南町の夏目漱石宅「漱石山房」を訪れます。
    その後松岡は、多忙な漱石のために木曜の午後と決めて門人たちが集った、
    漱石山房の「木曜会」に毎週欠かさず出席するようになります。
    鈴木三重吉や小宮豊隆らの世代からすると、
    それよりも少し若い芥川や松岡たちは、次の世代と言えましょうか。
    文学を志す新たな若い弟子たちに対して漱石は真摯に接しました。

    大正5(1916)年2月、松岡、久米、芥川、成瀬正一、菊池寛の5人は、
    漱石を第一の読者に想定した文芸雑誌、第四次『新思潮』を創刊します。
    松岡の本格的な文学活動は、この雑誌の創刊とともに始まりました。
    松岡は意欲的に文筆活動に励み、ほぼ毎月1作品を同誌に発表しました。
    なかでも10月に発表した「青白端渓」は、芥川の創作意欲を大いに刺激しました。

    芥川龍之介松岡宛書簡

    芥川は松岡の「青白端渓」を読んで松岡に宛てたはがきの中で
    「あれは大へんいい、ぐづぐづしてはゐられないと云ふ気が痛切にした
    殊に僕は今書けなくってまゐってゐる あしたから勉強だ」と書いています。
    本資料は「越後の哲学者 松岡譲」展に展示します。
    また、『漱石山房記念館だより第2号』(令和元年12月15日発行)の
    「漱石山房記念館所蔵資料の紹介No.2」に読み下し文を掲載し、
    詳しく紹介していますので、本ブログと合わせてぜひご覧ください。
    『漱石山房記念館だより第2号』のPDFデータはこちらからお読みいただけます。

    第四次『新思潮』は、大正5(1916)年12月9日の漱石の死により第一の読者を失い、
    大正6(1917)年3月に「漱石先生追悼号」を出したのちは続かず、終刊に至ります。
    漱石と第四次『新思潮』の同人たちとの交流は一年ほどでしたが、
    漱石の人格と深い学識はそれぞれに強い影響を与えました。

    第四次『新思潮』の終刊から3か月後の大正6(1917)年6月、
    出自に深く悩んでいた松岡は、
    僧侶を連想させる本名の善譲(ぜんじょう)を「譲」(ゆずる)一字に改名します。
    その翌月には大学を卒業して、いったん帰省しますが、
    入寺問題で父と対立してしまい、両親の制止を振り切り再び上京します。
    この上京は自活が条件でしたので、松岡は、漱石の妻・鏡子未亡人の勧めもあり、
    子どもたちの家庭教師として夏目家に身を寄せました。

    この後、数か月は創作意欲に満ち溢れ、
    芥川の斡旋で『文章世界』に力作の「兄を殺した弟」を送り、
    この作品が発禁の恐れから棚上げになると、
    代わりに短編の「法城を護る人々」(『文章世界』大正6年11月号掲載)を一気に書き上げています。
    新進作家として前途を期待されていた松岡ですが、
    漱石亡き後の夏目家と深いかかわりを持つなかで、思いがけず恋愛事件の当事者となってしまいます。

    このころ第四次『新思潮』の同人で、松岡の一校からの親友でもある久米正雄は、
    漱石の長女筆子に想いを寄せていました。
    しかしながら、筆子は松岡に惹かれていました。
    松岡は筆子の気持ちを受け入れ、大正7(1918)年4月に二人は結婚します。
    これにより久米の恋は失恋に終わるのですが、
    久米はこの顛末を「破船」を代表とする数々の失恋小説に書いて世間に公表し、
    同情を集め、人気作家となりました。
    松岡はこの状況に際し、創作の筆を折り、沈黙を守ったのです。
    松岡がこの事件をモデルにした小説「憂鬱な愛人」を発表し、
    自身の立場を明らかにするのは、約10年後の昭和2(1927)年のことです。

    筆子との結婚により、難しい立場に置かれた松岡は、しばらくは夏目家を支え、
    漱石山房の書斎で読書と思索に没頭する日々を送ります。
    そして、大正10(1921)年6月に「遺言状」(改作)を『新小説』に発表して、
    再び創作活動に復帰するのです。
    越後の哲学者 松岡譲 その3に続く)

    参考文献:
    関口安義『評伝 松岡譲』小沢書店 1991年
    関口安義「松岡 譲 再評価される人と文学」関口安義編『EDI叢書 松岡 譲 三篇』イー・ディー・アイ 2002年
    関口安義「松岡譲と芥川龍之介」『Penac』32号 2007年

    テーマ:その他    2020年05月01日
  • 越後の哲学者 松岡譲 その1

    新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、
    「越後の哲学者 松岡譲」展は開幕を延期しております。
    楽しみにしてくださっていた皆様、資料の借用などにご協力くださいました皆様には、
    ご迷惑をおかけしております。
    担当学芸員も、皆様に展覧会をご覧いただくことができず、歯がゆい思いでおります。
    そこで、このブログを通じて、松岡譲の魅力に迫り、
    本展の内容を少しずつご紹介していきたいと思います。

    第1回目は、松岡の生い立ちから学生時代について見ていきましょう。

    松岡譲は明治24(1891)年9月24日、
    新潟県古志郡石坂村(現・長岡市)の真宗大谷派、
    松岡山本覚寺に父善淵(ぜんえん)、母ルエの長男として生まれました。
    後に自ら改名することになりますが、両親の付けてくれた名前は善譲(ぜんじょう)です。
    父の善淵は、9歳のときに父を亡くし、10代から住職として寺を守ってきたこともあり、
    気難しく、子どもの教育に厳しかったそうです。
    小学校時代の松岡は、算数と図学・習字に秀でていました。
    習字がうまかったのは、部屋に軟禁されてまで特訓した成果です。
    厳格な父をもち、封建的な寺院の長男であるという出生は、
    物心が付き始めた頃から松岡に寺への反抗心を抱かせるようになりました。
    「私の半生の歴史は、既成宗教に対する小さい抗争で貫かれたといつていい」(注:1)
    と本人が語るように、父と寺への批判と対立は、大学を卒業する大正6(1917)年頃まで続きます。

    本覚寺山門

    明治37(1904)年3月には新潟県立長岡中学校(現・長岡高等学校)に入学し、
    後に詩人となる堀口大学と5年間同じクラスで机を並べて勉強しました。
    堀口は、長岡中学校時代の松岡を回想し、
    「お寺の教育の影響であらう、少年松岡には、少年らしい所が少しもなく、
    妙に大人びた哲学者、宗教家といつた重厚さが年々に加はり、
    いよいよ無口になつて行くのだつた。」(注:2)
    と記しています。

    明治42(1909)年3月、松岡譲は長岡中学校を卒業しました。
    家族は京都の宗門学校へ進学させるつもりでしたが、
    それを拒否して高等学校への進学を希望します。
    父は高等学校への進学を希望するのであれば、
    難関の第一高等学校(現・東京大学教養学部の前身、以下「一校」と称す)
    を受験するように言い渡しました。
    その結果、「小便の色の変わるまで勉強した」(注:3)松岡は、
    翌年の入試を試験入学者21名中8番の成績で突破し、
    はれて明治43(1910)年9月に一校の文科に進学します。
    同級には、第三次『新思潮』の同人となる芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、成瀬正一らがいました。
    松岡は一校の自由な雰囲気に浸り学生生活を謳歌しますが、一方で自己の生い立ちに深く悩み、
    強度の神経衰弱に陥り、大正2(1913)年5月には休学して故郷に帰っています。
    大正3(1914)年9月号の『新思潮』に掲載された「この頃」という作品に、
    そのときの苦悩を読み取ることができます。
    この頃松岡は、漱石の「こころ」や思想家のキュルケゴールを愛読し、影響を受けました。
    大正3(1914)年7月には出席日数が足りず落第してしまいますが、
    ただちに東大文科の選科を受験し合格、翌年試験を受けて本科に転じ、哲学を専攻しました。
    「越後の哲学者」の下地はこうして作られていったのです。
    越後の哲学者 松岡譲 その2に続く)

    注:
    1.松岡譲『宗教戦士』序 大雄閣 1932年
    2.堀口大学「松岡譲の事など」『新潮』 1935年3月
    3. 松岡譲「耳疣の歴史」『田園の英雄』第一書房 1928年

    参考文献:
    関口安義『評伝 松岡譲』小沢書店 1991年
    関口安義「松岡 譲 再評価される人と文学」関口安義編『EDI叢書 松岡 譲 三篇』イー・ディー・アイ 2002年

    テーマ:その他    2020年04月27日
  • 漱石山房記念館へは都営バスも便利です

    漱石山房記念館へのアクセスは地下鉄のほか、都営バスもご利用いただけます。
    JR新宿駅や新宿歴史博物館、JR目白駅や西落合図書館からお越しになる際は、
    「都営バス白61系統」に乗っていただき、
    「牛込保健センター前」の停留所で降りていただくと便利です。

    白61系統の路線図は都営バスのウェブページからご覧ください。
    https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/bus/

    JR新宿駅や新宿歴史博物館方面からは「白61 練馬駅・練馬車庫行」のバス、
    JR目白駅や西落合図書館方面からは「白61 新宿駅西口行」のバスに乗り、
    「牛込保健センター前」の停留所で降りて下さい。
    停留所は牛込保健センターの目の前にあります。

    バス停

    バスを降りると外苑東通りです。
    「牛込保健センター」の信号まで進んでください。
    ※草間彌生美術館や防衛省とは逆方向です。

    外苑東通り

    「牛込保健センター」の信号の左脇に
    「漱石山房記念館」と「漱石山房通り」の案内板があります。
    「漱石山房通り」へ進んでください。

    案内板

    漱石山房通り

    住宅街を進むと右側に漱石山房記念館が見えます。

    漱石山房記念館

    停留所から徒歩2分ほどで漱石山房記念館へ到着します。

    記念館入口

    暑い日が続きますので、公共交通機関を上手にお使いいただき、
    体調には充分お気をつけてご来館ください。
    みなさまのご来館を心よりお待ちしております。

    テーマ:その他    2019年08月20日
  • 『コミック新宿史 新宿ジオラマ奇譚』が発行されました

    新宿区立新宿歴史博物館の開館30周年を記念して、

    平成31年3月に『コミック新宿史 新宿ジオラマ奇譚』

    編集・発行/公益財団法人新宿未来創造財団 新宿区立新宿歴史博物館

    コミック製作・デザイン/井口たくみ

    が 発行されました。

    新宿歴史博物館の職員が描いた、ちょっと不思議なコミックです。

     

    主人公の未来創丸は伊賀忍者の子孫で、架空の博物館の学芸員。

    彼は自分が作った新宿史のジオラマに迷い込み、

    この街の文化・風俗と新宿人たちの心意気を見つめます。

     

    コミック製作者によると、製作期間は企画も含めて約2年間。

    新宿歴史博物館が発行するコミックなので、主人公の職業を「学芸員」に、

    ミュージアムの場所を新宿歴史博物館と同じ「四谷三栄町」にしたのだそうです。

    「伊賀忍者の子孫」という主人公のバックボーンも、

    四谷三栄町がかつて北伊賀町と呼ばれていたことからの発想で、

    歴史的な学習要素も踏まえながら、フィクションとしても面白い読み物にするため、

    工夫を重ねたとのこと。

     

    「Model5 漱石先生ごきげんよう」の章には、

    夏目漱石をはじめ、木曜会に集った人々の顔が描かれているほか、

    漱石山房記念館のどこかで見かけたような黒猫の姿も……??

     

    各章の終わりには新宿歴史博物館学芸員による解説が掲載され、

    読み応えたっぷりの一冊となっています。

    「内藤新宿年代記」②の解説は「石綿猿肘丸」が担当していますが、

    こちらはとある学芸員の狂名(狂歌作者として用いる号)だとか。

     

    主人公は現代からタイムスリップして1960年代から縄文時代へと歴史を遡り、

    ラストシーンでは新元号への改元前夜、平成最後の夜が描かれています。

    まさに新元号への改元をひかえた今、手に取ってみてはいかがでしょうか?

     

    新宿歴史博物館、漱石山房記念館のミュージアムショップのほか、

    林芙美子記念館、佐伯祐三アトリエ記念館、中村彝アトリエ記念館、

    新宿コズミックセンター、新宿文化センターで販売しています。

     

    『コミック新宿史 新宿ジオラマ奇譚』
    編集・発行:公益財団法人新宿未来創造財団 新宿区立新宿歴史博物館
    コミック製作・デザイン:井口たくみ
    発行年月日:2019年3月30日
    頒布価格:1000円(メンバーズ倶楽部価格 800円)
    重さ:780g A4判  233頁

    テーマ:その他    2019年04月23日
  • 2月25日は俳人・松根東洋城の誕生日です

     

     2月25日は、俳句雑誌『渋柿』の主宰者として知られる俳人・松根東洋城の誕生日です。

     東洋城は漱石の松山時代の教え子ですが、第一高等学校から東京帝国大学に進学して東京でも漱石宅の木曜会に参加し、俳句を通じて漱石の死の間際まで深い交流を持ちました。

     現在当館で開催している「テーマ展示「人と人を結びつける」ことば」(3月10日(日)まで)では、漱石が描いた風景画を展示していますが、こちらは東洋城の旧蔵品です。そして、3月19日(火)から始まる「特別展 漱石と鈴木三重吉 広島の加計正文との交流を軸に」では、三重吉の最初の単行本『千代紙』(俳書堂、明治40(1907)年)を展示しますが、こちらの装丁は東洋城が手掛けています。東洋城いわく「花魁愁い式の一つの現象」である『千代紙』の「表紙の濃艶さ」を、ぜひ会場でお楽しみください。ご来館をお待ちしています。

    鈴木三重吉『千代紙』俳書堂、明治40(1907)年

    次回展示情報

    《特別展》漱石と鈴木三重吉 広島の加計正文との交流を軸に
    開催期間/2019年3月19日(火)→5月6日(月・休) 開館時間/午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
    休館日/3月25日、4月1、8、15、22日(月)
    特別展開催期間中の観覧料/一般500円、小中学生100円

    テーマ:その他    2019年02月22日
  • 2月9日朗読会(ご報告)

    夏目漱石の誕生日である新暦2月9日(旧暦では1月5日)に、「近代文学を訪ねて~沙羅の木~」、「ふみのしおり」、「神楽坂朗読サロン」、「プチプラージュ」の朗読の会4団体のご協力による朗読会を開催しました。

    当日は大雪注意報が出されましたが、心配していたほどの雪にはならず、会場となった講座室には常時50名以上の方が熱心に朗読を聴き入り、各団体の出演者による個性ある朗読の世界を堪能しておられました、

    漱石山房記念館では、2月9日に開催する朗読会を、今後も続けていきたいと考えています。

    テーマ:その他    2019年02月14日
  • 図書室に「名著復刻 漱石文学館」を配架しました

     

     当館地下1階の図書室には、漱石の著書や全集をはじめ、漱石関連の書籍が3500冊ほど配架されています。

     この度、漱石の初版本を復刻した「名著復刻 漱石文学館」を配架しました。

     

     

     収録作品は、つぎのとおりです。

     四篇、草合、社會と自分、木屑録、切抜帖より、漱石俳句集、門、文學評論、吾輩ハ猫デアル(上・中・下)、三四郎、道草、英文學形式論、虞美人艸、それから、明暗、硝子戸の中、行人、漱石詩集 印譜附、漾虚集、彼岸過迄、鶉籠、こころ、文學論、別冊 解説

      

     

      このシリーズは日本近代文学館が発行したもので、初版本の装丁・紙質などを可能なかぎり再現したものです。

      作品ごとに異なる装丁などを、お手にとってご覧ください。

      ご来館の際は、ぜひ図書室にお立ち寄りください。

     

    テーマ:その他    2018年12月09日
  • 職場体験・・中学生の書いた「記念館の見どころ」④

     

     9月4日(火)~6日(木)、新宿区立落合第二中学校の中学2年生が職場体験に来ました。 

     受付など色々な仕事を体験し、ブログ記事「記念館の見どころ」を作成しました。ここでご紹介いたします。  

     紹介されている「道草庵」は、隣接する新宿区立漱石公園にあります。  

     

     

     

    テーマ:その他    2018年10月24日
  • 職場体験・・中学生の書いた「記念館の見どころ」③

     

     9月5日(水)~7日(金)、新宿区立西早稲田中学校の2年生が職場体験に来ました。  

     受付など色々な仕事を体験し、ブログ記事「記念館の見どころ」を作成しました。ここでご紹介いたします。

     

     

    テーマ:その他    2018年10月12日
  • 職場体験・・中学生の書いた「記念館の見どころ」②

     

     9月5日(水)~7日(金)、新宿区立西早稲田中学校の2年生が職場体験に来ました。  

     受付など色々な仕事を体験し、ブログ記事「記念館の見どころ」を作成しました。ここでご紹介いたします。

     

     中学生もおススメしてくれた再現展示室。

     書斎は、県立神奈川近代文学館所蔵の漱石の遺品、東北大学附属図書館所蔵の漱石旧蔵書を模して再現されています。

     

    テーマ:その他    2018年10月04日
  • 職場体験・・中学生の書いた「記念館の見どころ」①

     

     9月4日(火)~6日(木)、新宿区立落合第二中学校の中学2年生が職場体験に来ました。 

     受付など色々な仕事を体験し、ブログ記事「記念館の見どころ」を作成しました。ここでご紹介いたします。

     「猫塚」(「猫の墓」)は、隣接する新宿区立漱石公園にあります。

     

    テーマ:その他    2018年09月28日
  • 図書室についてご紹介します

     

    漱石山房記念館の地下1階には図書室があり、自由に閲覧することができます(貸出は行っておりません)。

     

     

    夏目漱石の全集をはじめ、関係者が漱石について書いた本も多数所蔵しています。

    現在、約3500冊の図書や雑誌を配架しておりますが、このほとんどが皆様より寄贈していただいたものです。

     

     

    これらの図書は、新宿区の図書検索システムで検索ができるようになっております。

    新宿区立図書館蔵書検索 

    https://www.library.shinjuku.tokyo.jp/WebOpac/webopac/selectsearch.do?searchkbn=2&histnum=1

    館内に検索用のパソコンがあり、その場で検索していただくこともできます。

     

    図書室内にはコピー機も設置しています(著作権法第31条の範囲内で複写が可能)。

    ・白黒コピー (B5,A4,B4,A3  10円/1枚)

    ・カラーコピー (B5,A4,B4  50円/1枚、A3  80円/1枚)

     

    出版年の古い図書なども、お手にとって自由にご覧いただけます。

     
    左:文學讀本 秋冬の巻(昭和11年発行) 右:思ひ出す事など(昭和23年発行)

     

    また、漱石の作品の外国語版などを8言語・71冊所蔵しています。

    英語・中国語・韓国語をはじめ、タイ語・ビルマ語などの書籍もあります。

    こちらもぜひご活用ください。


    左:こころ(タイ語) 右:こころ(シンハラ語)

     

    図書室のご利用には観覧料はかかりません。

    ぜひお気軽にご利用ください。

     

     

     

     

     

    テーマ:その他    2018年07月05日
  • 音声ガイドあります。

    当館では、音声ガイドの貸出を実施しています。

    対応言語は日本語、英語、中国語、韓国語の4種類。

     

    記念館受付で貸出をしています。
    受付でお申出いただくと、写真(右)の音声ガイドをお貸ししますので、館内でこの機器を耳にあてて聞く方式です。

    館内の展示で音声ガイドの番号表示がある場所、20箇所の解説を聞くことができます。

    音声ガイド解説場所

     

    音声ガイドの解説がある場所には上記(左)の番号が付いています。番号を押すと、解説が聞こえてきます。

    20箇所全てを聞いたとして、所要時間は約30分。使用後は受付にご返却ください。

    音声ガイド利用料はなんと無料です!

    受付でお気軽にお声掛けください。

     

     

    テーマ:その他    2018年05月06日
  • 桜が咲き始めました

    漱石山房記念館に隣接する漱石公園の桜が咲き始めました。

    当館の近くでは、江戸川橋のあたりの神田川流域が桜の名所です。

    江戸川(現・神田川)は、明治17年(1884)に初めて桜が植えられたといわれ、明治末期には桜の名所として多く花見客で賑わいました。

    漱石も娘たちを連れて花見に訪れていることが日記からわかります。

    現在開催中のテーマ展示「「漱石山房」から漱石山房記念館へ」では、明治末期の江戸川の桜の絵はがきと、当時の漱石の日記の言葉を紹介しています。

    漱石も見たであろう当時の光景を、絵はがきを通じてご覧いただけます。

    是非見にいらしてください。

     

    テーマ:その他    2018年03月22日
  • 「春の投扇興」を実施しました

    本日は当館講座室にて、新宿未来創造財団主催、神楽坂投扇興の会の協力の下、

    「春の投扇興」が開催されました。

    投扇興は、扇を投げて的に当て、その落ち方で点数を競う“お座敷遊び”です。

    江戸時代の安永年間(1772~80)に考案されました。

    江戸の人々の見立ての文化、雅な遊び心が息づく「投扇興」を、神楽坂でその継承にあたっている

    「神楽坂投扇興の会」の模擬演技とともに体験しました。

     

    ちなみに「扇を投げる」といえば、漱石作品の中の「彼岸過迄」において、

    隅田川で銀扇を投げて水に流すという舟遊びの情景が描かれています。

    「野分」にも同様の遊びについて述べている場面があります。

     

    テーマ:その他    2018年03月17日
  • 漱石山房 雪景色

     

    開館以来、初めて雪が積もりました。

    みなさん、お怪我等はございませんでしたか。

     

    漱石と雪…。

    漱石は明治40年、雪に関して次の句を詠んでいます。

    たゝむ傘に雪の重みや湯屋の門

     

    他にも漱石作品には、春夏秋冬、さまざまな景色が描かれています。

    ぜひ当館で、漱石作品に描かれた春夏秋冬を味わってみてはいかかでしょうか。

    外は雪景色ですが、陽光差し込むブックカフェでの読書もおすすめです。

     

     

     

     

    テーマ:その他    2018年01月23日
  • 地下1階があります!

    こんにちは。

    突然ですが、皆さまは漱石山房記念館に地下1階があることをご存知でしょうか。

    エントランスに入ると目の前にある下り階段。

    ここを降りると地下1階なのですが、多くの方がまずは展示やカフェに向かうなか、後回しになってつい忘れられがちなのか、あまりお客様がいらっしゃらず、ちょっと寂しいところです。それなので本日はそんな地下1階の施設について紹介したいと思います。

    まずは勇気を出して(?)階段を降りてみましょう!(受付後ろのエレベーターもご利用できます。)

    階段を降りるとすぐクイズコーナーと図書室が目に入ります。普段は意外とゆったりした広い空間なのです。

    クイズは初級、中級、上級の3つのコースがあります。上級はかなり手ごわい問題を用意したつもりですので、我こそはという漱石マニアの方は是非チャレンジしてください!

    図書室には漱石に関する書籍や雑誌が約3,500冊ほど配架されています。研究書から漫画、児童書まで揃っており、もちろん、新刊図書や最新の全集も随時入ってきているので、漱石を研究されている方や卒論、レポートを書きたい学生の方、これから漱石を読みたい方までご利用になれます。無料で開放しておりますので、お気軽にお入りください。

    (貸出はしておりませんのでご理解いただきますようお願いいたします。)

    ちなみに隣が事務室となっておりますので、ご不明な点などはこちらにお尋ねください。

    (散らかっているので写真はNGとのお達しが…。)

    他にも現在鋭意準備中の漱石についての情報検索システム、イベントを開催する講座室がありますが、これらについてはまたあらためて紹介したいと思います。

     

    下から見る漱石公園もなかなか良い景色です。皆さま、記念館にお越しの際には是非地下1階にもお立ち寄りください!

     

     

     

    テーマ:その他    2017年11月04日
  • 漱石コンクール/平成28年度の受賞作品

     お盆を過ぎて、漱石山房記念館開館まで残り1ヶ月となりました。

     さて、平成29年度夏目漱石コンクールの募集は9月15日(金)までです。そこで、今回は28年度の受賞作品を紹介したいと思います。絵画コンクール部門で最優秀賞に輝いた2作品です。

    小学生低学年の部 最優秀賞「夏休のねこ」

    世田谷区立烏山小学校 2年 林 光太郎

     

    小学生高学年の部 最優秀賞「セミくん、一緒に遊ぼうよ!」

    さいたま市立文蔵小学校 5年 加登 可奈子

     

     大胆な色使いや視点の独創性が特徴的な28年度の絵画作品でした。今年度のコンクールも、多くのかたのご応募をお待ちしています。

     

    ※平成28年度その他の受賞作品はこちら

     http://www.city.shinjuku.lg.jp/kanko/bunka02_002220.html

     

    テーマ:その他    2017年08月24日
  • 漱石山房再現の道③

     検討会では、「漱石山房再現の道①②」でご紹介した調査結果を踏まえて議論を重ね、未来に正しいものを継承していくという観点から、資料的裏付けのある書斎・客間・回廊を記念館内に再現することになりました。

     再現にあたっては、早稲田大学建築史研究室に委託し、県立神奈川近代文学館・東北大学附属図書館等の協力を得て、写真解析や明治・大正期の同等の家屋の現存例との比較検討等を行い、再現図を製作しました。

     こうして検討が進められた再現山房は、美術製作会社の工場で製作が進められ、平成29年2月3日には仮組立てを行い、研究者の指導により再現精度や部材加工について検証と確認を行いました。3月には一度解体して記念館建設現場に搬送し、組立てとエイジング処理(明治40年に漱石が入居した時点、築10年程度の古色を着けます。)を行っています。

     

     作家の書斎の再現はこれまでも数多く行われてきましたが、家屋の一部を再現する試みはあまり例を見ません。作家として、弟子を迎える師として、また家庭人としての漱石を想像しながら、完成した漱石山房再現をご覧いただければと思います。

       

    ▲(左)再現山房仮組立ての様子、(右)外壁サンプルの検討(平成29年2月3日)

    テーマ:その他    2017年04月20日
  • 漱石山房再現の道②

     そこで新宿区は、検討会に先立つ平成23年度に、実際にどの程度の再現が可能なのか検証するため、全国の大学や研究機関、博物館・文学館等に保存される漱石関係の資料や文献を調査し、山房の再現に必要な資料を収集しました。その結果、現在知られているもの以外に新たな資料を発見することはできませんでした。

     山房は、漱石没後の大正8年(1919)頃、鏡子夫人により改築され、書斎・客間・回廊だけは敷地の南東側に曳家して保存されました。その際、夫人の妹の夫である建築家鈴木禎次(1870~1941)が図面を記録したと伝えられますが、禎次が創立に関わった名古屋工業大学も含め、この図面を発見することはできませんでした。

     有力な資料となる写真についても、よく知られる松岡譲が編集した『漱石寫眞帖』(第一書房)掲載の写真以外に新たに発見することはできませんでした。

     このような結果から、再現にあたって資料的な裏付けがあるのは玄関・書斎・客間・回廊程度であり、家屋の西側の再現については極めて難しいと考えられました。(次回4月20日更新の「漱石山房再現の道③」に続く)


     ▲漱石山房の玄関(大正7年)


     ▲ベランダ式回廊と芭蕉(大正5年)

    テーマ:その他    2017年04月19日
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