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吾輩ブログ 一覧

  • 漱石とお菓子

    涼やかな気候となり秋を迎えつつありますね。
    秋はスポーツの秋、読書の秋、芸術の秋など、いろいろな「~の秋」と呼ばれています。
    今回は食欲の秋に着目して、漱石とお菓子についてご紹介します。

    本記事でご紹介するお菓子が登場する漱石の作品
    (右から岩波文庫『吾輩は猫である』
    『草枕』『虞美人草』『思い出す事など 他七篇』岩波書店。
    当館ミュージアムショップにて販売中)

    漱石は医者に止められるほど大の甘党で、作品には随所にお菓子が登場します。
    東京朝日新聞の連載終了から今年110年を迎えた「思ひ出す事など」からお菓子の記述を探してみると、
    干菓子について触れていました。
    漱石はこのころ、胃を悪くし療養生活を送っていました。
    病室に生けてあったコスモスを眺めて漱石はこう綴っています。

    「桂川(かつらがわ)の岸伝いに行くといくらでも咲いているというコスモスも
    時々病室を照らした。コスモスは凡(すべ)ての中(うち)で最も単簡(たんかん)で
    かつ長く持った。余はその薄くて規則正しい花片(はなびら)と、空(くう)に浮んだように
    超然と取り合わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子(ひがし)に似ていると評した。」
    (「思ひ出す事など」より)

    当時病身だった漱石は、部屋に生けてあったコスモスから
    お菓子を連想してしまうほど甘いものを欲していたのでしょう。

    そのほかにお菓子の記述を探してみると、
    漱石は「草枕」の主人公の口を借りて羊羹(ようかん)の魅力についてたっぷりと語らせています。

    「あの肌合(はだあい)が滑(なめ)らかに、緻密(ちみつ)に、
    しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。
    ことに青味を帯びた煉(ねり)上(あ)げ方は、玉(ぎょく)と蠟石(ろうせき)の雑種の様で、
    甚だ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、
    青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫(な)でて見たくなる。
    西洋の菓子で、これ程快感を与えるものは一つもない。
    クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。
    ジェリは、一目(いちもく)宝石の様に見えるが、ぶるぶる顫(ふる)えて、
    羊羹程の重みがない。
    白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至つては、
    言語道断の沙汰(さた)である。」
    (「草枕」より)

    最後にでてくる「白砂糖と牛乳で五重の塔」とは
    デコレーションケーキのことです。なんともユーモア溢れる表現です。
    「草枕」の主人公は画工という設定上、
    優れた観察力があるということを強調するためにあえて事細かに書いた文章かもしれませんが、
    それにしても羊羹の色合いの深さや形態を的確に捉えており、
    漱石の羊羹に対する思い入れの深さが伝わります。
    羊羹は「草枕」以外にも「吾輩は猫である」や「虞美人草」などにも登場するので、
    お好きだったのでしょう。

    今回ご紹介したお菓子以外にも、漱石作品には多くのお菓子が登場します。
    漱石が描くお菓子に着目しながら作品を読んでみるのも一興ではないでしょうか。

    ※引用文の表記は岩波文庫『思い出す事など 他七篇』(1986年)、
    岩波文庫『草枕』(1929年初版、1990年改版)に従いました。

    テーマ:漱石について    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート7 展示室照明の明るさの秘密

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    突然ですが皆さん、博物館や美術館の展示室が少し薄暗いと感じたことはないでしょうか?
    漱石山房記念館でも受付や入り口はとても明るいのに対して展示室の照明は薄暗く、
    そして少し肌寒く感じることもあると思います。
    しかし、展示室の照明が薄暗いのにはちゃんとした理由があります。
    博物館の資料は多くが昔に作られたものばかりです。
    漱石山房記念館に展示してある資料も当時のものであれば紙とはいえ100年以上前のものになり、
    さらに資料の多くには万年筆を使って書かれたインクが付着しています。
    紙やインクは光と熱に弱いため強い照明を使用することができないのです。

    夏目金之助 夏目鏡子宛書簡(部分)
    明治35(1902)年3月10日付

    漱石山房記念館の鈴木館長によると、
    漱石山房記念館の2階資料展示室の照度は120ルクスまでに統一しているそうです。
    そうすることでインクが日焼けして薄くなることを防ぎ、
    資料の損傷を抑え、良い状態で保存することができるといいます。
    また、博物館の照度はJIS照明基準総則によって定められた照度で展示することが決められており、
    おおよそ20ルクスから1000ルクスの照度の間で資料に合わせて照らしています。
    一方で私たちが普段生活するリビングや食卓の照度は50ルクスから1000ルクス、
    図書室の照度もJIS照明基準総則により最低でも500ルクスから800ルクスとされており、
    漱石山房記念館の2階資料展示室の照明は、図書室と比べてもおよそ4分の1ほどの照度しかありません。

    漱石山房記念館2階資料展示室

    漱石山房記念館図書室

    そのため、展示室の照明が少し薄暗く感じてしまいます。
    しかし、展示室の照明は資料保存のために貴重なものや価値のあるものほど照度を低くしている
    ということを知った上で展示を見てみると、資料の持つ価値や重要性が分かると思います。

    ※ルクス(lx)照明器具によって照らされた場所の明るさの値
    ※参考資料
    ・JIS照明基準総則 Z9110-2010.
    ・Panasonic.“美術館・博物館の照明”.照明設計サポートサイト.
    (https://www2.panasonic.biz/ls/lighting/plam/knowledge/document/0209.html)

    (博物館実習生:大塩)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート6 漱石の庭〜小説の中の植物たち〜

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    漱石山房記念館1階導入展示の「漱石と植物」の展示パネルによると、
    漱石山房には、サクラ・ヒノキ・アオギリといった大木から、
    季節の山野草、敷地境の生垣や裏庭の花壇に至るまで多種多様な植物が見られたそうです。
    漱石やその家族、門下生が残した記録などを元に数えてみると、なんと20種類以上にもなるとか!
    特にバショウやトクサは漱石のお気に入りで、ここ漱石山房記念館を象徴する植物でもあります。

    漱石山房記念館のバショウとトクサ

    漱石は植物を愛でるだけではなく、度々自分の作品にも登場させました。
    『行人』には
    「二三週間はそれなりに過ぎた。そのうち秋が段々深くなった。
    葉鶏頭の濃い色が庭を覗くたびに自分の眼に映った」
    (夏目漱石『行人』新潮文庫、平成23年改版)
    という一節があります。
    葉鶏頭の実物を見たことがない方は見逃してしまうかもしれませんが、
    目にも鮮やかな赤色が印象的で、雨の日でも存在感のある植物です。
    元来神経質な性分であった兄に、主人公が追い詰められていく日々の中で、
    この葉鶏頭の鮮やかな色彩はどのような意味を持って彼の視界に映っていたのか……?
    と考えてみるのも良いかもしれません。
    漱石の小説の中に登場している植物の特徴や特性に注目しながら、
    作品を鑑賞してみるのも新しい楽しみ方になるのではないでしょうか。

    漱石公園の葉鶏頭

    (博物館実習生:伊藤)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート5 漱石と猫

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
    ―夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』明治38年

    「夏目漱石」と聞いて、誰もが思い浮かべるのはこの一文ではないでしょうか。
    「吾輩は猫である」が雑誌『ホトトギス』に掲載され、
    夏目漱石の名を一躍有名にしたのは、多くの人がご存知の通りです。

    では、漱石が実際に猫を飼っていたことはご存知でしょうか。
    今回は、漱石と飼い猫についてご紹介します。

    岡本一平「夏目漱石先生」
    肉筆漫画『開国六十年史図絵』、昭和2(1927)年

    夏目家初代の猫は、明治37(1904)年の6〜7月頃に千駄木の家に迷い込んだ子猫でした。
    鏡子夫人は猫嫌いで、何度も追い払っていましたが、
    漱石が「そんなに入って来るんなら、おいてやったらいいじゃないか」と言ったことで、
    猫は一家に加わることになります。

    鏡子夫人は相変わらず猫を嫌っていましたが、
    家に来る按摩さんが「福猫だ」と言ったことで、扱いをあらためます。
    実際、病を患っていた漱石も機嫌が良くなり、
    翌年に猫目線で執筆した小説『吾輩は猫である』が大ヒットしました。
    その後、ここ早稲田に引っ越す際も連れてきています。

    明治41(1908)年9月13日に初代の猫は死に、書斎裏の桜の樹の下に埋められました。
    漱石は、その翌日に松根豊次郎(東洋城)ら門下生数名に「猫の死亡通知」を送りました。
    漱石の死後、猫の13回忌には供養塔も建てられました。
    供養塔はその後の空襲で壊れてしまいましたが、
    その残欠を利用して再興されたものが「猫の墓(猫塚)」として漱石公園で見られます。
    猫は夏目家にとって大事な存在になっていたことがうかがえます。
    ちなみに、この猫にも名前はなかったそうです。

    夏目金之助 松根豊次郎宛て葉書
    (猫の死亡通知)
    明治41(1908)年9月14日

    猫の墓(猫塚)

    漱石山房記念館にもいたるところに猫のパネルがあります。
    私が数えたところ大きいものが4匹、小さいシルエットが11匹いました。
    漱石山房記念館に向かう漱石山房通りの案内板にも猫のモチーフが使われています。
    ぜひ記念館にお越しの際は猫の案内を辿ってみてください。

    ※参考文献
    ・夏目鏡子 述・松岡譲 筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)
    ・半藤末利子『夏目家の福猫』(新潮文庫、2008年)

    (博物館実習生:内田)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート4 漱石山房記念館情報検索システムについて

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    今回は漱石山房記念館の地下1階にある漱石山房記念館情報検索システムについてご紹介します。

    漱石山房記念館情報検索システムは漱石関連資料を広く公開するという目的の為に設置されました。
    このシステムには新宿区が所蔵している資料を検索出来る「新宿区所蔵資料」、
    全国にある夏目漱石関係の資料を検索出来る「全国漱石関係資料」、
    漱石本人や漱石山房・作品解説など漱石に関する情報を検索出来る「漱石事典」の3つのページがあります。

    ・「新宿区所蔵資料」
    「新宿区所蔵資料」では現在展示室で展示されている資料だけでなく
    新宿区が所蔵している様々な漱石関係資料を写真と解説付きで見ることが出来ます。

    資料によっては翻刻もされています。
    拡大するとそれぞれの文字の読み方もわかるようになっているのでご活用ください。

    ・「全国漱石関係資料」
    「全国漱石関係資料」では新宿区所蔵の資料以外の
    全国の博物館・図書館に所蔵されている漱石関係資料を検索することが出来ます。
    新宿区が所蔵していない資料の検索だけでなく、
    漱石関係の資料を所蔵している施設についての情報も調べる事が出来ます。

    ・「漱石事典」
    「漱石事典」では漱石本人や関係人物だけでなく、
    漱石山房の建物についてや作品解説など、漱石に関する様々な情報を検索する事が出来ます。
    漱石についてもっと深く知りたいという人はぜひご活用ください。

    この漱石山房記念館情報検索システムは漱石山房記念館でしか利用出来ないシステムなので
    訪れた際にはぜひご利用ください。

    (博物館実習生:井上)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート3 漱石の言葉を持ち帰ろう!

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    記念館奥の階段を登り、2階展示室にいたる廊下の壁に、夏目漱石の言葉がたくさん並んでいるのをご存知ですか?

    これらは漱石の作品や、親しい友人・門下生たちに宛てた書簡の中から一文を抜粋してパネルにしたもので、
    誰もが知っている有名なものから、ハッとさせられるような鋭い一節まで様々です。
    ひとつひとつから漱石の思いや人生観がうかがえ、“言葉の力”を存分に感じることができるスペースとなっています。

    「漱石文学の言葉を大事にしたい」という思いから、
    漱石山房記念館のミュージアムグッズには、漱石の言葉に焦点を当てたものがいくつか存在します。
    その中から今日は2点ご紹介いたします。

    ひとつ目は、漱石のことば鉛筆。
    五角形の鉛筆の側面に、漱石の作品「吾輩は猫である」から「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」、
    「草枕」から「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」
    と、誰もが知っている一文が刻印されています。
    おこづかいでも購入できる価格なので、
    小中学生にも使いながら漱石作品に親しんでほしいという思いがあるそうです。

    ふたつ目は、活版印刷メモ帳「夢十夜」。
    こちらも漱石の作品「夢十夜」の第一夜の一節が抜粋され、表紙・メモ用紙部分に施されています。
    新宿区の地場産業のひとつに印刷製本業があり、優れた印刷技術を活かしたグッズを作りたいと、
    区内の佐々木活字店さんにご協力いただき完成しました。
    文学作品をいかした個性的なミュージアムグッズとして注目され、
    このメモを目当てに来館する方もいるそうです。

    今回ご紹介したグッズは、いずれも2階のパネルから選ばれた言葉が引用されています。
    ご来館の際には、ぜひ展示されたパネルで漱石の言葉をゆっくりと味わい、
    気に入ったものがあればミュージアムグッズでお持ち帰りください。

    (博物館実習生:星野)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート2 漱石をもっと知りたくなる、漱石公園と図書室へ

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    漱石公園と、漱石山房記念館地下1階の図書室についてご紹介します。
    漱石公園は、漱石山房記念館を包むように広がっています。
    記念館前にある漱石の胸像のすぐそばが公園の入り口です。
    公園の開園時間は、記念館より2時間早い朝8時です。
    朝、少し早くに公園を訪れ、記念館の開館を待ちながら散策してみるのもおすすめです。

    公園の植物の中には、漱石の作品や漱石に関連する著作に出てくるものも。
    「葉鶏頭(はげいとう)」や「梅擬(うめもどき)」などいくつかには、
    解説板に作品の一節が記されています。

    公園中央あたりにあるのは、「猫の墓(猫塚)」です。
    夏目家で飼われていた動物を供養するためにつくられましたが、
    空襲で損壊し、その残欠を利用して再興されたものです。

    また、入口から正面に見える「道草庵」の中には、
    「漱石山房に集った人々」、「牛込に住んだ文学者たち」などの解説パネルも置かれています。

    こうしたものを見ながら散策していると、
    もっと漱石の作品を読みたい、漱石のことを知りたいと思えてくるのではないでしょうか。
    開館時間になったら、地下1階の図書室へ。
    図書室には、漱石の作品や、研究書などの関連図書が約3500冊あります。

    公園で見た植物が出てくる本や、漱石山房を訪れた人々の著作も置かれています。
    そのほかにも、漱石作品の中でもホラーを感じるものを中心に組まれたアンソロジーや、
    絵本などもあり、様々な切り口で漱石を味わうことができます。
    また、漱石に縁のある人々、同じ時代を生きた人々の著作など、
    漱石を通して新しい図書に出会える場所でもあります。
    (博物館実習生:小松)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート1 夢見る若者 集いの場所

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    近代日本文学の作家として活躍を収めた夏目漱石。
    「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」など名だたる作品を残しました。
    そんな彼には多くの門下生がおり、愛されていました。

    皆さんは「木曜会」をご存知でしょうか。
    漱石を中心に、多くの門下生たちが集まって行われた議論の場です。
    作家として名高い漱石ですが、東京帝国大学(現在の東京大学)で教鞭を執っており、
    優れた教育者でもありました。
    その為、作家として憧れを抱く若者たちだけではなく、
    教師としての教え子達も多く集いました。
    漱石に会いにくる門下生や来客は次第に多くなり、
    週に一度、木曜日の午後を面会日と定めたことから、「木曜会」と呼ばれました。
    漱石の晩年は鈴木三重吉、松根東洋城に代わって
    「蜘蛛の糸」でも有名な芥川龍之介、久米正雄たち新世代が木曜会に出入りするようになりました。

    「古参のメンバーと違って、彼らは遠慮せずに漱石と議論し、漱石もまたそれを喜ぶようだった。
    彼らに言わせたいだけ言わせた上で、最終的には漱石が勝つのである。」
    (十川信介著『夏目漱石』岩波新書、2016年)
    と、なんとも漱石先生の偉大さがうかがえる様な師弟関係を思わされるエピソードも残されています。

    芥川龍之介写真

    芥川龍之介
    (国立国会図書館ウェブサイトより)

    漱石山房記念館には、漱石の書斎と客間が再現展示されています。
    展示室からは、この書斎で創作活動をする漱石を前に、多くの門下生たちが客間に集う当時の様子も想像できます。

    漱石山房記念館再現展示室

    (博物館実習生:佐藤)

    テーマ:その他    
  • 漱石と印税

    今回は漱石と印税についてお話しさせていただきます。
    まず、漱石が日本で初めて「印税」を定着させた作家ということを
    ご存じでしょうか?
    漱石以前の作家は本を出版しても原稿料のみで、
    いくら増刷されても追加収入はありませんでした。
    雑誌『ホトトギス』に掲載された
    「吾輩は猫である」で人気作家の仲間入りをした漱石でも、
    原稿料は原稿1枚50銭と
    作家だけで食べていくことは難しい時代でした。
    そこで漱石は英国留学の経験から、
    初版一割五分、二版以降二割、六版以降三割(後に四版以降三割、初版は一千部)
    の印税契約を出版社と取り交わし、
    日本における「印税」の普及に貢献しました。

    松岡譲著『漱石の印税帖』(文春文庫、2017年)

    それでは、漱石の生前の印税収入はどれくらいだったのでしょうか?
    漱石の娘婿・松岡譲著「漱石の印税帖」(『文春文庫
    漱石の印税帖―娘婿がみた素顔の文豪』文藝春秋、2017年)には、
    「全部引っくるめて二万五千円から二万七千円程度の
    ものではなかったかと想像出来る。」
    「法外な高率と言われた印税をもってしても、
    年に平均すると二千円前後」
    とあります。
    東京帝国大学講師を辞めて朝日新聞入社後は
    月二百円+賞与で年三千円あまりの給与所得がありましたので、
    意外にも平均すると印税よりも給与の方が高かったようです。

    テーマ:漱石について    
  • 「夏目家の人びと、漱石の家族」見どころ紹介

    令和3年10月3日(日)まで開催の
    《通常展》テーマ展示「夏目家の人びと、漱石の家族」の見どころを紹介します。

    展示の詳細はこちらをクリック
    皆さんは、漱石の子ども時代をご存じですか。
    また、夫や父親としての漱石について、どのような印象をお持ちですか。
    本展示は、「第一章:僕の昔」、「第二章:妻君(さいくん)」、
    「第三章:小供(こども)たち」の三章立てで、家族の視点から漱石を読み解いていきます。

    漱石は生まれてすぐに里子に出され、その後養子に出されて、
    養父母の不仲により生家に連れ戻されます。
    一時は実の父母を祖父母と言われて育ち、
    夏目姓への復籍には生家と養父の間で行われた金銭のやり取りに立ち会うなど、
    「家庭の幸福」とは縁遠い少年時代を過ごしています。
    自伝的小説の『道草』で、成人した主人公・健三のもとに、
    金銭目的で養父の島田が近づく場面などは、実体験に基づくものでした。
    漱石の子供時代は、
    明治40(1907)年に雑誌『趣味』に掲載された「僕の昔」という題名の談話や、
    大正4(1915)年の随筆『硝子戸の中』に記されています。
    「第一章:僕の昔」では、漱石の復籍や離縁に関わる文書の複製と、
    当館所蔵の『道草』直筆草稿を展示するほか、
    実母や一番上の兄など、漱石が愛した家族にも注目して、
    関係資料を展示しています。
    また、複雑な家系図も写真入りのパネルで展示していますので、ぜひ会場でご覧ください。

    夏目漱石『道草』草稿

    続いて、妻を扱った、第二章ですが、
    こちらのタイトルは同じ読みの「細君」ではなく、漱石が書簡で用いた「妻君」を採用しました。
    明治29(1896)年に結婚した、10歳年下の妻の鏡子は、
    『吾輩ハ猫デアル』の苦沙弥先生の妻のように自分の意見をはっきりと主張する女性で、
    しばしば夫妻は言い合いました。
    また、裕福な家庭に育った鏡子と漱石の間には軋轢が生じて、
    漱石が不信感を表すこともありました。
    鏡子は、漱石の神経衰弱の被害にあいましたが、
    それが病気によるものとわかると受け入れ、最後まで漱石の創作活動を支えました。
    このコーナーには英国留学中の漱石が妻に送った書簡を展示しています。
    留学中の漱石は寂しさからか、妻に手紙を寄越すよう何度も催促しました。
    しかし幼子を抱えて、加えて筆不精でもあった鏡子は、
    なかなか手紙を書こうとしません。
    何か書くことを、と探した鏡子が思いついたのは、
    2歳の娘・筆子の一日の行動を書いた「筆の日記」でした。
    漱石からの書簡には、筆の日記が面白かったのでまた送ってほしいと書かれています。
    妻の手紙を心待ちにする漱石の様子がうかがえます。

    夏目金之助 夏目鏡子宛書簡 
    明治35(1902)年3月10日付

    続いて、子どもたちを扱った第三章ですが、
    こちらのタイトルも「こども」の表記に関して、
    漱石が日記や書簡で用いた「小供」を採用しました。
    長女や長男、次男が後に記した文章には、
    漱石は急に怒り出す怖い父親として記されています。
    しかし、病気でないときの漱石は、子どもたちと相撲をとったり、
    一緒に散歩に出かけ、好きなものを買い与えるやさしい父親でした。
    このコーナーには、漱石が娘たちに宛てた葉書を展示しています。
    それぞれの年齢にあわせて絵葉書の絵柄を選んでいるところに、
    父親の愛情が感じられます。

    夏目父 夏目筆子宛葉書 
    大正元(1912)年8月10日付

    会場の最後には、漱石が家族や知人に宛てた書簡と漱石の日記から、
    家族に関する事項を抽出した年表を展示しています。


    実はこの3倍以上の分量があったのですが、
    残念ながら会場の都合により重要事項を選んでいます。
    こちらをお読みいただくと、漱石が妻や子どもたちをどう思っていたのかがわかります。
    おいしい頂き物をすると必ず子供たちに食べさせていることも、
    ほほえましいです。
    会場ではぜひ、この年表にも注目してください。
    今回の展示を通じて、漱石は育った家庭では得られなかった「家庭の幸福」を、
    自身で築いた子沢山のにぎやかな家庭によって、
    得られたのではないかと感じています。
    文豪漱石の家族の一員としての顔に触れることのできる展示です。
    皆様のご来場をお待ちしております。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石山房記念館の芭蕉(バショウ)

    漱石山房記念館の植栽についてご案内してみたいと思います。

    「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、
    赤い実の結った梅もどきの枝だの、
    無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、
    その他にこれといって数え立てるほどのものは殆んど視線に入って来ない。」

    (岩波文庫『硝子戸の中』1933年初版、1990年改版)

    漱石の随筆『硝子戸の中』の冒頭です。
    書斎から外を見渡し、
    目に入るものとして最初に挙げられているのが、
    植物の「芭蕉(バショウ)」です。
    漱石山房記念館の再現展示室からも、
    実際に硝子戸越しにバショウを見ることができます。

    バショウは、色々と興味深い謂れのある植物です。
    高さ3~5メートルにまで成長しますが、
    木ではなく大型の草であること。
    俳人、松尾芭蕉の名前の由来となっていること。
    原産地は中国とされながら、英名は「Japanese banana」であること。
    その英名は、シーボルトが命名者の一人であり、
    日本で発見しヨーロッパに伝えたためにそうなったことなどです。

    人の背丈を超える高さや、
    数十センチにも及ぶ葉の大きさが南国ムードを漂わせ、
    来館された方に「バナナが植えられているのですか」と尋ねられることもあります。
    そう思われるのも当然で、
    バナナとバショウは、同じバショウ科の植物です。
    写真の、小さなラグビーボールのような楕円は苞葉(ほうよう)という、
    葉の塊で、その葉の間に花の集まりがあります。
    そして苞葉の根元の辺りには、バナナと同じような形の、
    小さな緑色の実がたくさん付いているのが分かります。

    このように開花します。
    バショウの花言葉は「燃える思い」です。
    確かに、バショウはその言葉のように強い生命力を持ち、
    地下茎を通じて次々に芽を出します。
    そのため、もちろん大切に育てていますが、
    植栽管理の観点から、
    他の植物を守るために広がり過ぎないようにも留意しています。
    大正時代の漱石山房の写真には、
    立派に育った数本のバショウが写っています。
    漱石も、バショウを絶やさないよう、
    また増やしすぎないように気を遣っていたのでしょうか。
    そんな想像をしながら、植栽の管理に向き合っています。
    漱石山房記念館の周囲には、バショウだけでなく、
    他にも様々な漱石ゆかりの植物が植わっています。
    お越しになった際は、それらの植物も是非ご覧になってください。

    テーマ:その他    
  • 吾輩は犬派である-野村胡堂の証言-

    夏目漱石と言えば、何と言っても猫ですが、実は犬の方が好きだったというのは、
    銭形平次で有名な作家・野村胡堂(1882-1963)の証言です。
    このことは、昭和34(1959)年に刊行された
    『胡堂百話』(角川書店)に載っているものです。

    私が、はじめて夏目漱石氏の書斎を訪ねた時、漱石邸には猫はいなかった。(中略)
    「どうも、すっかり有名になっちまいましてね。
    (中略)私は、実は、好きじゃあないのです。
    世間では、よっぽど猫好きのように思っているが、犬の方が、ずっと、好きです」(中略)
    私は、はっきりと、この耳で聞いた。

    野村胡堂、本名野村長一(おさかず)は、岩手県紫波郡彦部町出身で、
    東京帝国大学法科大学を退学後、報知新聞記者となり、
    昭和6(1931)年より銭形平次を主人公とする
    数多くの長短篇を発表した時代小説家です。
    『胡堂百話』は、胡堂77歳のときの書き下ろしのエッセイ集ですが、
    胡堂の記憶は本当なのでしょうか。
    実は、胡堂が漱石邸を訪問したときの模様が、
    『報知新聞(夕刊)』大正4(1915)年8月25・26日号の連載コラム「楯の半面」に、
    「夏目漱石氏 猫の話絵の話」として掲載されています。
    当時、漱石は朝日新聞に「道草」を連載中。
    胡堂は33歳の報知新聞記者としての取材でした。

    気爽(きさく)に、
    「何でも問ふて下されば、お話しませう」と之には一寸困つた
    「お好なものは、時々お書きになる物にも出て来るやうですが、例へば猫とか文鳥とか……」と云へば
    「イヤ猫は飛んだ有名なものになりましたが、好きではありませんよ」と笑はれる。
    尤も決してお嫌ではないが、何方(どちら)かと云へば先生は犬がお好き、
    猫は夫人の方がお好なのだと云ふ、
    「アノ猫から三代目のがツイ此間まで居りました」と語る、
    遺憾ながら「吾輩の猫」の令孫にお目にかゝる事は出来なかつた。

    この記事は、無署名原稿だったため、これまであまり注目されてきませんでしたが、
    先の『胡堂百話』と内容がほとんど同じで、
    間違いなく胡堂が書いた記事であることがわかります。
    漱石の生存中に書かれた新聞記事として大変貴重なものです。
    なお、荒正人氏の『漱石研究年表』では、記者名を特定していませんが、
    8月16日(月)から18日(水)までの取材と推定しています。
    この前年10月31日には、漱石自ら命名した犬のヘクトーが死んでいます。
    「硝子戸の中」には、初めてもらわれてきた夜のこと、
    ジステンパーにかかって入院させたときのこと、犬の遊び仲間のことなどが、
    漱石のやさしい筆致で書かれています。
    3代目の猫も「硝子戸の中」に登場し、
    皮膚病から回復した真っ黒な猫でしたが、
    胡堂の取材までに亡くなったことがわかります。
    普通、鏡子夫人は猫嫌いだったとされ、本人の証言もありますが、
    漱石の目からは、自分よりは猫好きに見えたのかもしれません。
    胡堂による漱石への取材は、この後、絵画の話などに発展し、
    5分の取材予定が、1時間以上になり、胡堂は恐縮しながら辞去したと書いています。
    50年後、胡堂はこのときのことを思い返したのでしょう。

    「私は、ひょっとしたはずみで、猫の孫にも逢わず、漱石門下にも加わらなかったが、
    あの風格は、忘れ難いものがある。」

    胡堂が感じた強烈な印象と貴重な証言。夏目漱石は、犬派でした。
    (漱石山房記念館学芸員 今野慶信)

    写真1:
    熊本での漱石夫妻と愛犬 明治31(1898)年

    写真2:
    ヘクトー墓標

    漱石の俳句「我犬の為に 秋風の聞こえぬ下に埋めてやりぬ」
    が見える。松岡譲『ああ漱石山房』より。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石クイズにチャレンジ!

    今回は、漱石山房記念館で開催中の「漱石クイズ」をご紹介します。
    8月31日(火)までの期間限定で行われている、
    小中学生を対象にしたイベントです。
    ※5月31日(月)まで臨時休館のため、
    6月1日(火)より開始しております。
    ご来館いただき、
    夏目漱石に関するクイズにお答えいただくと、
    参加者全員に夏目漱石がデザインされている金メダルをプレゼントします。
    (図柄は2種類あり、お選びいただけます。)

    漱石メダル 表・横顔

    漱石メダル 表・正面

    漱石メダル 裏

    表面は2種類、
    裏面は共通で漱石山房記念館の外観がデザインされています。
    昨年に続き2度目の開催となりますが、
    前回もご好評をいただき、
    たくさんのお子様が挑戦してくださいました。
    漱石の人となりがわかる楽しいクイズです。
    家族のことや好きな食べ物にまつわるエピソード等々、
    きっと100年の時を超えて文豪を身近に感じていただけると思います。
    遠方へのお出かけが難しい昨今ですが、
    ご家族でお立ち寄りいただき、
    楽しいひと時をお過ごしください。
    ご来館をお待ちしております。
    【実施期間】令和3年6月1日(火)~8月31日(火)
    【休館日】 月曜日(祝日の場合は翌平日)
    および展示替期間の6月29日(火)、6月30日(水)
    【参加方法】
    1. 漱石山房記念館1階受付でクイズの問題用紙を受け取る。
    2. クイズに答える。漱石山房記念館の展示にヒントが隠れているかも?
    3. 漱石山房記念館地下1階事務室でクイズの答えと金メダルを受け取る。

    テーマ:イベント    
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その3

    政府による緊急事態宣言を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

    受付スタッフ河本のおすすめは、「漱石山房メモ帳」です。
    平成29年に漱石山房記念館が開館したときから販売しているグッズですので、
    オープニングから受付スタッフとして勤務している私にとって、
    一番馴染みが深いグッズです。
    私の父は元新聞記者だったので、文字を書くことが好きで、
    帰省するたびにこのメモ帳をプレゼントしていました。
    高齢の父にとってはマス目が少し小さすぎたようでしたが、
    マス目を気にせず自由に使っていました。
    一筆箋としても使える格調高いデザインが気に入っていたようです。
    現在、紙に文字を書く機会は少なくなっているかもしれませんが、
    若い方達にもこのメモ帳を手に取っていただき、
    久しぶりに手書きに親しんでいただけたら嬉しく思います。

    受付スタッフ佐藤のおすすめは
    「漱石のことば鉛筆」と、
    「夏目漱石「道草」草稿 絵はがき」、
    「夏目漱石「ケーベル先生の告別」原稿 絵はがき」の3点です。
    「漱石のことば鉛筆」に刻まれた「草枕」の一節
    「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
    意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
    はとても有名ですが、
    漱石の作品だと知らない方もいらっしゃるようで、
    来館者の方から
    「これって漱石のことばだったのね」
    とお声がけいただいたこともあります。
    レトロな木の温もりの良さを、
    漱石のことばとともに味わっていただければと思います。

    「夏目漱石「道草」草稿 絵はがき」と
    「夏目漱石「ケーベル先生の告別」原稿 絵はがき」はどちらも、
    漱石の手書き文字を手元で楽しめるグッズです。
    額に入れて飾れば、お部屋でミュージアム気分を味わえます。

    受付スタッフ栄森のおすすめは、
    「ミニトート『吾輩は猫である』」です。
    可愛らしい猫のデザインにひかれて、発売してすぐに購入しました。
    ナチュラルとネイビーの2種類あるのでとても迷いましたが、
    私は仕事用のサブバッグとして使いたかったので、
    汚れにくいネイビーを選びました。
    シンプルなデザインですので、
    『吾輩は猫である』のデザインに合わせて、
    漱石の缶バッジを付けてアレンジを楽しんでいます。
    実際に使ってみると布の手触りも良く、
    使い勝手の良い大きさだったのでお気に入りになりました。
    まだ新型コロナウイルス感染症が流行する以前、
    文学好きの集いにプライベートで参加したときに、
    さりげなく持って行ったら他の参加者の方々から、
    「素敵ね!」「どこで売っているの?」
    と声をかけてもらいました。
    また、友人たちへプレゼントしたところ、
    バッグインバッグとしても使えるサイズと好評でした。
    小ぶりですので近所をお散歩用の気軽なバッグとしても使いやすいと思います。

    今回ご紹介したミュージアムグッズの詳細は、
    こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間に、また外出ができるようになった時のお供としても、ぜひお楽しみください。

    テーマ:その他    
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その2

    政府による緊急事態宣言を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

     

    受付スタッフ山上のおすすめは、『漱石山房記念館ガイドブック』です。
    私は平成29年に漱石山房記念館が開館したときからのオープニングスタッフですが、
    まだまだ漱石については初心者です。
    受付スタッフは来館者の方から日々、とても多くのご質問をいただきますが、
    誤った情報をお伝えしてはならないので、このガイドブックを活用しています。
    このガイドブックは年表とともに漱石の生涯を映し出す人間関係や作品、資料、漱石山房の変遷など、
    基礎知識がわかりやすくコンパクトにまとまっていて、頼りになる1冊です。
    私のような初心者にはもちろん、すでに漱石に詳しい方でも、
    漱石の人生の軌跡がわかりやすくまとめられていますので、
    活用していただけるのではないかと思います。

    このガイドブックの記事で私が特に気に入っているのは、
    59~60ページの「漱石史跡めぐり」です。
    小学1年生から中学1年生まで神楽坂で育った私にとって、
    新宿と漱石のつながりは何よりも興味深いのですが、
    このページでは漱石の歩く姿が目に浮かぶような、
    楽しい史跡めぐりが紹介されています。
    幼いころからよく知っている場所でも、
    漱石とのゆかりがあることを知ってから再訪すると、一味違うものです。
    休日にはこのページに紹介されている場所を訪れて、
    漱石が見たであろう景色を、同じように感じる楽しみを味わっています。

     

    受付スタッフ秋間のおすすめも『漱石山房記念館ガイドブック』です。
    私も開館からのオープニングスタッフですが、
    開館当初はミュージアムグッズの品数も少なく、
    来館者の方から図録の販売を待ち望む声を多くいただきました。
    このガイドブックが発行されたとき、
    皆さまにとても喜んでいただけたことをよく覚えています。
    私もすぐにこのガイドブックを読み込んで、
    漱石について勉強しました。
    現在は来館者の方からいただいた質問から調べた内容を、
    付箋を使ってガイドブックに書き込んで活用しています。
    このガイドブックは本文を1回読めば、
    漱石について基本的な情報がわかる内容になっていますが、
    細かい記事まで読み込んでいくと、面白さが増してきます。

    『漱石山房記念館ガイドブック』と併せておすすめしたいのが『コミック新宿史』です。
    ミュージアムの刊行物は堅苦しいイメージがあるかと思いますが、
    この本はマンガで親しみやすい1冊です。
    架空の登場人物と実在の人物が交流しながら物語がすすんでいきますので、
    楽しく読むうちに新宿の文化的なこと全般がよくわかるようになっています。
    縄文時代から現代までの新宿の歴史・文化の流れを知ることができますので、
    『漱石山房記念館ガイドブック』と併せて読むことで、
    漱石が生きた明治・大正時代を取り囲む時代背景についても、
    俯瞰することができるのではないでしょうか。

    『漱石山房記念館ガイドブック』や『コミック新宿史』の詳細は、
    こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間に、また外出ができるようになった時のお供としても、ぜひお楽しみください。

    テーマ:その他    
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その1

    政府による緊急事態宣言の延長を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

    事務スタッフ長谷川のおすすめは、
    漱石山房記念館特別展図録『漱石山房の津田青楓』
    と、漱石山房記念館オリジナル絵はがきです。

    漱石山房の津田青楓展図録

    私は染色や手芸が好きなので、
    令和3年1月26日(火)~3月21日(日)に開催の
    特別展「漱石山房の津田青楓」で展示されていた
    津田青楓≪フランス刺繍花と鳥≫(大正2(1913)年、笛吹市教育委員会所蔵)
    を見てとても感動し、展示図録を購入しました。
    図録の魅力は展示ケースの中に入っていた時には見られなかった部分が掲載されていることです。
    例えば、展示ケースでは一場面だけの展示だった、
    津田青楓『九竹草堂絵日記』
    (大正6(1917)年(大正7年の作を含む)、笛吹市教育委員会所蔵)
    は、合計9場面分の絵が図録に掲載されていて、
    とてもユーモラスな日記だったことがわかります。
    また、キャプションをじっくり落ち着いて読むことができるのも、図録の醍醐味の一つです。
    図録の53ページでは、
    津田青楓≪漱石と十弟子≫(昭和51(1976)年、紙本着色)
    に描かれている人物の一人ずつに吹き出しでキャプションがつけられていて、
    どの門下生がどんな人物だったかがわかりやすく、
    思わずこの≪漱石と十弟子≫がデザインされている絵はがきも買ってしまいました。

    リメイクしたメモ帳

    絵はがきはミュージアムグッズの定番ですが、
    私はミニノートにリメイクして楽しんでいます。
    絵はがきとして使用してしまうと1度きりの楽しみで終わってしまいますし、
    ファイルに整理していたこともありましたが、たまに眺めるだけになってしまい、
    身近に置いて使えるものにリメイクしたらいつも楽しめるのでは?と思いつきました。

    ミニノートの作り方はとても簡単ですので、
    みなさんもおうち時間にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

    <ミニノートの作り方>
    材料:絵はがき1枚、裏表紙用の厚紙(絵はがきと同じサイズ)1枚、
    メモ用紙の紙(A5サイズくらい)5~6枚、両面テープ

    道具:カッターナイフ、カッターマット、定規、ホチキス、鉛筆、クリップ(2個)、発泡スチロール

    1.絵はがきの端から1センチの部分に鉛筆でしるしをつける。

    2.しるしに合わせて定規をあて、カッターナイフの裏側で軽く折り目をつける。
    ※刃を当てて切り離してしまわないよう、ご注意ください。

    3.折り目に合わせて定規をあて、しっかり折る。

    4. メモ用紙の上下をクリップで止める。

    5.メモ用紙の中央に絵はがきの折り目を開いて当てたら、下に発泡スチロールを敷いて、
    本を綴じるように折り目の上下2か所にホチキスの針を打ち込む。

    6.裏返してホチキスの針を閉じる。

    7.絵はがきの折り目に合わせてメモ用紙も半分に折る。

    8.絵はがきの折り目1センチ部分の内側に両面テープを貼る。
    このとき、はみ出した両面テープはカッターナイフで切り落とすと綺麗に仕上がります。

    9.裏表紙を両面テープにあわせて貼り付ける。

    10.不要な部分をカッターナイフで切り落とす。

    写真は絵はがきのデザインに揃えて切り落としていますが、
    絵はがきそのままの大きさに揃えて切り落とす方が楽に仕上がります。
    怪我をしないようにご注意ください。

    11.完成!

    漱石山房記念館の図録や絵はがきは、こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間をミュージアムグッズと一緒にお楽しみください。

    テーマ:その他    
  • 「松岡譲の漱石研究-岳父への想い-」見どころ紹介

    令和3年6月27日(日)まで開催の
    《通常展》テーマ展示「松岡譲の漱石研究-岳父への想い-」の見どころを紹介します。

    展示の詳細はこちらをクリック
    今回ご紹介するのは、松岡譲筆録・夏目鏡子述の単行本『漱石の思ひ出』です。

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』改造社、昭和3年

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』
    改造社、昭和3年

    漱石没後、鏡子未亡人が語る家庭における漱石の姿を松岡譲が筆録したものです。
    ご覧になったことがあるかたも多くいらっしゃるのではないでしょうか。
    鏡子未亡人の率直な語り口で綴られた本作は、
    漱石の実像が分かる資料として今も高い評価を受けています。
    松岡本人も、本書の刊行を
    「義母に対して最高の孝行をしたと信じて疑わない」
    (昭和43年9月26日付松岡譲個人宛書簡、2階資料展示室にて展示中)
    と後年回想しており、
    自信をもって出版したことが伺えます。
    本書は、雑誌『改造』に13か月にわたって連載された後、
    加筆・訂正され昭和3(1928)年に出版されました。
    その後、岩波書店、菊桜書院などからも出版されています。
    本の構成は、松岡の意図により出版社ごとに異なっています。
    岩波書店から昭和4年に刊行された際は、改造社版にはない、
    松岡の手により編まれた漱石の年譜が付け加えられています。

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』岩波書店、昭和4年

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』
    岩波書店、昭和4年

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』桜菊書院、昭和23年

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』
    桜菊書院、昭和23年

    当館の図書室では、展示室に展示している本と同様の、
    昭和3年に改造社から刊行された『漱石の思ひ出』と
    昭和4年に岩波書店から刊行された『漱石の思ひ出』を配架しております。
    ご興味ある方は、当館が開館しましたら読み比べのためにぜひご来館ください。
    お待ちしております。
    ※緊急事態宣言の発出を受け、
    漱石山房記念館は4月25日(日)から5月31日(月)までの間、臨時休館します。

    テーマ:漱石について    
  • ≪通常展≫テーマ展示「松岡譲の漱石研究‐岳父への想い‐」開幕しました

    漱石山房記念館に隣接する漱石公園の桜の花びらが舞い散る中、
    ≪通常展≫テーマ展示「松岡譲の漱石研究-岳父への想い-」が開幕しました。

    松岡譲の漱石研究看板

    松岡譲は、『漱石の印税帖』や『ああ漱石山房』など、
    夏目漱石に関する数多くの著作で親しまれている作家です。
    漱石とのはじめての出会いは大正4(1915)年、
    漱石山房で開かれていた文学サロン「木曜会」の時で、
    漱石と松岡の交流は約1年という短いものでしたが、
    漱石はその後の松岡の作家活動に大きな影響を与えました。
    生涯を通じて漱石研究に没頭した松岡が、岳父・漱石について記した文章をとおして、
    松岡からみた漱石像に迫ります。

    今回は平成29(2017)年に松岡の娘で漱石の孫にあたる半藤末利子氏から寄贈された
    「松岡・半藤家資料」を中心に展示しています。
    松岡譲『漱石先生』(岩波書店 昭和9年)に収録された「猫の墓」の原稿は、
    今回初めてお披露目する松岡譲の直筆資料です。
    その横には夏目漱石が門下生で俳人の松根東洋城に宛てた、
    「吾輩は猫である」のモデルとなった猫の死亡を知らせたはがきを展示しています。

    「猫の墓」とはこの猫の十三回忌にあたる大正9(1920)年に、
    夏目家で飼われた生き物たちを供養するため、
    漱石の長女・筆子の夫・松岡譲が造らせたものです。(注1)
    なお、このはがきは5月7日(金)以降はレプリカを展示予定ですので、
    実物をご覧になりたい方は5月5日(水)までにお越しください。

    また、新収蔵品のコーナーには、
    令和2年度に新しく収蔵した松岡譲≪漱石山房図≫(昭和18(1943)年 紙本着色)をはじめ、
    夏目家旧蔵の着物や、漱石が使用していた硯など、漱石ゆかりの資料を初公開しています。

    漱石公園猫の墓

    漱石公園の桜はそろそろ葉桜になりそうですが、新緑が美しい季節になりました。
    お散歩がてらぜひご来館ください。

    (注1)現在、漱石山房記念館に隣接する漱石公園にある猫の墓(猫塚)は、
    昭和20(1945)年の空襲で損壊した残欠を再興したものです。

    テーマ:お知らせ    
  • ボランティアレポート7 「硝子戸の中」について(後編)

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    夏目漱石「硝子戸の中」は漱石が晩年に住んだ早稲田の漱石山房の書斎で書いたものです。
    この小品に出て来るお寺、神社、建物、地名等は今でも残っています。
    前編の記事はこちらをクリック

    当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人家のない茶畠とか、
    竹藪とかまたは長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。
    買物らしい買物は大抵神楽坂まで出る例になっていたので、
    そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、
    それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、
    あの五、六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終薄暗かった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」二十より)

    牛込馬場下横町(現、新宿区喜久井町)辺りに住む人達の買い物は神楽坂へ行くのですが、
    矢来の坂を上り小浜藩酒井若狭守の屋敷の横を通って寺町を抜けるのです。
    幕府から拝領した屋敷は竹矢来で囲われたことから、現在の矢来町の名の由来となっています。

    今私の住んでいる近所に喜久井町という町がある。
    (中略)この町は江戸といった昔には、多分存在していなかったものらしい。
    江戸が東京に改まった時か、それともずっと後になってからか、
    年代はたしかに分らないが、何でも私の父が拵えたものに相違ないのである。
    私の家の定紋が井桁に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、
    父自身の口から聴いたのか、または他のものから教わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。
    (中略)私が早稲田に帰って来たのは、東京を出てから何年ぶりになるだろう。
    (中略)私は昔の早稲田田圃が見たかった。しかし其所はもう町になっていた。
    私は根来の茶畠と竹藪を一目眺めたかった。しかしその痕跡はどこにも発見することが出来なかった。
    多分この辺だろうと推測した私の見当は、当たっているのか、外れているのか、それさえ不明であった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」二十三より)

    漱石が十数年振りに生家のあった喜久井町を訪れると町は大きく変わっていて、
    根来(現・新宿区弁天町)の方まで拡がっていました。
    根来は江戸時代に幕府の鉄砲隊「根来組」の屋敷があった所です。
    喜久井町は夏目家の定紋が「井桁に菊」(正式には「平井筒に菊」)なのでそれにちなんで町名とし、
    更に近くの坂にも夏目の名をつけました。
    両方ともこの地域の区長を勤めていた、夏目漱石の父・夏目直克が付けたのです。
    夏目漱石誕生の地

    まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。
    猫がどこかで痛く嚙まれた米嚙を日に曝して、あたたかそうに眠っている。
    先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供たちは、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。
    家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、
    静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。
    そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。
    (夏目漱石「硝子戸の中」三十九より)

    冬の始めに書き始めた随筆も、春先の長閑な庭先を眺めながら終わります。
    早稲田南町の家の跡地には現在、新宿区立漱石山房記念館(新宿区早稲田南町7番地)が建っています。

    漱石山房記念館

    参考文献:『夏目漱石全集 9』1971年 筑摩書房
    ※引用文の表記は岩波文庫『硝子戸の中』(1933年初版、1990年改版)に従いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:立脇清)

     

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  • ボランティアレポート6 「硝子戸の中」について(前編)

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、
    赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、
    その他にこれといって数え立てるほどのものは殆んど視線に入って来ない。」

    と冬の庭の景色から始まる小品「硝子戸の中」は
    漱石が晩年に住んだ早稲田の漱石山房の書斎で書いたものです。
    この小品に出て来るお寺、神社、建物、地名等は今でも残っています。

    ヘクトーは元気なさそうに尻尾を垂れて、私の方へ脊中を向けていた。
    (中略)彼がいなくなって約一週間も経ったと思う頃、一、二丁隔ったある人の家から下女が使に来た。
    その人の庭にある池の中に犬の死骸が浮いているから引き上げて頸輪を改ためて見ると、
    私の家の名前が彫り付けてあったので、知らせに来たというのである。
    (中略)私は下女をわざわざ寄こしてくれた宅がどこにあるか知らなかった。
    ただ私の子供の時分から覚えている古い寺の傍だろうとばかり考えていた。
    それは山鹿素行の墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のように、古い榎が一本立っているのが、
    私の書斎の北の縁から数多の屋根を越して能く見えた。
    (夏目漱石「硝子戸の中」五より)

    早稲田南町の家で飼っていた犬のヘクトーがいなくなって一週間程経つと、
    寺の傍に住む女性が池に犬が浮いていると知らせてくれたのです。
    この寺は新宿区弁天町にある曹洞宗宗参寺のことです。
    境内には国の指定史跡「山鹿素行墓」と東京都指定史跡「牛込氏墓」、
    そして乃木希典の遺愛の梅「春日野」があります。
    宗参寺「春日野」

    彼は昔し寺町の郵便局の傍に店を持って、今と同じように、散髪を渡世としていたことが解った。
    「高田の旦那などにも大分御世話になりました」その高田というのは私の従兄なのだから、私も驚いた。
    (中略)「あのそら求友亭の横町にいらしってね、……」と亭主はまた言葉を継ぎ足した。
    「うん、あの二階のある家だろう」
    「ええ御二階がありましたっけ。あすこへ御移りになった時なんか、
    方々様から御祝い物なんかあって、大変御盛でしたがね。
    それから後でしたっけか、行願寺の寺内へ御引越なすったのは」
    この質問は私にも答えられなかった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」十六より)

    漱石が未だ子供の頃、従兄が牛込肴町(現、新宿区神楽坂5丁目)にある
    行元寺(原文、行願寺)の傍に住んでいました。
    行元寺は鎌倉時代からある天台宗の寺で、牛込氏の信仰を受けていましたが、
    明治40年に区画整理のため品川区西五反田4丁目へ引っ越しました。
    神楽坂にあった行元寺の跡地は花街となり、
    さらに現在は「寺内公園」という小さな公園になっていて、詳しい説明板があります。
    寺内公園

    私の旧宅は今私の住んでいる所から、四、五町奥の馬場下という町にあった。
    (中略)それから坂を下り切った所に、間口の広い小倉屋という酒屋もあった。
    (中略)堀部安兵衛が高田馬場で敵を打つ時に、此処へ立ち寄って、
    枡酒を飲んで行ったという履歴のある家柄であった。
    (中略)半町ほど先に西閑寺という寺の門が小高く見えた。
    赤く塗られた門の後は、深い竹藪で一面に掩われているので、
    中にどんなものがあるか通りからは全く見えなかったが、
    その奥でする朝晩の御勤の鉦の音は、今でも私の耳に残っている。
    ことに霧の多い秋から木枯の吹く冬へ掛けて、カンカンと鳴る西閑寺の鉦の音は、
    何時でも私の心に悲しくて冷たい或物を叩き込むように小さい私の気分を寒くした。
    (夏目漱石「硝子戸の中」十九より)

    漱石の生れた家は晩年に過ごした早稲田南町から四五町(500m)さきの
    牛込馬場下横町(現、新宿区喜久井町)にありました。
    跡地には門下生の安倍能成の揮毫した碑が立っています。
    江戸時代この辺りは辺鄙な所で西側の下高田村に「墨引」があったのです。
    「墨引」とは江戸御府内のおおよその境界を示すもので、
    絵図に黒色の線がひかれていて、幕府が定めたものでした。
    それでも土蔵造りの家が三四軒あり、生家の近くに酒屋があって、
    堀部安兵衛は助太刀に行く途中にこの店で枡酒を飲んだのです。
    そこから少し西に行くと高田八幡神社(穴八幡宮:新宿区西早稲田2丁目)があります。
    漱石が癇癪を起すと妻の鏡子が虫封じの札を貰ってきた神社です。
    その横が八幡坂で以前やっちゃ場がありました。
    「やっちゃ場」は青物市場の通称で、言葉の由来は「野菜場」ではなく、競り人の掛け声からきたものです。
    近くにあるもう一つの坂、夏目坂を少し上ると誓閑寺(原文、西閑寺:新宿区喜久井町)があります。
    浄土宗のお寺で境内には新宿区指定有形文化財に指定されている区内最古の梵鐘がありますが、
    漱石が「硝子戸の中」で書いている「御勤の鉦」とはこの梵鐘のことではありません。
    後編へつづく

    参考文献:『夏目漱石全集 9』1971年 筑摩書房
    ※引用文の表記は岩波文庫『硝子戸の中』(1933年初版、1990年改版)に従いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:立脇清)

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