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吾輩ブログ 一覧

  • お庭のザクロが実ってきました

    漱石山房記念館の前庭には、漱石の作品にちなんだ植物が植えられています。
    初夏の今時期は、ザクロの鮮やかな赤い花が受粉を終えて、
    果実に成長するかわいらしい姿を見ることができます。

    ザクロは、漱石作品『それから』の中で、
    主人公・代助の気分を表す場面に登場します。
    「柘榴(ざくろ)の花は、薔薇よりも派手にかつ重苦しく見えた。
    緑の間にちらりちらりと光って見える位、強い色を出していた。
    従ってこれも代助の今の気分には相応(うつ)らなかった。」

    (夏目漱石『それから』岩波文庫、138頁)
    暗調を帯びた気分の代助に、ザクロの花は、
    「余りに明る過(すぎ)るもの」、堪えがたいものと映ります。
    確かに、ザクロの花は濃い緑の葉の中で、
    小さいながらも力強く明るく咲いているように見えます。
    漱石山房記念館にお越しの際は、ぜひお庭の植物にも注目してみてください。
    小説の世界が広がります。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石の長襦袢

    漱石山房記念館では現在、令和4年6月12日(日)までの期間限定で、
    漱石の遺品の「長襦袢」と「硯」を特別公開しています。
    この長襦袢は平成29(2017)年の当館開館にあたって、
    半藤末利子名誉館長から寄贈されたものです。

    漱石の長襦袢


    半藤名誉館長は夏目漱石の門下生で作家の松岡譲と、
    漱石の長女・筆子の四女で、漱石の孫にあたります。
    『夏目家の糠みそ』、『漱石夫人は占い好き』(ともにPHP研究所)、『夏目家の福猫』(新潮社)など、
    夏目家に関するエッセイを多く執筆されており、
    この長襦袢の来歴については、著作『漱石の長襦袢』(文藝春秋)の中に詳しく記されています。
    『漱石の長襦袢』は当館ブックカフェや図書室にも配架されていますので、
    展示をご覧になった後に、ぜひお読みいただければと思います。

    昨年出版された著作『硝子戸のうちそと』(講談社)には、
    「漱石山房記念館」という一章が収録されており、
    当館の「整備検討会」や「完成を祝う会」の事なども記されています。
    また、5月24日放映のテレビ朝日『徹子の部屋』で語られた、
    夏目漱石のエピソードは「一族の周辺」の章に、
    夫の半藤一利さんとのエピソードは「夫を送る」の章に綴られています。
    『硝子戸のうちそと』も当館図書室でお読みいただけるほか、
    ミュージアムショップでも販売しています。

    半藤名誉館長の夏目家に関する著作はどれも、
    漱石の孫ならではの貴重なエピソードが描かれています。
    番組をご覧になってご興味を持たれた方は、お手に取ってみてはいかがでしょうか。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石の言葉

    当館の2階通路展示室では、漱石の作品や、門下生・友人に宛てた手紙の中から、
    漱石の言葉をご紹介しています。
    小説の登場人物に託した漱石の想い、門下生や友人に示した漱石の人生観など、
    漱石がのこした言葉をご覧いただけます。

    今回はその中からいくつかご紹介したいと思います。

    僕は常に考えている。「純粋な感情程美しいものはない。美しいもの程強いものはない」と。
    (「彼岸過迄」明治45年)
    熊本より東京は広い。東京より日本は広い。・・・・・日本より頭の中の方が広いでしょう。
    (「三四郎」明治41年)
    智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。                         (「草枕」明治39年)
    余は吾(わが)文を以て百代の後に伝えんと欲するの野心家なり。
    (森田草平あての手紙 明治39年10月22日)
    『定本 漱石全集』(岩波書店)より

    一度は耳にした言葉もあったでしょうか。
    漱石は1867年に生まれ、1916年に生涯を閉じました。
    今から百年以上前の世を生きていた訳ですが、私たちにも共感できる言葉が多く、
    親近感を覚えると同時に、未来を見通していたかのような言葉にどきりとさせられたりもします。
    来館者アンケートでも、この展示が印象深かった、
    漱石の言葉が胸に刺さった等の感想を数多くいただきます。

    また、当館ミュージアムショップで販売している「漱石の言葉 日めくりカレンダー」
    には1日から31日まで毎日一つずつの漱石の言葉が入っています。
    今回ご紹介した以外にもたくさんの言葉に巡り合うことができます。
    ぜひ漱石山房記念館で、「漱石の言葉」に出会い、気に入った言葉を胸にお持ち帰りください。
    商品の詳細はミュージアムショップのページをご覧ください。

    テーマ:漱石について    
  • テーマ展示「漱石のミチクサー『道草』草稿を中心にー」みどころ 後編

    展覧会の見どころ・後編は、「第2章 草稿を読む」のコーナーをご紹介します。
    ここからは朝日新聞に掲載された文章と、
    当館所蔵の「草稿」の文章を比較して見ていきます。
    展示するのは、健三・御住(おすみ)夫婦の関係にかかわる新聞掲載回第19回、第23回、
    姉の夫・比田にかかわる第27回、28回、兄・長太郎にかかわる第36回、37回などの草稿です。

    書き直しの跡がよくわかる第27回の部分を見てみますと、
    冒頭の部分が数行書いては5回も原稿用紙を変えて書き換えられて、
    はじめに原稿1枚目に書かれていた比田と兄・長太郎の会話の部分は、
    定稿(新聞社に入稿された完成原稿)では2枚目のはじめに移り、
    1枚目に比田の軽薄さがわかる文章がまとめられたことがわかります。
    道草の草稿は、読みやすく文字におこした翻刻が岩波書店の
    『定本 漱石全集 第26巻』に掲載されているので、
    現存する草稿すべてを読むことができるのですが、
    原稿用紙の上のインクの染みや英語の書き込みは、
    実物にあたらないとわかりません。
    草稿を読んでいくと、
    枚数を重ねるごとに研ぎ澄まされていく文章はスリリングでワクワクします。
    書き渋った箇所には漱石のこころの揺れを感じ、
    文豪・漱石を身近に感じられます。
    展覧会は7月3日(日)までです。
    大正4(1915)年に『道草』の草稿が書かれた地に建つ、
    漱石山房記念館の展示会場で、漱石の息吹を感じてください。
    皆様のご来館をお待ちしております。

    テーマ:漱石について    
  • テーマ展示「漱石のミチクサー『道草』草稿を中心にー」みどころ 前編

    当館所蔵品の目玉である『道草』草稿をテーマにした展覧会
    (会期:令和4年4月14日(木)~7月3日(日))が開幕しました!
    まずはじめに、「草稿」とは、新聞社に入稿されずに書き潰しとなった原稿です。
    漱石の推敲過程を知る上で貴重な資料です。
    大正4(1915)年に書かれた『道草』の草稿は、
    全国の図書館や文学館などに分かれて、現在245枚の現存が確認されています。
    当館は朝日新聞全102回の連載のうちの12回分、70枚弱を所蔵しています。
    今回はできるだけ多くの草稿を皆さんにごらんいただきたく、
    狭い会場ではありますが、53枚の草稿を展示しています。
    直筆の資料を保護するために、前期(5月22日まで)・後期(5月24日から)で
    実物と複製(レプリカ)を展示替えし、
    会期を通じて直筆の草稿53枚をご覧いただけます。
    展示会場は2章で構成しています。
    「第1章 あらすじと登場人物」では
    「道草」が漱石の実体験に基づいた小説であることを確認するため、
    漱石の家系図に道草登場人物をなぞらえたパネルを展示しています。

    道草の主人公・健三は、兄や、姉の夫の比田と協力して、
    金銭を要求してくる離縁した養父・島田との交際を断つことに成功します。
    これと似たことは、実際に漱石の身の上にもおこっています。
    物語の中の兄の若い妻の話などが実体験に基づいていることは、
    このパネルの漱石の家族の年齢をご覧いただくとよくわかるかと思います。
    このコーナーには作品のモデルとなった
    漱石の生家への復籍に係わる書類の写真も展示しています。
    『道草』は家族の「片付かない」物語でもありますが、
    漱石の生い立ちや複雑な家系図は、その物語を読み解くヒントになるでしょう。
    (「テーマ展示「漱石のミチクサー『道草』草稿を中心にー」みどころ 後編」へ続く)

    テーマ:漱石について    
  • 漱石公園の桜が見頃を迎えました

    漱石山房記念館に隣接している漱石公園には、桜(ソメイヨシノ)の木が2本あります。
    今年、令和4(2022)年は3月27日(日)に東京の桜の満開宣言がありましたが、
    漱石公園の桜も満開の見頃を迎えています。

    漱石公園

    令和4年3月29日(火)撮影

    漱石公園

    令和4年3月29日(火)撮影

    今週末の4月2日(土)には漱石山房記念館で「レガスまつり2022」を開催します。
    当日は展示室への入館がどなたでも無料になるほか、
    記念品(絵はがき)の配布や、参加申込不要・無料の朗読会、
    事前申込制・有料(1回2,000円)の製本ワークショップも開催予定です。

    ・朗読会 漱石文学・その珠玉の小品世界と「漱石先生」の詳細はこちらをクリック
    ・製本ワークショップ 初めてでもできる!美しいブロックメモノートづくりの詳細はこちらをクリック

    製本ワークショップは13時~14時30分の回がすでに満席となりましたが、
    15時30分~17時の回はまだ若干の空席があります。
    開催直前となりましたので、お電話での受付も可能です。
    参加ご希望の方は漱石山房記念館(03-3205-0209)へご連絡ください。

    「レガスまつり2022」は新宿歴史博物館や林芙美子記念館、コズミックスポーツセンターなど、
    新宿区内のさまざまな文化施設で開催します。
    他の施設のレガスまつりの詳細はこちらをクリック
    お花見がてら、区内の文化施設を巡るお散歩はいかがでしょうか。

    テーマ:その他    
  • レガスまつり2022が開催されます

    きし」「くしゅう」「ポーツ」など様々な分野にわたるプログラムが楽しめる
    「レガスまつり2022」が4月2日(土)に開催されます。
    漱石山房記念館では、一日限りの観覧料無料に加え、
    展示観覧者全員に記念品(「漱石山房再現展示室」のポストカード)の
    プレゼントをご用意しております。

    地下1階の講座室では、
    製本ワークショップ朗読会を予定しています。
    また、レガスまつり特別企画として、
    4月2日(土)~5月8日(日)の期間中、
    謎解きイベント「レガス謎解きさんぽみち」を実施します。
    ブックレットを手に入れて、
    指定された新宿区内の各コースを巡りながら謎を解いた方には、
    オリジナルマグネットをプレゼントします。

    漱石山房記念館オリジナルマグネット

    コースは3種類あり、漱石山房記念館が含まれる
    「のんびり戸山コース」は、大久保スポーツプラザ、
    新宿コズミックセンター、戸山生涯学習館の合計4カ所を巡ります。
    ブックレットは全ての施設で配布しますので、
    どの施設からもスタートできます。
    他には、「しっとり落合コース」「ゆったり四谷コース」があります。
    各コースの施設ごとにマグネットのデザインが異なりますので、
    ぜひ集めてみてください。
    さらに、3つのコースを全て巡り、全問正解した方は、
    特別プレゼントにもご応募いただけます。
    詳細はこちら
    春の装いを感じる季節になってきました。
    お散歩がてら、ぜひ漱石山房記念館へ足をお運びください。

    テーマ:イベント    
  • ボランティアレポート9 福田先生の教え

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    長く続くコロナ禍のおかげで、自宅で過ごす時間が増えました。
    ぽっかりと空いた時間にふと、遠くなった自分が思い出されます。
    郷愁に誘われる、というのでしょうか。懐かしい日々が蘇ってきます。

    漱石の作品「永日小品」の「紀元節」という本当に短い文章が好きです。
    読まれた方も多いかと思います。書かれているのは学校での一コマです。
    私はこの作品にしっとりとした優しさを感じます。

    夏目漱石「永日小品」収録『四篇』
    明治43(1910)年、春陽堂

    小学生も学年が上がると先生にあだ名をつけたりしてからかうことを覚えます。
    時には馬鹿にもします。私もそうでした。
    先生のちょっとした癖をクラスメイトと笑ったりしたものです。
    そんな教室の雰囲気は漱石の明治時代も、私が育った昭和時代も、
    そして、おそらくは令和の時代も変わらないのではないでしょうか。
    子どもはいつの時代も大人をからかうものです。
    やがて、その子は大人になり、かつての自分を思い出し、若かったことを恥じる時があります。
    既に漱石の年齢を越えた私ですが、顔から火が出るような思い出は多く、
    また、いまだに恥の上塗りを続けています。

    「紀元節」の中で福田先生は、黒板に「記元節」と書いたのを
    「後から三番目の机の中程にいた小供」に「紀元節」と直されたことに気付きます。
    そして、「誰か記を紀と直した様だが、記と書いても好いんですよ」と言うのです。
    それは、記を紀と直した小供に謙虚ということを教えたように思えます。
    福田先生も謙虚であったことがわかります。

    知恵をひけらかすことの恥ずかしさをやんわりと諭した
    (実際には福田先生は諭してはいないのでしょうが……)、
    爺むさい福田先生は、その小供が大人になってもなお、
    「思い出すと下等な心持がしてならない」という人間に育てたのでした。

    目立つことなく、それでいて、心のどこかに確かに残るもの。
    福田先生を思うと、過去の恥ずかしい自分が浮かんできます。
    「紀元節」はさりげなく、懐かしい日々を思い出しながら自分と向き合うことを教えてくれます。

    ※引用文の表記は新潮文庫『文鳥・夢十夜』(昭和51年初版、平成14年改版)
    に収録されている「永日小品」に従いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:井上公子)

    テーマ:その他    
  • 夏目漱石誕生記念朗読会の動画を撮影しました

    当館では毎年、館内で活動している朗読団体にご協力いただき、
    新暦2月9日の漱石の誕生日を記念した朗読会を開催しています。

    昨年度は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
    インターネット上での動画配信のみ行いましたが、
    今年度こそはお客様をお招きしての朗読会を開催したいという願いをこめて、
    朗読団体の皆さまと数ヶ月前から準備をすすめてまいりました。

    しかし、オミクロン株の影響で新型コロナウイルスの感染状況は落ち着かず、
    2月9日(水)に予定していた「夏目漱石誕生記念2月9日朗読会」は残念ながら中止。
    当日、無観客の会場で撮影した朗読動画を、後日インターネット上で配信する形になりました。

    この日のために一所懸命に練習を積んでいただいた朗読団体の皆さまが、
    心を込めて作品を朗読してくださいました。

    当館名誉館長の半藤末利子氏と、昨年亡くなられた夫の半藤一利氏による、
    漱石にまつわる作品も許可を得て朗読しています。
    朗読作品の詳細はこちらをクリック

    撮影した動画は3月下旬ごろの配信開始を目指して、鋭意編集中です。
    新宿未来創造財団公式YouTubeチャンネル「レガスちゃんねる」から無料でご覧いただけます。
    レガスちゃんねるby新宿未来創造財団はこちらをクリック
    配信を開始しましたら、漱石山房記念館ウェブサイトでお知らせしてまいります。

    このたび「漱石誕生記念2月9日朗読会」へ参加申し込みをいただいた皆さまには、
    イベントにお越しいただくことができず、誠に申し訳ありませんでした。
    来年度こそは2月9日に漱石誕生記念朗読会を実施できることを願っています。

    テーマ:イベント    
  • 2月9日は夏目漱石の誕生日です

    「夏目漱石誕生之地」碑


    今日2月9日(水)は漱石の誕生日です。
    漱石は、慶応3(1867)年1月5日(新暦では2月9日)、
    江戸牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)の名主・夏目小兵衛直克の五男として生まれました。
    漱石が生まれた年は、その年の11月に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜により大政奉還が行われ、
    世の中が大きく変わろうとしている頃のことでした。
    漱石は「金之助」と名付けられますが、
    それは生まれた日時が干支で庚申(かのえさる)の日の申の刻
    (午後4時またはその前後を含む2時間)にあたり、
    このときに生まれた子どもは大変出世するか、さもなくば大泥棒になる、
    それを避けるには名前に金偏の字を入れればよいとの俗信に従ったためでした。

    漱石没後に出版された漱石の妻・鏡子夫人が語る
    『漱石の思い出』には、以下のように記されています。

    「夏目は慶応三年正月五日に生まれたのですが、
    それが申の日の申の時に当たっていました。
    その申の日の申の刻に生まれたものは、
    昔から大泥棒になるものだが、それを防ぐには
    金偏のついた字を名につければよいという言い伝えがあって、
    それで金之助という名をつけたということです。
    そのかわりえらくなればたいそう出世するものだとこういうのです。」

    名前の略称は「金」で、漱石は後年も親しい友人や弟子に宛てた書簡では、
    この一文字で署名することもありました。

    現在、漱石の生家跡地には、
    漱石門下生・安倍能成(あべ・よししげ)の筆による
    「夏目漱石誕生之地」の文字が刻まれた記念碑が建てられています。
    記念碑は、東京メトロ早稲田駅(2番出口)からでてすぐ、
    早稲田前交差点から夏目坂をのぼりかけた左手側にあります。

    写真には記念碑のほかに、碑を囲む赤レンガが写っています。
    このレンガは漱石の家の蔵に使用されていたものと伝わっており、
    昔の名残を偲ぶことができます。
    なお、当館にも同じ赤レンガが保管されておりますが、
    常時展示はしておりません。

    ※引用文の表記は夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思い出』文春文庫(1994年)
    の表記に従いました。

    テーマ:漱石について    
  • テーマ展示「漱石からの手紙」みどころ

    夏目漱石は多くの手紙を書いていたことが知られています。
    今回は展示している手紙の中から、
    漱石の親友・正岡子規宛ての葉書を紹介します。

    夏目金之助 正岡常規宛て葉書
    明治28(1895)年5月30日消印(裏面)


    明治28(1895)年5月30日消印の葉書は、
    漱石が松山の中学校に着任直後、
    結核療養のために入院していた子規に宛てたものです。
    この葉書には七言律詩の漢詩が書かれていますが、
    これは2日前消印の手紙に書かれていた4首の漢詩に続くものでした。
    そしてそこにはひとり東京を離れて
    松山に赴任した漱石が抱えていた
    寂しさや緊張感など複雑な思いがつづられていました。
    葉書は明治2(1869)年にヨーロッパで誕生し、
    日本では明治6(1873)年に取り入れられた新しい郵便制度です。
    現在ならばSNSにあたるものでしょうか。
    漱石の葉書も、江戸時代から明治初期にかけ
    漢学教育を受けた日本の文化人が用いた漢詩を、
    新しい通信手段を使って親友に送ったと考えると、
    興味深いものがあります。

    テーマ:漱石について    
  • ボランティアレポート8 朗読会 大波小波この二年 マスクの下はみんなの笑顔!

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    「ふみのしおり」は新宿歴史博物館ボランティアガイドで結成された朗読会です。
    御多聞にもれず、ふみのしおりにも新型コロナの波が押し寄せました。

    令和元(2019)年
    まださざ波にもなっていなかったこの年は、ふみのしおり結成10年の節目の年。
    大小9つの朗読会を開催しました。
    10月26日(土)新宿歴史博物館で開催した「10周年記念朗読会」には、
    吉住健一新宿区長がサプライズ出演してくださり、
    夏目漱石「こころ」の朗読を聴かせて頂く幸運に恵まれました。
    今から思うと本当に平穏な日々でした。

    令和2(2020)年
    状況は一転し、すべての朗読会が延期、中止となりました。
    目標を失いモチベーションが下がっていくメンバー。
    そんな中「ふみのしおりに活動の場を」と新宿歴史博物館のはからいで
    6本の朗読動画を林芙美子記念館のWebサイトに掲載して頂けました。
    林芙美子記念館のWebサイトはこちらをクリック

    令和3(2021)年
    例年、漱石山房記念館で夏目漱石の新暦の誕生日にちなんで開催されてきた「2月9日朗読会」は、
    新宿未来創造財団の公式YouTubeチャンネル「レガスちゃんねる」での動画配信のみとなりました。
    レガスちゃんねるby新宿未来創造財団はこちらをクリック
    4月24日(土)それまで2度の延期の憂き目にあった「ひなまつり朗読会」テーマ~木曜会の人びと~が、
    漱石山房記念館で開催出来ました。
    しかし翌25日からは緊急事態宣言発令で閉館、というまさに小波状態のきわどいタイミングでした。
    秋、第五波と言われた大波が去った頃、少しずつオファーが来るようになりました。
    11月28日(日)「第9回にしおち朗読会」開催。
    西落合図書館が対面事業の初回として設定くださり、定員の7割のお客さんが来場。
    「久しぶりに生の声が聴けて嬉しかった」などの感想が寄せられました。

    令和4(2022)年
    まだまだ予想される大波小波を皆さまと一緒にサーファーのようにうまく乗り切って行けたらと、
    三つの朗読会出演を予定しています。

    北新朗読会 初春~夏目漱石特集~
    日時:1月29日(土)14時~15時15分
    会場:北新宿生涯学習館3階 学習室A
    「吾輩は猫である」「坊っちゃん」のほかに、
    ふみのしおりオリジナル「漱石作品イントロ当てクイズ」も予定。
    作品の冒頭部分 Q「山路を登りながら、こう考えた…」 A「はい!草枕です」といった感じで、
    会場のお客様と盛り上がろうと考えています。
    参加方法などの詳細はこちらをクリック

    夏目漱石誕生記念 2月9日朗読会
    ※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、映像配信のみに変更となりました。
    漱石山房記念館で活動している4つの朗読団体が共演します。
    ふみのしおりからは2名が出演し、
    夏目漱石「永日小品」より「猫の墓」
    半藤末利子『夏目家の糠みそ』より「“漱石ゆかり”の宿」
    をお楽しみ頂きます。
    詳細はこちらをクリック

    第10回 ひなまつり朗読会「思わずにっこりほっこりするお話」
    ※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開催中止となりました。
    後日改めて開催する予定ですので、詳細が決まりましたらお知らせします。

    日時:2月19日(土)14時~15時30分
    会場:漱石山房記念館 地下1階講座室
    菊池寛、夢野久作、宮沢賢治ら9人の作品をご紹介します。
    ワハハ、にっこり、クスリっ、うふふ……なんでも良いです。
    みなさまのマスクの下がちょっぴり笑顔になれますよう、
    メンバー一同これからも精進したいと思っています。
    参加方法などの詳細はこちらをクリック

    (漱石山房記念館ボランティア:岩田 理加子/ふみのしおり主宰)

    テーマ:その他    
  • 夏目漱石の千円札

    現在、日本で発行されている千円札の表面には、
    細菌学者の野口英世の肖像が描かれています。
    これは平成16年から使われているものですが、
    夏目漱石の肖像が描かれた、
    1つ前の千円札を覚えている方も多いのではないでしょうか。
    この夏目漱石の千円札は、昭和59年に発行が開始し、
    平成19年に支払い停止となりました。
    ※「支払停止」とは、日本銀行から市中銀行へそのお札の支払いを停止することです。

    お札は、硬貨と違い「記番号」と呼ばれるシリアルナンバーが1枚1枚に印字されており、
    頭にアルファベットが1文字または2文字、次に6桁の数字、
    末尾にアルファベット1文字というように組み合わされています。
    この数字の部分が「777777」などのようにゾロ目が揃っていたり、
    「123456」などのように並んでいたりするものは希少とされ、
    コレクターの間では高値で取引されることがあります。
    中でも、最初のアルファベットが「A」で、なおかつ数字が「000001」などのように
    1桁のものは特に貴重とされており、新しいお札が発行された時には、
    「A000001A」番のものは日本銀行が設立した貨幣博物館に納め、
    その後の2番以降の若い番号は、肖像が描かれた人物ゆかりの団体や、
    人物以外に印刷された意匠とかかわりの深い団体などに配布されることが通例になっています。

    現在(令和3年)使用されている1万円札(肖像:福澤諭吉)の「2番」は、
    福澤諭吉が創立した慶應義塾に配布されています。
    5千円札(肖像:樋口一葉)の「2番」は、
    樋口一葉がかつて荒物・駄菓子屋を開いたゆかりの地であり
    「一葉記念館」もある台東区に配布されています。
    千円札(肖像:野口英世)の「2番」は、
    福島県にある野口英世記念館に配布されました。

    そして、夏目漱石が描かれた1つ前の千円札の「2番」は、
    漱石が生まれ、亡くなった地である、ここ新宿区に配布されました。
    この「2番」の千円札は、今でもこの新宿区立漱石山房記念館の収蔵庫で、
    大切に保管されています(常時展示しているわけではありませんので、ご注意ください)。

    千円紙幣D号券A000002A

    テーマ:漱石について    
  • 漱石のお墓と芥川龍之介「年末の一日」

    漱石山房記念館では一昨年に続いて、12月9日の漱石忌に、
    夏目漱石のお墓のある雑司ヶ谷霊園を訪れる文学さんぽを実施しました。
    ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

    文学さんぽの様子

    芥川龍之介は「年末の一日」という作品のなかで、
    12月のある日に漱石のお墓参りをする情景を描いています。

    「K君のお墓と言ったのは夏目先生のお墓だった。
    僕はもう半年ほど前に先生の愛読者のK君にお墓を教える約束をしていた。
    年の暮にお墓参りをする、――それは僕の心もちに必ずしもぴったりしないものではなかった」

    「僕」は友人で新聞記者の「K君」と連れ立って夏目漱石のお墓参りに出かけますが、
    雑司ヶ谷霊園に到着しても、漱石の墓が見つかりません。

    「僕等は終点で電車を下り、注連飾りの店など出来た町を雑司ヶ谷の墓地へ歩いて行った。
    大銀杏の葉の落ち尽した墓地は不相変きょうもひっそりしていた。
    幅の広い中央の砂利道にも墓参りの人さえ見えなかった。
    僕はK君の先に立ったまま、右側の小みちへ曲って行った。
    (中略)が、いくら先へ行っても、先生のお墓は見当たらなかった。
    「もう一つ先の道じゃありませんか?」
    「そうだったかも知れませんね」
    僕はその小みちを引き返しながら、毎年十二月九日には新年号の仕事に追われる為、
    滅多に先生のお墓参りをしなかったことを思い出した。
    しかし何度か来ないにしても、お墓の所在のわからないことは僕自身にも信じられなかった」

    雑司ヶ谷霊園はとても広いので、道に迷ってしまう気持ちも少しわかるような気がします。

    「何度も同じ小みちに出入した後、僕は古樒を焚いていた墓地掃除の女に途を教わり、
    大きい先生のお墓の前へやっとK君を連れて行った。
    お墓はこの前に見た時よりもずっと古びを加えていた。
    おまけにお墓のまわりの土もずっと霜に荒されていた。
    それは九日に手向けたらしい寒菊や南天の束の外に何か親しみの持てないものだった。
    (中略)「もう何年になりますかね?」
    「丁度九年になる訣です」
    僕等はそんな話をしながら、護国寺前の終点へ引き返して行った」

    墓地掃除をしていた女性に尋ねてやっと漱石のお墓をみつけた二人は、
    なんとか無事にお墓参りを済ませますが、
    現在は都立霊園公式Webサイトから地図をPDFでダウンロードすることができます。

    「都立霊園公式サイトTOKYO霊園さんぽ」の
    雑司ヶ谷霊園の園内マップはこちらをクリック

    霊園は、故人が眠る、慰霊の場所です。
    霊園めぐりのマナーを守って静かに散策していただくようお願いいたします。

    ※引用文の表記は芥川龍之介『戯作三昧・一塊の土』新潮文庫(昭和43年初版、平成23年改版)収録の
    「年末の一日」に従いました。

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  • 特別展図録『永遠の弟子 森田草平』のご紹介

    現在開催中の漱石山房記念館特別展
    『永遠の弟子 森田草平』の展覧会図録についてご紹介します。
    夏目漱石の門下生の一人である森田草平は、
    2021年に生誕140年を迎えました。
    彼の代表作『煤煙(ばいえん)』は平塚らいてうとの
    心中未遂事件の顛末を小説にしたものですが、
    今回の図録の表紙デザインは、この『煤煙』第2巻のジャケットからとられています。
    作品中、象徴的に登場する、かつて小石川後楽園にあった
    東京砲兵工廠の煙突とそこから出る煙が描かれています。
    会場には『煤煙』第1巻から第4巻が展示中ですが、
    ジャケット写真が図録にも収められていますので、
    それぞれの表紙デザインをご覧いただけます。

    B5判 41頁 オールカラー印刷 価格 400円(メンバーズ価格 320円)(税込)
    特別展期間中(~11月28日(日))限定で、
    漱石山房記念館ガイドブックと2冊セット通常価格1200円⇒特別価格800円(税込)で
    販売中です。通信販売もご利用できます。

    論考として、『「新しい女」の到来-平塚らいてうと漱石』(名古屋大学出版会 1994年)や
    『詳註煤煙』(国際日本文化研究センター 1999年)などで知られる
    佐々木英昭先生(元龍谷大学教授)の文章
    「「迷惑」の功名―“父”漱石と“愛人”らいてう」を収録しています。
    展示中の当館所蔵原稿「漱石先生とフオルスタッフ」
    (『沙翁復興』7号、1934年)の読み解きなどもあり、
    大変興味深くお読みいただけます。
    巻末には草平の短篇「病葉(わくらば)」の全文を収録しています。
    この作品は若き草平と漱石との師弟関係の始まりとなった記念碑的な作品です。
    草平が漱石から初めてもらった手紙には、
    「病葉」を読んだ漱石からの感想が綴られていますが、
    草平が既に妻を持っていること、ロシア文学を無暗に読んだことが推測されており、
    それらが図星であったことから草平を驚かせました。
    この手紙の実物は特別展会場でご覧いただけるとともに、
    図録にも全文掲載されております。
    なお、図録に文学作品を収録するのは異例ですが、
    草平作品は現在、新刊では買えないという理由もあり、
    ぜひ皆さまにお読みいただきたいという、
    本展示担当学芸員の熱い想いから収録にいたりました。
    図録をお楽しみいただくとともに、
    展示資料のすべては収録されておりませんので、
    ぜひ記念館にも足をお運びいただき、
    漱石永遠の弟子を自認した森田草平の世界を実際にご覧いただけますよう、
    心よりお持ちしております。

    テーマ:漱石について    
  • 《特別展》「永遠の弟子 森田草平」見どころ紹介

    現在開催中の《特別展》「永遠の弟子 森田草平」の見どころをご紹介します。
    展示の詳細はこちらをクリック
    夏目漱石の門下生の一人、森田草平(本名米松)は、今年で生誕140年を迎えました。
    草平の作品の中に「自叙小伝」(『明治大正文学全集』第29巻、春陽堂、昭和2年)
    というものがあります。
    草平の半生が彼自身の言葉で簡潔にまとめられ、資料的にも貴重なことから、
    文章の抜粋を展示パネルに多用しました。
    このため前半は草平の「一人語り展示」の趣きを持たせました。

    展示風景

    第1章「文学者としてのスタート」
    草平は、早くから文学を志しましたが、東京帝国大学英文学科に入学した明治36(1903)年、
    たまたま選んだ本郷区丸山福山町(現文京区西片町)の下宿が、
    樋口一葉が「たけくらべ」を執筆した場所であることを知り、
    文学者としての未来が保証されたかのように有頂天になります。
    図録に掲載することは出来ませんでしたが、会場で展示している「森田草平関係地図」で、
    草平の住居変遷などを確認してください。
    第2章「永遠の師との出会い」
    明治38(1905)年暮れ、草平は、自ら執筆した短篇「病葉(わくらば)」の批評を請うため、
    千駄木の漱石邸を訪問します。
    漱石から12月31日付けで長文の適切な批評をもらい感激した草平は、
    以後漱石の弟子となることを決意し、漱石の下に出入りします。
    明治40(1907)年7月、漱石から新たな筆名「草平」を命名してもらいます。
    展示ではこの筆名の由来となった漢詩七字を記した漱石の葉書(寄託資料)を展示しています。
    草平の短篇「病葉」は、漱石が批評した初出の『芸苑』創刊号(明治39年1月)
    (日本近代文学館蔵)を展示し、図録にも全文掲載しました。
    なお、漱石の書簡などは長文のため釈文が長くなってしまうので、
    会場では釈文プリントを配布しています。
    第3章「煤煙事件の余波」
    明治41(1908)年3月、閨秀文学会の講師だった草平は、
    聴講生だった平塚明(はる。のちのらいてう)と駆け落ち事件を起こします。
    草平の代表作となる「煤煙」は、この心中未遂の顛末を小説にしたもので、
    漱石の奨めによったものでした。
    展示では、事件を報道した『東京朝日新聞』や新聞連載時の「煤煙」の切り抜き、
    単行本となった『煤煙』全4巻の初版本、
    漱石から草平への書簡及び小宮豊隆への草平の葉書(みやこ町歴史民俗博物館蔵)
    などを展示しています。
    なお、草平は『輪廻』などの長編小説の他、
    鈴木三重吉主宰の『赤い鳥』に掲載した「鼠の御葬らひ」などの児童文学、
    そしてイプセンなどの数多くの外国文学の翻訳、
    更に『豊臣秀吉』などの歴史小説も発表しています。
    ここではそれらの未発表原稿も含め、草平作品の一部を展示しています。
    第4章「漱石山房の森田草平」
    草平は、漱石作品の研究の他、漱石の伝記や漱石に関する随筆も多く発表しています。
    著書の『夏目漱石』『続夏目漱石』(以上、甲鳥書林、昭和17・18年)は、
    同門の小宮豊隆による『夏目漱石』(岩波書店、昭和13年)とは
    好対照な内容として評価があります。
    また、本コーナーでは、門下生たちによる草平を追憶した資料を展示紹介しています。
    同門の内田百閒による「実説艸平記」(昭和25年)には
    「いつでも金縁眼鏡を掛けてゐて、銀縁の私にお説教する。
    銀縁はおよしなさい。見つともないだけでなく、
    外した後に黒い形がついたり、さはりが悪い。
    眼鏡は金縁に限つたものですよ。
    体裁ばかりでなく、鼻や耳にあたる工合が柔らかくて、
    矢つ張り金と云うものはいいですなあ。」

    とある草平愛用の金縁の丸眼鏡を、草平の生まれ故郷岐阜市の森田草平記念館からお借りし、
    展示しています。
    第5章「朝日文藝欄」
    漱石が主宰で、草平が編集を担当した朝日新聞の文芸欄について紹介しています。
    朝日文芸欄は、漱石・草平を始め漱石の門下生による文芸批評を中心に多種多彩な文芸記事を掲載しました。
    しかし、漱石と草平、編集を補助した小宮豊隆らの考えに距離が生じたこともあり、
    草平の「自叙伝」をきっかけとして1年11ヶ月で廃止となりました。
    中止するに至った心情を吐露した漱石の小宮宛の書簡(みやこ町歴史民俗博物館蔵)などを展示しています。

    展示は11月9日(火)から一部展示替えを行い、
    会場では担当学芸員による「オンラインギャラリートーク」の動画(約20分)を上映しています。
    草平は、晩年に至るまで、漱石の弟子であることを宣言し、
    「私は、いわゆる門下生の中でも一番よく先生を知っていたとは言われない。
    一番多く先生から可愛がられたとは、なおさら言われない。
    が、一番深く先生に迷惑をかけたことだけは確かである。
    迷惑をかけたということは一向自慢にはならない。
    ただ、そういう自覚を持った時、私は一番先生に接近するような気がする。」
    (「先生と私」)と述べています。
    漱石「永遠の弟子」を自称した作家・森田草平に迫った展示会です。
    どうぞご来館下さい。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石とお菓子

    涼やかな気候となり秋を迎えつつありますね。
    秋はスポーツの秋、読書の秋、芸術の秋など、いろいろな「~の秋」と呼ばれています。
    今回は食欲の秋に着目して、漱石とお菓子についてご紹介します。

    本記事でご紹介するお菓子が登場する漱石の作品
    (右から岩波文庫『吾輩は猫である』
    『草枕』『虞美人草』『思い出す事など 他七篇』岩波書店。
    当館ミュージアムショップにて販売中)

    漱石は医者に止められるほど大の甘党で、作品には随所にお菓子が登場します。
    東京朝日新聞の連載終了から今年110年を迎えた「思ひ出す事など」からお菓子の記述を探してみると、
    干菓子について触れていました。
    漱石はこのころ、胃を悪くし療養生活を送っていました。
    病室に生けてあったコスモスを眺めて漱石はこう綴っています。

    「桂川(かつらがわ)の岸伝いに行くといくらでも咲いているというコスモスも
    時々病室を照らした。コスモスは凡(すべ)ての中(うち)で最も単簡(たんかん)で
    かつ長く持った。余はその薄くて規則正しい花片(はなびら)と、空(くう)に浮んだように
    超然と取り合わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子(ひがし)に似ていると評した。」
    (「思ひ出す事など」より)

    当時病身だった漱石は、部屋に生けてあったコスモスから
    お菓子を連想してしまうほど甘いものを欲していたのでしょう。

    そのほかにお菓子の記述を探してみると、
    漱石は「草枕」の主人公の口を借りて羊羹(ようかん)の魅力についてたっぷりと語らせています。

    「あの肌合(はだあい)が滑(なめ)らかに、緻密(ちみつ)に、
    しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。
    ことに青味を帯びた煉(ねり)上(あ)げ方は、玉(ぎょく)と蠟石(ろうせき)の雑種の様で、
    甚だ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、
    青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫(な)でて見たくなる。
    西洋の菓子で、これ程快感を与えるものは一つもない。
    クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。
    ジェリは、一目(いちもく)宝石の様に見えるが、ぶるぶる顫(ふる)えて、
    羊羹程の重みがない。
    白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至つては、
    言語道断の沙汰(さた)である。」
    (「草枕」より)

    最後にでてくる「白砂糖と牛乳で五重の塔」とは
    デコレーションケーキのことです。なんともユーモア溢れる表現です。
    「草枕」の主人公は画工という設定上、
    優れた観察力があるということを強調するためにあえて事細かに書いた文章かもしれませんが、
    それにしても羊羹の色合いの深さや形態を的確に捉えており、
    漱石の羊羹に対する思い入れの深さが伝わります。
    羊羹は「草枕」以外にも「吾輩は猫である」や「虞美人草」などにも登場するので、
    お好きだったのでしょう。

    今回ご紹介したお菓子以外にも、漱石作品には多くのお菓子が登場します。
    漱石が描くお菓子に着目しながら作品を読んでみるのも一興ではないでしょうか。

    ※引用文の表記は岩波文庫『思い出す事など 他七篇』(1986年)、
    岩波文庫『草枕』(1929年初版、1990年改版)に従いました。

    テーマ:漱石について    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート7 展示室照明の明るさの秘密

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    突然ですが皆さん、博物館や美術館の展示室が少し薄暗いと感じたことはないでしょうか?
    漱石山房記念館でも受付や入り口はとても明るいのに対して展示室の照明は薄暗く、
    そして少し肌寒く感じることもあると思います。
    しかし、展示室の照明が薄暗いのにはちゃんとした理由があります。
    博物館の資料は多くが昔に作られたものばかりです。
    漱石山房記念館に展示してある資料も当時のものであれば紙とはいえ100年以上前のものになり、
    さらに資料の多くには万年筆を使って書かれたインクが付着しています。
    紙やインクは光と熱に弱いため強い照明を使用することができないのです。

    夏目金之助 夏目鏡子宛書簡(部分)
    明治35(1902)年3月10日付

    漱石山房記念館の鈴木館長によると、
    漱石山房記念館の2階資料展示室の照度は120ルクスまでに統一しているそうです。
    そうすることでインクが日焼けして薄くなることを防ぎ、
    資料の損傷を抑え、良い状態で保存することができるといいます。
    また、博物館の照度はJIS照明基準総則によって定められた照度で展示することが決められており、
    おおよそ20ルクスから1000ルクスの照度の間で資料に合わせて照らしています。
    一方で私たちが普段生活するリビングや食卓の照度は50ルクスから1000ルクス、
    図書室の照度もJIS照明基準総則により最低でも500ルクスから800ルクスとされており、
    漱石山房記念館の2階資料展示室の照明は、図書室と比べてもおよそ4分の1ほどの照度しかありません。

    漱石山房記念館2階資料展示室

    漱石山房記念館図書室

    そのため、展示室の照明が少し薄暗く感じてしまいます。
    しかし、展示室の照明は資料保存のために貴重なものや価値のあるものほど照度を低くしている
    ということを知った上で展示を見てみると、資料の持つ価値や重要性が分かると思います。

    ※ルクス(lx)照明器具によって照らされた場所の明るさの値
    ※参考資料
    ・JIS照明基準総則 Z9110-2010.
    ・Panasonic.“美術館・博物館の照明”.照明設計サポートサイト.
    (https://www2.panasonic.biz/ls/lighting/plam/knowledge/document/0209.html)

    (博物館実習生:大塩)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート6 漱石の庭〜小説の中の植物たち〜

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    漱石山房記念館1階導入展示の「漱石と植物」の展示パネルによると、
    漱石山房には、サクラ・ヒノキ・アオギリといった大木から、
    季節の山野草、敷地境の生垣や裏庭の花壇に至るまで多種多様な植物が見られたそうです。
    漱石やその家族、門下生が残した記録などを元に数えてみると、なんと20種類以上にもなるとか!
    特にバショウやトクサは漱石のお気に入りで、ここ漱石山房記念館を象徴する植物でもあります。

    漱石山房記念館のバショウとトクサ

    漱石は植物を愛でるだけではなく、度々自分の作品にも登場させました。
    『行人』には
    「二三週間はそれなりに過ぎた。そのうち秋が段々深くなった。
    葉鶏頭の濃い色が庭を覗くたびに自分の眼に映った」
    (夏目漱石『行人』新潮文庫、平成23年改版)
    という一節があります。
    葉鶏頭の実物を見たことがない方は見逃してしまうかもしれませんが、
    目にも鮮やかな赤色が印象的で、雨の日でも存在感のある植物です。
    元来神経質な性分であった兄に、主人公が追い詰められていく日々の中で、
    この葉鶏頭の鮮やかな色彩はどのような意味を持って彼の視界に映っていたのか……?
    と考えてみるのも良いかもしれません。
    漱石の小説の中に登場している植物の特徴や特性に注目しながら、
    作品を鑑賞してみるのも新しい楽しみ方になるのではないでしょうか。

    漱石公園の葉鶏頭

    (博物館実習生:伊藤)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート5 漱石と猫

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
    ―夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』明治38年

    「夏目漱石」と聞いて、誰もが思い浮かべるのはこの一文ではないでしょうか。
    「吾輩は猫である」が雑誌『ホトトギス』に掲載され、
    夏目漱石の名を一躍有名にしたのは、多くの人がご存知の通りです。

    では、漱石が実際に猫を飼っていたことはご存知でしょうか。
    今回は、漱石と飼い猫についてご紹介します。

    岡本一平「夏目漱石先生」
    肉筆漫画『開国六十年史図絵』、昭和2(1927)年

    夏目家初代の猫は、明治37(1904)年の6〜7月頃に千駄木の家に迷い込んだ子猫でした。
    鏡子夫人は猫嫌いで、何度も追い払っていましたが、
    漱石が「そんなに入って来るんなら、おいてやったらいいじゃないか」と言ったことで、
    猫は一家に加わることになります。

    鏡子夫人は相変わらず猫を嫌っていましたが、
    家に来る按摩さんが「福猫だ」と言ったことで、扱いをあらためます。
    実際、病を患っていた漱石も機嫌が良くなり、
    翌年に猫目線で執筆した小説『吾輩は猫である』が大ヒットしました。
    その後、ここ早稲田に引っ越す際も連れてきています。

    明治41(1908)年9月13日に初代の猫は死に、書斎裏の桜の樹の下に埋められました。
    漱石は、その翌日に松根豊次郎(東洋城)ら門下生数名に「猫の死亡通知」を送りました。
    漱石の死後、猫の13回忌には供養塔も建てられました。
    供養塔はその後の空襲で壊れてしまいましたが、
    その残欠を利用して再興されたものが「猫の墓(猫塚)」として漱石公園で見られます。
    猫は夏目家にとって大事な存在になっていたことがうかがえます。
    ちなみに、この猫にも名前はなかったそうです。

    夏目金之助 松根豊次郎宛て葉書
    (猫の死亡通知)
    明治41(1908)年9月14日

    猫の墓(猫塚)

    漱石山房記念館にもいたるところに猫のパネルがあります。
    私が数えたところ大きいものが4匹、小さいシルエットが11匹いました。
    漱石山房記念館に向かう漱石山房通りの案内板にも猫のモチーフが使われています。
    ぜひ記念館にお越しの際は猫の案内を辿ってみてください。

    ※参考文献
    ・夏目鏡子 述・松岡譲 筆録『漱石の思い出』(文春文庫、1994年)
    ・半藤末利子『夏目家の福猫』(新潮文庫、2008年)

    (博物館実習生:内田)

    テーマ:その他    
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