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吾輩ブログ 一覧

  • 「夏目家の人びと、漱石の家族」見どころ紹介

    令和3年10月3日(日)まで開催の
    《通常展》テーマ展示「夏目家の人びと、漱石の家族」の見どころを紹介します。

    展示の詳細はこちらをクリック
    皆さんは、漱石の子ども時代をご存じですか。
    また、夫や父親としての漱石について、どのような印象をお持ちですか。
    本展示は、「第一章:僕の昔」、「第二章:妻君(さいくん)」、
    「第三章:小供(こども)たち」の三章立てで、家族の視点から漱石を読み解いていきます。

    漱石は生まれてすぐに里子に出され、その後養子に出されて、
    養父母の不仲により生家に連れ戻されます。
    一時は実の父母を祖父母と言われて育ち、
    夏目姓への復籍には生家と養父の間で行われた金銭のやり取りに立ち会うなど、
    「家庭の幸福」とは縁遠い少年時代を過ごしています。
    自伝的小説の『道草』で、成人した主人公・健三のもとに、
    金銭目的で養父の島田が近づく場面などは、実体験に基づくものでした。
    漱石の子供時代は、
    明治40(1907)年に雑誌『趣味』に掲載された「僕の昔」という題名の談話や、
    大正4(1915)年の随筆『硝子戸の中』に記されています。
    「第一章:僕の昔」では、漱石の復籍や離縁に関わる文書の複製と、
    当館所蔵の『道草』直筆草稿を展示するほか、
    実母や一番上の兄など、漱石が愛した家族にも注目して、
    関係資料を展示しています。
    また、複雑な家系図も写真入りのパネルで展示していますので、ぜひ会場でご覧ください。

    夏目漱石『道草』草稿

    続いて、妻を扱った、第二章ですが、
    こちらのタイトルは同じ読みの「細君」ではなく、漱石が書簡で用いた「妻君」を採用しました。
    明治29(1896)年に結婚した、10歳年下の妻の鏡子は、
    『吾輩ハ猫デアル』の苦沙弥先生の妻のように自分の意見をはっきりと主張する女性で、
    しばしば夫妻は言い合いました。
    また、裕福な家庭に育った鏡子と漱石の間には軋轢が生じて、
    漱石が不信感を表すこともありました。
    鏡子は、漱石の神経衰弱の被害にあいましたが、
    それが病気によるものとわかると受け入れ、最後まで漱石の創作活動を支えました。
    このコーナーには英国留学中の漱石が妻に送った書簡を展示しています。
    留学中の漱石は寂しさからか、妻に手紙を寄越すよう何度も催促しました。
    しかし幼子を抱えて、加えて筆不精でもあった鏡子は、
    なかなか手紙を書こうとしません。
    何か書くことを、と探した鏡子が思いついたのは、
    2歳の娘・筆子の一日の行動を書いた「筆の日記」でした。
    漱石からの書簡には、筆の日記が面白かったのでまた送ってほしいと書かれています。
    妻の手紙を心待ちにする漱石の様子がうかがえます。

    夏目金之助 夏目鏡子宛書簡 明治35(1902)年3月10日付

    続いて、子どもたちを扱った第三章ですが、
    こちらのタイトルも「こども」の表記に関して、
    漱石が日記や書簡で用いた「小供」を採用しました。
    長女や長男、次男が後に記した文章には、
    漱石は急に怒り出す怖い父親として記されています。
    しかし、病気でないときの漱石は、子どもたちと相撲をとったり、
    一緒に散歩に出かけ、好きなものを買い与えるやさしい父親でした。
    このコーナーには、漱石が娘たちに宛てた葉書を展示しています。
    それぞれの年齢にあわせて絵葉書の絵柄を選んでいるところに、
    父親の愛情が感じられます。

    夏目父 夏目筆子宛葉書 大正元(1912)年8月10日付

    会場の最後には、漱石が家族や知人に宛てた書簡と漱石の日記から、
    家族に関する事項を抽出した年表を展示しています。

    実はこの3倍以上の分量があったのですが、
    残念ながら会場の都合により重要事項を選んでいます。
    こちらをお読みいただくと、漱石が妻や子どもたちをどう思っていたのかがわかります。
    おいしい頂き物をすると必ず子供たちに食べさせていることも、
    ほほえましいです。
    会場ではぜひ、この年表にも注目してください。
    今回の展示を通じて、漱石は育った家庭では得られなかった「家庭の幸福」を、
    自身で築いた子沢山のにぎやかな家庭によって、
    得られたのではないかと感じています。
    文豪漱石の家族の一員としての顔に触れることのできる展示です。
    皆様のご来場をお待ちしております。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石山房記念館の芭蕉(バショウ)

    漱石山房記念館の植栽についてご案内してみたいと思います。

    「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、
    赤い実の結った梅もどきの枝だの、
    無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、
    その他にこれといって数え立てるほどのものは殆んど視線に入って来ない。」

    (岩波文庫『硝子戸の中』1933年初版、1990年改版)

    漱石の随筆『硝子戸の中』の冒頭です。
    書斎から外を見渡し、
    目に入るものとして最初に挙げられているのが、
    植物の「芭蕉(バショウ)」です。
    漱石山房記念館の再現展示室からも、
    実際に硝子戸越しにバショウを見ることができます。

    バショウは、色々と興味深い謂れのある植物です。
    高さ3~5メートルにまで成長しますが、
    木ではなく大型の草であること。
    俳人、松尾芭蕉の名前の由来となっていること。
    原産地は中国とされながら、英名は「Japanese banana」であること。
    その英名は、シーボルトが命名者の一人であり、
    日本で発見しヨーロッパに伝えたためにそうなったことなどです。

    人の背丈を超える高さや、
    数十センチにも及ぶ葉の大きさが南国ムードを漂わせ、
    来館された方に「バナナが植えられているのですか」と尋ねられることもあります。
    そう思われるのも当然で、
    バナナとバショウは、同じバショウ科の植物です。
    写真の、小さなラグビーボールのような楕円は苞葉(ほうよう)という、
    葉の塊で、その葉の間に花の集まりがあります。
    そして苞葉の根元の辺りには、バナナと同じような形の、
    小さな緑色の実がたくさん付いているのが分かります。

    このように開花します。
    バショウの花言葉は「燃える思い」です。
    確かに、バショウはその言葉のように強い生命力を持ち、
    地下茎を通じて次々に芽を出します。
    そのため、もちろん大切に育てていますが、
    植栽管理の観点から、
    他の植物を守るために広がり過ぎないようにも留意しています。
    大正時代の漱石山房の写真には、
    立派に育った数本のバショウが写っています。
    漱石も、バショウを絶やさないよう、
    また増やしすぎないように気を遣っていたのでしょうか。
    そんな想像をしながら、植栽の管理に向き合っています。
    漱石山房記念館の周囲には、バショウだけでなく、
    他にも様々な漱石ゆかりの植物が植わっています。
    お越しになった際は、それらの植物も是非ご覧になってください。

    テーマ:その他    
  • 吾輩は犬派である-野村胡堂の証言-

    夏目漱石と言えば、何と言っても猫ですが、実は犬の方が好きだったというのは、
    銭形平次で有名な作家・野村胡堂(1882-1963)の証言です。
    このことは、昭和34(1959)年に刊行された
    『胡堂百話』(角川書店)に載っているものです。

    私が、はじめて夏目漱石氏の書斎を訪ねた時、漱石邸には猫はいなかった。(中略)
    「どうも、すっかり有名になっちまいましてね。
    (中略)私は、実は、好きじゃあないのです。
    世間では、よっぽど猫好きのように思っているが、犬の方が、ずっと、好きです」(中略)
    私は、はっきりと、この耳で聞いた。

    野村胡堂、本名野村長一(おさかず)は、岩手県紫波郡彦部町出身で、
    東京帝国大学法科大学を退学後、報知新聞記者となり、
    昭和6(1931)年より銭形平次を主人公とする
    数多くの長短篇を発表した時代小説家です。
    『胡堂百話』は、胡堂77歳のときの書き下ろしのエッセイ集ですが、
    胡堂の記憶は本当なのでしょうか。
    実は、胡堂が漱石邸を訪問したときの模様が、
    『報知新聞(夕刊)』大正4(1915)年8月25・26日号の連載コラム「楯の半面」に、
    「夏目漱石氏 猫の話絵の話」として掲載されています。
    当時、漱石は朝日新聞に「道草」を連載中。
    胡堂は33歳の報知新聞記者としての取材でした。

    気爽(きさく)に、
    「何でも問ふて下されば、お話しませう」と之には一寸困つた
    「お好なものは、時々お書きになる物にも出て来るやうですが、例へば猫とか文鳥とか……」と云へば
    「イヤ猫は飛んだ有名なものになりましたが、好きではありませんよ」と笑はれる。
    尤も決してお嫌ではないが、何方(どちら)かと云へば先生は犬がお好き、
    猫は夫人の方がお好なのだと云ふ、
    「アノ猫から三代目のがツイ此間まで居りました」と語る、
    遺憾ながら「吾輩の猫」の令孫にお目にかゝる事は出来なかつた。

    この記事は、無署名原稿だったため、これまであまり注目されてきませんでしたが、
    先の『胡堂百話』と内容がほとんど同じで、
    間違いなく胡堂が書いた記事であることがわかります。
    漱石の生存中に書かれた新聞記事として大変貴重なものです。
    なお、荒正人氏の『漱石研究年表』では、記者名を特定していませんが、
    8月16日(月)から18日(水)までの取材と推定しています。
    この前年10月31日には、漱石自ら命名した犬のヘクトーが死んでいます。
    「硝子戸の中」には、初めてもらわれてきた夜のこと、
    ジステンパーにかかって入院させたときのこと、犬の遊び仲間のことなどが、
    漱石のやさしい筆致で書かれています。
    3代目の猫も「硝子戸の中」に登場し、
    皮膚病から回復した真っ黒な猫でしたが、
    胡堂の取材までに亡くなったことがわかります。
    普通、鏡子夫人は猫嫌いだったとされ、本人の証言もありますが、
    漱石の目からは、自分よりは猫好きに見えたのかもしれません。
    胡堂による漱石への取材は、この後、絵画の話などに発展し、
    5分の取材予定が、1時間以上になり、胡堂は恐縮しながら辞去したと書いています。
    50年後、胡堂はこのときのことを思い返したのでしょう。

    「私は、ひょっとしたはずみで、猫の孫にも逢わず、漱石門下にも加わらなかったが、
    あの風格は、忘れ難いものがある。」

    胡堂が感じた強烈な印象と貴重な証言。夏目漱石は、犬派でした。
    (漱石山房記念館学芸員 今野慶信)

    写真1:
    熊本での漱石夫妻と愛犬 明治31(1898)年

    写真2:
    ヘクトー墓標

    漱石の俳句「我犬の為に 秋風の聞こえぬ下に埋めてやりぬ」
    が見える。松岡譲『ああ漱石山房』より。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石クイズにチャレンジ!

    今回は、漱石山房記念館で開催中の「漱石クイズ」をご紹介します。
    8月31日(火)までの期間限定で行われている、
    小中学生を対象にしたイベントです。
    ※5月31日(月)まで臨時休館のため、
    6月1日(火)より開始しております。
    ご来館いただき、
    夏目漱石に関するクイズにお答えいただくと、
    参加者全員に夏目漱石がデザインされている金メダルをプレゼントします。
    (図柄は2種類あり、お選びいただけます。)

    漱石メダル 表・横顔

    漱石メダル 表・正面

    漱石メダル 裏

    表面は2種類、
    裏面は共通で漱石山房記念館の外観がデザインされています。
    昨年に続き2度目の開催となりますが、
    前回もご好評をいただき、
    たくさんのお子様が挑戦してくださいました。
    漱石の人となりがわかる楽しいクイズです。
    家族のことや好きな食べ物にまつわるエピソード等々、
    きっと100年の時を超えて文豪を身近に感じていただけると思います。
    遠方へのお出かけが難しい昨今ですが、
    ご家族でお立ち寄りいただき、
    楽しいひと時をお過ごしください。
    ご来館をお待ちしております。
    【実施期間】令和3年6月1日(火)~8月31日(火)
    【休館日】 月曜日(祝日の場合は翌平日)
    および展示替期間の6月29日(火)、6月30日(水)
    【参加方法】
    1. 漱石山房記念館1階受付でクイズの問題用紙を受け取る。
    2. クイズに答える。漱石山房記念館の展示にヒントが隠れているかも?
    3. 漱石山房記念館地下1階事務室でクイズの答えと金メダルを受け取る。

    テーマ:イベント    
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その3

    政府による緊急事態宣言を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

    受付スタッフ河本のおすすめは、「漱石山房メモ帳」です。
    平成29年に漱石山房記念館が開館したときから販売しているグッズですので、
    オープニングから受付スタッフとして勤務している私にとって、
    一番馴染みが深いグッズです。
    私の父は元新聞記者だったので、文字を書くことが好きで、
    帰省するたびにこのメモ帳をプレゼントしていました。
    高齢の父にとってはマス目が少し小さすぎたようでしたが、
    マス目を気にせず自由に使っていました。
    一筆箋としても使える格調高いデザインが気に入っていたようです。
    現在、紙に文字を書く機会は少なくなっているかもしれませんが、
    若い方達にもこのメモ帳を手に取っていただき、
    久しぶりに手書きに親しんでいただけたら嬉しく思います。

    受付スタッフ佐藤のおすすめは
    「漱石のことば鉛筆」と、
    「夏目漱石「道草」草稿 絵はがき」、
    「夏目漱石「ケーベル先生の告別」原稿 絵はがき」の3点です。
    「漱石のことば鉛筆」に刻まれた「草枕」の一節
    「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
    意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
    はとても有名ですが、
    漱石の作品だと知らない方もいらっしゃるようで、
    来館者の方から
    「これって漱石のことばだったのね」
    とお声がけいただいたこともあります。
    レトロな木の温もりの良さを、
    漱石のことばとともに味わっていただければと思います。

    「夏目漱石「道草」草稿 絵はがき」と
    「夏目漱石「ケーベル先生の告別」原稿 絵はがき」はどちらも、
    漱石の手書き文字を手元で楽しめるグッズです。
    額に入れて飾れば、お部屋でミュージアム気分を味わえます。

    受付スタッフ栄森のおすすめは、
    「ミニトート『吾輩は猫である』」です。
    可愛らしい猫のデザインにひかれて、発売してすぐに購入しました。
    ナチュラルとネイビーの2種類あるのでとても迷いましたが、
    私は仕事用のサブバッグとして使いたかったので、
    汚れにくいネイビーを選びました。
    シンプルなデザインですので、
    『吾輩は猫である』のデザインに合わせて、
    漱石の缶バッジを付けてアレンジを楽しんでいます。
    実際に使ってみると布の手触りも良く、
    使い勝手の良い大きさだったのでお気に入りになりました。
    まだ新型コロナウイルス感染症が流行する以前、
    文学好きの集いにプライベートで参加したときに、
    さりげなく持って行ったら他の参加者の方々から、
    「素敵ね!」「どこで売っているの?」
    と声をかけてもらいました。
    また、友人たちへプレゼントしたところ、
    バッグインバッグとしても使えるサイズと好評でした。
    小ぶりですので近所をお散歩用の気軽なバッグとしても使いやすいと思います。

    今回ご紹介したミュージアムグッズの詳細は、
    こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間に、また外出ができるようになった時のお供としても、ぜひお楽しみください。

    テーマ:その他    
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その2

    政府による緊急事態宣言を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

     

    受付スタッフ山上のおすすめは、『漱石山房記念館ガイドブック』です。
    私は平成29年に漱石山房記念館が開館したときからのオープニングスタッフですが、
    まだまだ漱石については初心者です。
    受付スタッフは来館者の方から日々、とても多くのご質問をいただきますが、
    誤った情報をお伝えしてはならないので、このガイドブックを活用しています。
    このガイドブックは年表とともに漱石の生涯を映し出す人間関係や作品、資料、漱石山房の変遷など、
    基礎知識がわかりやすくコンパクトにまとまっていて、頼りになる1冊です。
    私のような初心者にはもちろん、すでに漱石に詳しい方でも、
    漱石の人生の軌跡がわかりやすくまとめられていますので、
    活用していただけるのではないかと思います。

    このガイドブックの記事で私が特に気に入っているのは、
    59~60ページの「漱石史跡めぐり」です。
    小学1年生から中学1年生まで神楽坂で育った私にとって、
    新宿と漱石のつながりは何よりも興味深いのですが、
    このページでは漱石の歩く姿が目に浮かぶような、
    楽しい史跡めぐりが紹介されています。
    幼いころからよく知っている場所でも、
    漱石とのゆかりがあることを知ってから再訪すると、一味違うものです。
    休日にはこのページに紹介されている場所を訪れて、
    漱石が見たであろう景色を、同じように感じる楽しみを味わっています。

     

    受付スタッフ秋間のおすすめも『漱石山房記念館ガイドブック』です。
    私も開館からのオープニングスタッフですが、
    開館当初はミュージアムグッズの品数も少なく、
    来館者の方から図録の販売を待ち望む声を多くいただきました。
    このガイドブックが発行されたとき、
    皆さまにとても喜んでいただけたことをよく覚えています。
    私もすぐにこのガイドブックを読み込んで、
    漱石について勉強しました。
    現在は来館者の方からいただいた質問から調べた内容を、
    付箋を使ってガイドブックに書き込んで活用しています。
    このガイドブックは本文を1回読めば、
    漱石について基本的な情報がわかる内容になっていますが、
    細かい記事まで読み込んでいくと、面白さが増してきます。

    『漱石山房記念館ガイドブック』と併せておすすめしたいのが『コミック新宿史』です。
    ミュージアムの刊行物は堅苦しいイメージがあるかと思いますが、
    この本はマンガで親しみやすい1冊です。
    架空の登場人物と実在の人物が交流しながら物語がすすんでいきますので、
    楽しく読むうちに新宿の文化的なこと全般がよくわかるようになっています。
    縄文時代から現代までの新宿の歴史・文化の流れを知ることができますので、
    『漱石山房記念館ガイドブック』と併せて読むことで、
    漱石が生きた明治・大正時代を取り囲む時代背景についても、
    俯瞰することができるのではないでしょうか。

    『漱石山房記念館ガイドブック』や『コミック新宿史』の詳細は、
    こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間に、また外出ができるようになった時のお供としても、ぜひお楽しみください。

    テーマ:その他    
  • スタッフおすすめ!おうち時間に楽しむミュージアムグッズ その1

    政府による緊急事態宣言の延長を受け、
    漱石山房記念館は令和3年5月31日(月)まで臨時休館しています。
    臨時休館中もミュージアムショップでは通信販売を承っておりますので、
    ご自宅でもお楽しみいただけるスタッフおすすめのミュージアムグッズをご紹介します。
    ※通信販売の詳細についてはこちらをクリック

    事務スタッフ長谷川のおすすめは、
    漱石山房記念館特別展図録『漱石山房の津田青楓』
    と、漱石山房記念館オリジナル絵はがきです。

    漱石山房の津田青楓展図録

    私は染色や手芸が好きなので、
    令和3年1月26日(火)~3月21日(日)に開催の
    特別展「漱石山房の津田青楓」で展示されていた
    津田青楓≪フランス刺繍花と鳥≫(大正2(1913)年、笛吹市教育委員会所蔵)
    を見てとても感動し、展示図録を購入しました。
    図録の魅力は展示ケースの中に入っていた時には見られなかった部分が掲載されていることです。
    例えば、展示ケースでは一場面だけの展示だった、
    津田青楓『九竹草堂絵日記』
    (大正6(1917)年(大正7年の作を含む)、笛吹市教育委員会所蔵)
    は、合計9場面分の絵が図録に掲載されていて、
    とてもユーモラスな日記だったことがわかります。
    また、キャプションをじっくり落ち着いて読むことができるのも、図録の醍醐味の一つです。
    図録の53ページでは、
    津田青楓≪漱石と十弟子≫(昭和51(1976)年、紙本着色)
    に描かれている人物の一人ずつに吹き出しでキャプションがつけられていて、
    どの門下生がどんな人物だったかがわかりやすく、
    思わずこの≪漱石と十弟子≫がデザインされている絵はがきも買ってしまいました。

    リメイクしたメモ帳

    絵はがきはミュージアムグッズの定番ですが、
    私はミニノートにリメイクして楽しんでいます。
    絵はがきとして使用してしまうと1度きりの楽しみで終わってしまいますし、
    ファイルに整理していたこともありましたが、たまに眺めるだけになってしまい、
    身近に置いて使えるものにリメイクしたらいつも楽しめるのでは?と思いつきました。

    ミニノートの作り方はとても簡単ですので、
    みなさんもおうち時間にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

    <ミニノートの作り方>
    材料:絵はがき1枚、裏表紙用の厚紙(絵はがきと同じサイズ)1枚、
    メモ用紙の紙(A5サイズくらい)5~6枚、両面テープ

    道具:カッターナイフ、カッターマット、定規、ホチキス、鉛筆、クリップ(2個)、発泡スチロール

    1.絵はがきの端から1センチの部分に鉛筆でしるしをつける。

    2.しるしに合わせて定規をあて、カッターナイフの裏側で軽く折り目をつける。
    ※刃を当てて切り離してしまわないよう、ご注意ください。

    3.折り目に合わせて定規をあて、しっかり折る。

    4. メモ用紙の上下をクリップで止める。

    5.メモ用紙の中央に絵はがきの折り目を開いて当てたら、下に発砲スチロールを敷いて、
    本を綴じるように折り目の上下2か所にホチキスの針を打ち込む。

    6.裏返してホチキスの針を閉じる。

    7.絵はがきの折り目に合わせてメモ用紙も半分に折る。

    8.絵はがきの折り目1センチ部分の内側に両面テープを張る。
    このとき、はみ出した両面テープはカッターナイフで切り落とすと綺麗に仕上がります。

    9.裏表紙を両面テープにあわせて貼り付ける。

    10.不要な部分をカッターナイフで切り落とす。

    写真は絵はがきのデザインに揃えて切り落としていますが、
    絵はがきそのままの大きさに揃えて切り落とす方が楽に仕上がります。
    怪我をしないようにご注意ください。

    11.完成!

    漱石山房記念館の図録や絵はがきは、こちらのページからご覧いただけます。
    おうち時間をミュージアムグッズと一緒にお楽しみください。

    テーマ:その他    
  • 「松岡譲の漱石研究-岳父への想い-」見どころ紹介

    令和3年6月27日(日)まで開催の
    《通常展》テーマ展示「松岡譲の漱石研究-岳父への想い-」の見どころを紹介します。

    展示の詳細はこちらをクリック
    今回ご紹介するのは、松岡譲筆録・夏目鏡子述の単行本『漱石の思ひ出』です。

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』改造社、昭和3年

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』
    改造社、昭和3年

    漱石没後、鏡子未亡人が語る家庭における漱石の姿を松岡譲が筆録したものです。
    ご覧になったことがあるかたも多くいらっしゃるのではないでしょうか。
    鏡子未亡人の率直な語り口で綴られた本作は、
    漱石の実像が分かる資料として今も高い評価を受けています。
    松岡本人も、本書の刊行を
    「義母に対して最高の孝行をしたと信じて疑わない」
    (昭和43年9月26日付松岡譲個人宛書簡、2階資料展示室にて展示中)
    と後年回想しており、
    自信をもって出版したことが伺えます。
    本書は、雑誌『改造』に13か月にわたって連載された後、
    加筆・訂正され昭和3(1928)年に出版されました。
    その後、岩波書店、菊桜書院などからも出版されています。
    本の構成は、松岡の意図により出版社ごとに異なっています。
    岩波書店から昭和4年に刊行された際は、改造社版にはない、
    松岡の手により編まれた漱石の年譜が付け加えられています。

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』岩波書店、昭和4年

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』
    岩波書店、昭和4年

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』桜菊書院、昭和23年

    夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思ひ出』
    桜菊書院、昭和23年

    当館の図書室では、展示室に展示している本と同様の、
    昭和3年に改造社から刊行された『漱石の思ひ出』と
    昭和4年に岩波書店から刊行された『漱石の思ひ出』を配架しております。
    ご興味ある方は、当館が開館しましたら読み比べのためにぜひご来館ください。
    お待ちしております。
    ※緊急事態宣言の発出を受け、
    漱石山房記念館は4月25日(日)から5月31日(月)までの間、臨時休館します。

    オンラインギャラリートーク
    担当学芸員による展示解説動画をYouTubeで配信しています。
    配信期間:令和3年6月27日(日)まで

    テーマ:漱石について    
  • ≪通常展≫テーマ展示「松岡譲の漱石研究‐岳父への想い‐」開幕しました

    漱石山房記念館に隣接する漱石公園の桜の花びらが舞い散る中、
    ≪通常展≫テーマ展示「松岡譲の漱石研究-岳父への想い-」が開幕しました。

    松岡譲の漱石研究看板

    松岡譲は、『漱石の印税帖』や『ああ漱石山房』など、
    夏目漱石に関する数多くの著作で親しまれている作家です。
    漱石とのはじめての出会いは大正4(1915)年、
    漱石山房で開かれていた文学サロン「木曜会」の時で、
    漱石と松岡の交流は約1年という短いものでしたが、
    漱石はその後の松岡の作家活動に大きな影響を与えました。
    生涯を通じて漱石研究に没頭した松岡が、岳父・漱石について記した文章をとおして、
    松岡からみた漱石像に迫ります。

    今回は平成29(2017)年に松岡の娘で漱石の孫にあたる半藤末利子氏から寄贈された
    「松岡・半藤家資料」を中心に展示しています。
    松岡譲『漱石先生』(岩波書店 昭和9年)に収録された「猫の墓」の原稿は、
    今回初めてお披露目する松岡譲の直筆資料です。
    その横には夏目漱石が門下生で俳人の松根東洋城に宛てた、
    「吾輩は猫である」のモデルとなった猫の死亡を知らせたはがきを展示しています。

    「猫の墓」とはこの猫の十三回忌にあたる大正9(1920)年に、
    夏目家で飼われた生き物たちを供養するため、
    漱石の長女・筆子の夫・松岡譲が造らせたものです。(注1)
    なお、このはがきは5月7日(金)以降はレプリカを展示予定ですので、
    実物をご覧になりたい方は5月5日(水)までにお越しください。

    また、新収蔵品のコーナーには、
    令和2年度に新しく収蔵した松岡譲≪漱石山房図≫(昭和18(1943)年 紙本着色)をはじめ、
    夏目家旧蔵の着物や、漱石が使用していた硯など、漱石ゆかりの資料を初公開しています。

    漱石公園猫の墓

    漱石公園の桜はそろそろ葉桜になりそうですが、新緑が美しい季節になりました。
    お散歩がてらぜひご来館ください。

    (注1)現在、漱石山房記念館に隣接する漱石公園にある猫の墓(猫塚)は、
    昭和20(1945)年の空襲で損壊した残欠を再興したものです。

    テーマ:お知らせ    
  • ボランティアレポート7 「硝子戸の中」について(後編)

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    夏目漱石「硝子戸の中」は漱石が晩年に住んだ早稲田の漱石山房の書斎で書いたものです。
    この小品に出て来るお寺、神社、建物、地名等は今でも残っています。
    前編の記事はこちらをクリック

    当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人家のない茶畠とか、
    竹藪とかまたは長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。
    買物らしい買物は大抵神楽坂まで出る例になっていたので、
    そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、
    それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、
    あの五、六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終薄暗かった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」二十より)

    牛込馬場下横町(現、新宿区喜久井町)辺りに住む人達の買い物は神楽坂へ行くのですが、
    矢来の坂を上り小浜藩酒井若狭守の屋敷の横を通って寺町を抜けるのです。
    幕府から拝領した屋敷は竹矢来で囲われたことから、現在の矢来町の名の由来となっています。

    今私の住んでいる近所に喜久井町という町がある。
    (中略)この町は江戸といった昔には、多分存在していなかったものらしい。
    江戸が東京に改まった時か、それともずっと後になってからか、
    年代はたしかに分らないが、何でも私の父が拵えたものに相違ないのである。
    私の家の定紋が井桁に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、
    父自身の口から聴いたのか、または他のものから教わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。
    (中略)私が早稲田に帰って来たのは、東京を出てから何年ぶりになるだろう。
    (中略)私は昔の早稲田田圃が見たかった。しかし其所はもう町になっていた。
    私は根来の茶畠と竹藪を一目眺めたかった。しかしその痕跡はどこにも発見することが出来なかった。
    多分この辺だろうと推測した私の見当は、当たっているのか、外れているのか、それさえ不明であった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」二十三より)

    漱石が十数年振りに生家のあった喜久井町を訪れると町は大きく変わっていて、
    根来(現・新宿区弁天町)の方まで拡がっていました。
    根来は江戸時代に幕府の鉄砲隊「根来組」の屋敷があった所です。
    喜久井町は夏目家の定紋が「井桁に菊」(正式には「平井筒に菊」)なのでそれにちなんで町名とし、
    更に近くの坂にも夏目の名をつけました。
    両方ともこの地域の区長を勤めていた、夏目漱石の父・夏目直克が付けたのです。
    夏目漱石誕生の地

    まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。
    猫がどこかで痛く嚙まれた米嚙を日に曝して、あたたかそうに眠っている。
    先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供たちは、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。
    家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、
    静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。
    そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。
    (夏目漱石「硝子戸の中」三十九より)

    冬の始めに書き始めた随筆も、春先の長閑な庭先を眺めながら終わります。
    早稲田南町の家の跡地には現在、新宿区立漱石山房記念館(新宿区早稲田南町7番地)が建っています。

    漱石山房記念館

    参考文献:『夏目漱石全集 9』1971年 筑摩書房
    ※引用文の表記は岩波文庫『硝子戸の中』(1933年初版、1990年改版)に従いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:立脇清)

     

    テーマ:その他    
  • ボランティアレポート6 「硝子戸の中」について(前編)

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、
    赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、
    その他にこれといって数え立てるほどのものは殆んど視線に入って来ない。」

    と冬の庭の景色から始まる小品「硝子戸の中」は
    漱石が晩年に住んだ早稲田の漱石山房の書斎で書いたものです。
    この小品に出て来るお寺、神社、建物、地名等は今でも残っています。

    ヘクトーは元気なさそうに尻尾を垂れて、私の方へ脊中を向けていた。
    (中略)彼がいなくなって約一週間も経ったと思う頃、一、二丁隔ったある人の家から下女が使に来た。
    その人の庭にある池の中に犬の死骸が浮いているから引き上げて頸輪を改ためて見ると、
    私の家の名前が彫り付けてあったので、知らせに来たというのである。
    (中略)私は下女をわざわざ寄こしてくれた宅がどこにあるか知らなかった。
    ただ私の子供の時分から覚えている古い寺の傍だろうとばかり考えていた。
    それは山鹿素行の墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のように、古い榎が一本立っているのが、
    私の書斎の北の縁から数多の屋根を越して能く見えた。
    (夏目漱石「硝子戸の中」五より)

    早稲田南町の家で飼っていた犬のヘクトーがいなくなって一週間程経つと、
    寺の傍に住む女性が池に犬が浮いていると知らせてくれたのです。
    この寺は新宿区弁天町にある曹洞宗宗参寺のことです。
    境内には国の指定史跡「山鹿素行墓」と東京都指定史跡「牛込氏墓」、
    そして乃木希典の遺愛の梅「春日野」があります。
    宗参寺「春日野」

    彼は昔し寺町の郵便局の傍に店を持って、今と同じように、散髪を渡世としていたことが解った。
    「高田の旦那などにも大分御世話になりました」その高田というのは私の従兄なのだから、私も驚いた。
    (中略)「あのそら求友亭の横町にいらしってね、……」と亭主はまた言葉を継ぎ足した。
    「うん、あの二階のある家だろう」
    「ええ御二階がありましたっけ。あすこへ御移りになった時なんか、
    方々様から御祝い物なんかあって、大変御盛でしたがね。
    それから後でしたっけか、行願寺の寺内へ御引越なすったのは」
    この質問は私にも答えられなかった。
    (夏目漱石「硝子戸の中」十六より)

    漱石が未だ子供の頃、従兄が牛込肴町(現、新宿区神楽坂5丁目)にある
    行元寺(原文、行願寺)の傍に住んでいました。
    行元寺は鎌倉時代からある天台宗の寺で、牛込氏の信仰を受けていましたが、
    明治40年に区画整理のため品川区西五反田4丁目へ引っ越しました。
    神楽坂にあった行元寺の跡地は花街となり、
    さらに現在は「寺内公園」という小さな公園になっていて、詳しい説明板があります。
    寺内公園

    私の旧宅は今私の住んでいる所から、四、五町奥の馬場下という町にあった。
    (中略)それから坂を下り切った所に、間口の広い小倉屋という酒屋もあった。
    (中略)堀部安兵衛が高田馬場で敵を打つ時に、此処へ立ち寄って、
    枡酒を飲んで行ったという履歴のある家柄であった。
    (中略)半町ほど先に西閑寺という寺の門が小高く見えた。
    赤く塗られた門の後は、深い竹藪で一面に掩われているので、
    中にどんなものがあるか通りからは全く見えなかったが、
    その奥でする朝晩の御勤の鉦の音は、今でも私の耳に残っている。
    ことに霧の多い秋から木枯の吹く冬へ掛けて、カンカンと鳴る西閑寺の鉦の音は、
    何時でも私の心に悲しくて冷たい或物を叩き込むように小さい私の気分を寒くした。
    (夏目漱石「硝子戸の中」十九より)

    漱石の生れた家は晩年に過ごした早稲田南町から四五町(500m)さきの
    牛込馬場下横町(現、新宿区喜久井町)にありました。
    跡地には門下生の安倍能成の揮毫した碑が立っています。
    江戸時代この辺りは辺鄙な所で西側の下高田村に「墨引」があったのです。
    「墨引」とは江戸御府内のおおよその境界を示すもので、
    絵図に黒色の線がひかれていて、幕府が定めたものでした。
    それでも土蔵造りの家が三四軒あり、生家の近くに酒屋があって、
    堀部安兵衛は助太刀に行く途中にこの店で枡酒を飲んだのです。
    そこから少し西に行くと高田八幡神社(穴八幡宮:新宿区西早稲田2丁目)があります。
    漱石が癇癪を起すと妻の鏡子が虫封じの札を貰ってきた神社です。
    その横が八幡坂で以前やっちゃ場がありました。
    「やっちゃ場」は青物市場の通称で、言葉の由来は「野菜場」ではなく、競り人の掛け声からきたものです。
    近くにあるもう一つの坂、夏目坂を少し上ると誓閑寺(原文、西閑寺:新宿区喜久井町)があります。
    浄土宗のお寺で境内には新宿区指定有形文化財に指定されている区内最古の梵鐘がありますが、
    漱石が「硝子戸の中」で書いている「御勤の鉦」とはこの梵鐘のことではありません。
    後編へつづく

    参考文献:『夏目漱石全集 9』1971年 筑摩書房
    ※引用文の表記は岩波文庫『硝子戸の中』(1933年初版、1990年改版)に従いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:立脇清)

    テーマ:その他    
  • ボランティアレポート5 木曜会の人びと

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    漱石山房記念館ボランティアガイドの解説場所の一つが、1階にある漱石の書斎の再現展示室です。
    「山房」とは書斎を意味し、当時のままに再現されたそこはまさに記念館の心臓とでもいうべき場所です。
    ここに着いたお客さまは必ず立ち止まり、説明キャプションを読み、音声案内に耳を傾けます。
    書斎の対面には津田青楓画「漱石山房と其弟子達」のパネルが飾ってあります。
    この部屋は、当時も漱石に会いにたくさんの人びとが訪れていた客間でした。

    漱石山房記念館再現展示室

    漱石のもとを訪れたのは熊本時代や東京帝大での教え子だけでなく、画家や実業家などさまざまでした。
    門下生の一人、小宮豊隆は著書『夏目漱石 中』(岩波書店、昭和13年初版)の「門下生」の中で、
    訪問者に対する漱石の態度を
    「地位だの名声だのではなく、純粋に「人」だけを愛し愛されることを欲した漱石は(中略)
    純粋に漱石の「人」だけを慕って来る客を喜び」
    と書いています。
    さらに小宮は同書で、漱石が明治37(1904)年7月20日に野間真綱に宛てた書簡から
    「脵野大観先生卒業。彼いふ。訪問は教師の家に限る。かうして寐転んで話しをしてゐても小言を言はれないと。
    僕の家にて寐転ぶもの、曰く脵野大観曰く野村伝四。半転びをやるもの、曰く寺田寅彦曰く小林郁。
    危坐するもの曰く野間真綱曰く野老山長角」
    という一節をひいて、
    「漱石は人を心置きなく寐ころばせるようなものを持っていたのである」
    と書いています。
    この手紙は漱石山房に転居する前のものですが、
    漱石のもとを訪れた人々はまったく津田青楓の画のようにリラックスしていたのではないでしょうか。
    私には漱石が「作家」としてというよりも「教師」として、
    いやもはや「家族」として人々を受け入れていたように思えてなりません。

    しかし、あまりの来客の多さに明治39(1906)年、
    鈴木三重吉の発案で木曜日午後3時以後を面会日と定め「木曜会」が発足します。
    ところが漱石人気は衰えず、木曜日にも人が来ればそれ以外にも来て、
    結局は同じだったと、笑い話のようなエピソードも残っています。
    この木曜会は明治40(1907)年に早稲田南町の漱石山房に転居した後も続きました。

    さて、皆さまは「木曜会の人びと」の作品をご存じでしょうか?
    新宿歴史博物館ボランティアガイドで結成された朗読の会「ふみのしおり」では、
    ただ今「木曜会の人びと」をテーマとした朗読会を企画中です。

    ふみのしおり

    高浜虚子「丸の内」、寺田寅彦「団栗」、鈴木三重吉「ぶしょうもの」、
    芥川龍之介「蜜柑」、久米正雄「虎」、菊池寛「勝負事」、松岡譲「モナ・リザ」など。
    「名前は知っているけれど作品の内容は忘れてしまった……」
    とおっしゃる方に朗読でご紹介したいと思っています。

    場所は漱石山房記念館の講座室。
    今からおよそ120年前、ここ漱石山房の客間で交わされていた
    「木曜会の人びと」の会話が聞こえてくるかもしれません。

    日時が決まりましたら漱石山房記念館のWebサイトや、
    ふみのしおりのWebサイト(https://fuminoshiori.jimdosite.com/)でお知らせする予定です。
    どうぞお楽しみに。

    ※朗読会「木曜会の人びと」の開催日時が決定しました。詳細はこちらをクリック(4月1日追記)

    (漱石山房記念館ボランティア:岩田理加子)

    ※新宿区立漱石山房記念館再現展示室
    書斎内の家具・調度品・文具は、資料を所蔵する県立神奈川近代文学館の協力により再現。
    書棚の洋書は東北大学附属図書館の協力により、同館が所蔵する「漱石文庫」の蔵書の背表紙を撮影し、製作された。

    テーマ:その他    
  • 夏目漱石誕生記念オンライン朗読会、配信中

    当館では毎年、館内で活動している朗読団体にご協力いただき、
    新暦2月9日の漱石の誕生日を記念した朗読会を開催して参りました。
    しかし、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
    朗読動画をインターネット上で配信する、
    オンライン朗読会という形で実施することにいたしました。

    毎年ご協力いただいている朗読団体の皆様から、
    動画にご出演いただける方を募ったところ、
    4団体8名の方にご協力いただけることになりました。
    撮影は2020年11月の休館日を使って行いました。
    せっかくの機会ですので、朗読作品の内容に合わせて、
    通常はイベント会場として使用していない、
    館内の様々な場所で朗読をしていただき、
    バリエーション豊かな6本の朗読動画が出来上がりました。

    朗読の撮影風景

    朗読の撮影風景

    撮影風景

    朗読の動画はYouTubeチャンネル「レガスちゃんねる by新宿未来創造財団」で配信しています。
    以下からどなたでもインターネットで視聴できますので、ぜひご覧ください。

    【漱石山房記念館夏目漱石誕生記念オンライン朗読会】

    ・夏目漱石「草枕」四より 神楽坂朗読サロン 鈴木千秋・堀悠子
    ↓こちらの画像をクリック

    ・「漱石先生の書簡」野間脩平編纂 近代文学をたずねて~沙羅の木~ 野間脩平・浪久圭司
    ↓こちらの画像をクリック

    ・夏目漱石「虞美人草」十八、十九より フォーエバーリーディング 野口孝枝
    ↓こちらの画像をクリック

    ・夏目漱石「こころ 上 先生と私」三十、三十一より フォーエバーリーディング 葉月のりこ
    ↓こちらの画像をクリック

    ・夏目漱石「永日小品」より「火鉢」ふみのしおり(新宿歴史博物館ボランティアガイド朗読の会)中井芙美子
    ↓こちらの画像をクリック

    ・夏目漱石「夢十夜」より「第九夜」ふみのしおり(新宿歴史博物館ボランティアガイド朗読の会)新見成子
    ↓こちらの画像をクリック

    テーマ:お知らせ    
  • 12月9日は漱石忌です

    明日12月9日は漱石忌です。
    夏目漱石は大正5(1916)年12月9日に、
    現在は新宿区立漱石山房記念館が建つ、
    ここ早稲田南町の家で49歳で亡くなりました。
    今年(2020年)は没後104年になります。

    当館では昨年に続いて、漱石のお墓がある
    雑司ケ谷霊園の文学さんぽを予定していましたが、
    新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、
    残念ながら今年はイベントの開催を見送り、
    お墓掃除をしてまいりました。

    漱石のお墓

    漱石山房記念館から雑司ケ谷霊園へは、
    「牛込保健センター前」バス停から都バス白61系統「練馬車庫行」に乗り、
    「鬼子母神前」バス停で下車する行き方が便利です。
    詳細は漱石山房記念館の受付でもご案内いたしますので、
    ご来館の際にお問合せください。

    テーマ:漱石について    
  • ボランティアレポート4 漱石山房への小路

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    いつも見慣れた景色が、ある日ある時、見違えるほどきれいだった……とは、
    誰もが経験されることでしょう。

    私たち一家は2010年4月、ここ早稲田へ当時6歳の愛犬とともに越してきました。
    それから昨年5月までのほぼ毎日、
    宗参寺から漱石山房記念館を回る小路を愛犬と散歩しました。

    昨年の麗らかな春の午後でした。
    いつも見慣れた漱石山房記念館への坂道が、春の日差しに輝いていました。
    毎日散歩する路がまるで違っていたのです。
    思わずそこを進みました。

    漱石山房への小路

    漱石山房記念館は小さな丘の上にあります。
    行こうとすれば、どこからでも坂道を上ることになります。
    上ると通りから一歩、控えた場所にあり、謙虚な佇まいです。
    漱石が住んでいた当時の山房も、芥川龍之介の「漱石山房の秋」に
    「門をくぐると砂利が敷いてあつて(略)
    砂利と落葉とを踏んで玄関へ来ると(略)
    蔦の枯葉をがさつかせて、呼鈴(ベル)の鈕(ボタン)を探さねばならぬ」
    とあり、やはり奥まっていたということでしょう。
    夏目漱石もそんな控えめな人だったのでは、と思わせます。

    かつて、多くの人々が漱石を訪ねました。
    漱石のもとに行けば何かある……と、誰もが何かを求めて坂道を上ったことでしょう。
    その時の坂道は、私が見たように輝いていたのではないでしょうか。

    麗らかなその日、坂の上で私が見たのは、
    漱石山房記念館の隣、漱石公園にひっそりと咲く桜でした。
    誰に見られずとも、咲く時が来たので……という飾らぬ姿でした。
    しばし、その可憐で清らかな美しさを眺めていると、
    心の中に、ぽぅっと灯るものがありました。
    これを教えたくて、山房への小路が輝いていたのだ、と思ったのでした。
    ほのぼのとした気持ちで坂を下り、家へ帰りました。
    山房に漱石を訪ねた人々もきっと同じ。
    漱石という人に接し、心に何かが灯り、
    温かな気持ちを抱えて坂道を帰っていったことと思います。

    猫の街燈

    漱石山房記念館は静かに住宅街に溶け込んでいます。
    そこへの小路は人や車の往来も少なく、のんびりと散策すれば、
    あなたの心にも何か温かいものが灯るかも……。
    夕暮れには猫の街灯が優しく導いてくれますよ。

    ※漱石山房記念館のある漱石山房通りには、
    平成29年度から新宿区道路課によって猫のモチーフの街燈が設置されています。

    (漱石山房記念館ボランティア:井上公子)

    テーマ:その他    
  • ボランティアレポート3 千駄木の家

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    本郷区駒込千駄木町57番地(現在の文京区向丘2丁目)。
    この地に明治23(1890)年~25(1892)年までは森鷗外、
    そして明治36(1903)年3月~39(1906)年12月までは夏目漱石が住んでいました。
    現在、この家は愛知県犬山市にある博物館明治村に移築されています。

    戦火を免れたこのあたり一帯は、古い木造の家が残りました。
    私が幼い頃、そんな中のひとつを指して「なつめそうせきの家」と教えられたその家は、
    ひと気もなくひっそりとしていて薄暗く、ただ苔むして緑色になった塀だけが印象に残り、
    幼い記憶ではありますが今も思い浮かべることができます。

    今は日本医科大学の橘桜会館、
    済生学舎ギャラリーの前に「夏目漱石旧居跡」の碑が残っています。
    橘桜会館の塀には猫のオブジェが乗り、
    中へ入れば猫の足跡に導かれるように木製の「夏目漱石旧居跡」が残されています。

    本郷通りと並行する漱石旧居跡前の道は「人力」こそ通りませんが、今も比較的静かです。
    「道草」の主人公・健三は物語の冒頭で、
    毎日定刻に家を出て千駄木から追分へ出る通りを本郷の方へ歩いています。
    健三が歩いた通りはこの漱石旧居前の道だと思いますが、
    漱石旧居跡を後にして右手に進むと、現在の日本医大前の四つ角に出ます。
    その右角にある和菓子店「一炉庵」は明治36(1903)年の創業です。
    朝、店の前へ差し掛かると小豆を炊く良い香りが漂ってきます。
    健三も、いや漱石もこの同じ香りを嗅いでいたのではないだろうか。
    想像すれば、昔も今も変わらぬ良い香りが共有できたようでなんとなくうれしくなります。

    一炉庵

    健三の通勤路と離れて根津裏門坂から根津神社へ。
    乙女稲荷の舞台から社殿を囲む朱と緑の透塀を眺めるといつも清々しい気持ちになります。
    長い鳥居を下りたところには「文豪の石」があり、
    漱石も、鷗外も……色々な人が腰かけたのかも知れません。
    参拝を済ませ、表参道口を右手にS字坂を上れば健三の通勤路に戻ります。
    左へ出て不忍通りを渡って坂を上ればそこは谷中です。
    文学散歩をお楽しみください。
    (漱石山房記念館ボランティア:櫻井眞里子)

    テーマ:その他    
  • 夏目漱石と書

    令和3年1月17日(日)まで開催中の
    《通常展》テーマ展示「所蔵資料展 漱石の書と書簡」のみどころを紹介します。
    展示の詳細はこちらをクリック

    漱石の書と書簡展示風景

    小説によって、西欧流の近代個人主義の確立を目指した夏目漱石は、
    一方では漢詩文を中心とした江戸時代以来の東洋的教養を学んだ人物です。
    明治の文化は、和漢洋の統一を目指しましたが、
    ヨーロッパに見本がない書の世界は、羅針盤を失った、
    いささか不安定な芸術ジャンルとなっていました。
    芸術一般に対して、一家言を持った漱石が晩年好んだ書は、
    江戸時代の僧の良寛や明月などで、言わば書家のものではない書です。
    漱石自身も、身の回りには法帖(ほうじょう・手習いの見本)や
    拓本の類は多数所有していましたが、
    それらを本格的に学んだわけではありませんでした。

    漱石の晩年、漱石山房の客間には、
    明月書の「無絃琴」の扁額が掛けられていました。
    明月は松山の僧です。
    「無絃琴」とは、唐の詩人・陶淵明(とうえんめい)が、
    酔うと弦の無い琴を愛で、心の中で演奏を楽しんだという故事に由来します。
    世俗を超越した境地を示したこの言葉は、
    漱石作品には、早く「吾輩は猫である」や「草枕」に登場しています。

    他に書斎には草書の幅がたくさんぶら下がっていました。
    それは手本とした良寛の書であったり、
    書き上がったばかりの自らの書でした。
    漱石は、揮毫する際、毛氈(もうせん)を引き、唐紙を並べて、
    そばで見ている人に墨を磨らせ、筆を運びました。
    筆は長穂の軟毛を愛用しました。
    非常に長い毛の筆も自在に操ったといいます。
    漱石の東大講師時代の教え子・金子健二の証言によれば、
    筆は高級毛筆の産地である中国湖州産のものだったといいます。
    硯と墨についても関心が高かったようです。
    漱石は一画一画に細心の注意を払いながら、ゆっくりと心静かに書きました。

    漱石は、書が出来上がると留針(ピン)で留めて、
    木曜会で集まった門下生たちに披露しました。
    門下生の重鎮・森田草平によると、
    漱石は、褒められると子どものようにほくほく喜び、
    自分の揮毫(きごう)が表装されたものを見ると、
    これまたにこにこして喜んだといいます。
    しかし、その反面、自らはその出来栄えに満足することはあまりなく、
    何枚も何枚も書き、額に汗を浮かべながら、
    長時間にわたって字を書いていました。
    漱石の純粋さとこだわりがよくわかります。

    漱石は言っています。
    「書画だけには多少の自信はある。敢て造詣が深いといふのでは無いが、
    いゝ書画を見た時許りは、自然と頭が下るやうな心持がする。
    人に頼まれて書を書く事もあるが、自己流で、別に手習ひをした事は無い。
    真の恥を書くのである。」(夏目漱石「文士の生活」)

    展示は、「短冊の書」「作品の書」「書簡の書」の3部構成とし、
    館蔵資料のなかから漱石直筆の資料を展示しています。
    参考資料として、門下生他の漱石の書についての証言も集めました。

    ※11月17日(火)より、一部展示替えを行い、後期展示となります。
    後期の展示では、世田谷文学館より漱石の書軸等をお借りして展示します。
    是非、ご覧下さい。

    テーマ:漱石について    
  • ボランティアレポート2 猫の墓

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    11年飼っていた猫が8月末に亡くなりました。
    突然、具合が悪くなったのではありません。
    1年前、猫は後足に血栓ができ危うく命を落とすところだったのです。
    その後何とか生き延びましたが、今年の暑い夏は越せませんでした。
    私は昨年の4月に、漱石山房のボランティアになりました。
    猫が1年前倒れたとき、漱石の猫の墓のことが頭に浮かびました。
    そして漱石が詠んだ俳句のことも。
    此の下に稲妻起こる宵あらん
    和田利男「漱石の鳥獣悼亡句」(『漱石の詩と俳句』めるくまーる社、1974年)によると、
    「明治41年9月、例の『吾輩は猫である』のモデルにされた猫が死んだ。
    この句はその猫の墓標に漱石が書いてやったものである。
    『永日小品』の中に「猫の墓」という一章があり、
    「早稲田へ移つてから、猫が段々瘠せて来た。」という書き出しで、
    しだいに弱って行って遂に死に至るまでの容態がくわしく描写されている(中略)
    「稲妻」はこの句の季語になっているが、
    実は夜空の電光そのものをいっているのではなく、
    ここでは猫の目の光の比喩として用いたものである」
    とあります。
    この句について和田氏はさらに
    「滅びゆく生命の火花を双の目にともした猫の最期の憐れさが、
    漱石の眸裡にいつまでも焼きついていたに違いない。」
    としています。
    また、大正3(1914)年に漱石は
    ちらちらと陽炎立たちぬ猫の塚
    と詠んでいます。
    「此の下に」の句から6年余の歳月が流れていますが、
    漱石が生死の境を彷徨した修善寺の大患もその間にありました。

    猫の墓

    私の話にもどります。
    猫が1年前、生死の境をさまよっている頃、
    私も漱石のように猫が亡くなったら俳句を作ってみようかと思いました。
    しかし頭に浮かびませんでした。
    ちょうど書道教室に通い始めた頃でしたので、
    かわりに猫を詠んだこの2句を書いてみることにしました。
    その後1年間、猫は家の近くの犬猫病院に通院し、
    この夏再び入院することになりました。
    するとすぐに病院から呼ばれ、駆けつけましたが間に合いませんでした。
    亡くなった亡骸を、タオルケットに包み、両手で抱いて病院を出ました。
    まだ温かく生きているようでした。
    しかし妙に重く感じました。
    そういえば今までこんなに長く抱いたことがなかったことに気づきました。
    猫は抱かれるのが好きではなかったのです。
    人間と同じように四十九日後、両親がねむる墓の中に入れました。
    子猫のときから世話をした妻には、
    漱石山房で買った猫のコーヒーカップを贈ることにしました。

    注1:現在、漱石山房記念館に隣接する漱石公園にある猫の墓(猫塚)は、
    『吾輩は猫である』のモデルとなった猫の十三回忌にあたる大正9(1920)年に、
    夏目家で飼われた生き物たちを供養するため、
    漱石の長女・筆子の夫・松岡譲が造らせたものが、
    昭和20(1945)年に空襲で損壊し、
    その残欠を利用して昭和28(1948)年に再興されたものです。

    (漱石山房記念館ボランティア:松本民司)

    テーマ:その他    
  • ボランティアレポート1 「漱石山房記念館」開館の思い出

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
    漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    今から丁度3年前、平成29年9月24日(日)に、
    夏目漱石没後100年(平成28年)及び生誕150年(平成29年)を記念して、
    早稲田南町に「漱石山房記念館」がオープンしました。
    当日、私はボランティアガイドの為、
    近くのお店でコーヒーを飲みながら研修書を読み直し、
    地階から2階までの展示図をしっかりと頭に入れました。
    その日は朝から天気も良く、9時半頃出陣すると、
    玄関前には既に50人程の入場整理券を手にした人達が並んでいました。
    矢張り相当な人気がある模様です。

    現在のボランティアガイドは主に漱石の書斎の再現展示室を解説していますが、
    オープン直後は館内数箇所の解説をしており、私の担当は2階展示室で、
    明治大正に出版された漱石の作品『吾輩ハ猫デアル』、
    『虞美人草』、『三四郎』などの貴重な資料が並んでいました。
    さらに門下生との書簡や絵葉書、漱石の原稿や遺品、
    作品の解説、漱石の人脈図等々、
    まさに記念館の本丸のような展示品です。
    未だ入館者の居ない静かな展示室に立つと、
    何回も研修して来た事が懐かしく思い出されました。
    オープン初日は人が多く、ほとんど解説をする事もなく、
    来館者の誘導が主な仕事でしたが、
    10月~11月になると次第に来館者数も落ち着き、
    ゆっくりとガイドをする事が出来ました。

    その時の印象的なエピソードを一つ、思い出してみます。
    ある日、私が漱石の書斎の再現展示室でガイド待機中に、
    一人の男性が質問にいらっしゃいました。
    「漱石の書斎の右側にある調度品は何ですか?」
    この質問は初めてでした。

    ご質問をいただいた調度品

    私は漱石がロンドンから持ち帰った家具かと思っていましたが、男性は
    「私はインテリアを扱っている者ですが、ちょっと調べさせてください。」
    と希望されたので、事務室にご案内しました。
    職員がその男性のお話をお伺いしたところ、
    後日調査をしたいということになり、
    しかるべき手続きの後に、詳しく調査をされたそうです。
    その結果、辞書などの分厚い書物を読むための
    「書見台」ではないか?ということがわかりました。

    そのほかにも開館直後の時期はたくさんの質問を受け、
    色々な方とお話をすることができました。
    英国留学時代の漱石のブルー・プラーク
    (イギリスで著名人がかつて住んだことがある建物に設置されている銘板)
    をご覧になったという、ロンドンに住んだ事のある方。
    「夢十夜」を朗読するために勉強にいらっしゃったという方。
    漱石ゆかりの地を廻っているという方には、神楽坂の地図をお渡ししました。
    当然の如く博識の方が多く、この得難き貴重な体験を大事にしようと思いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:立脇清)

    テーマ:その他    
  • 漱石山房記念館がマンガに登場しています

    株式会社KADOKAWAが発行するWebコミック配信サイト『コミックNewtype』で
    連載中のマンガ『真夜中のオカルト公務員』は、アニメ化もされるなど人気の作品で、
    現在、コミックスは第13巻まで発行されています。

    真夜中のオカルト公務員13巻

    主人公は新宿区役所の「夜間地域交流課」の職員として、
    先輩たちと一緒に人ならざるものが関与するオカルト的事象を解決していきます。
    物語はフィクションですが、作品中には新宿区役所はもちろん、
    新宿御苑や箱根山など、新宿区内の風景がリアルに描きこまれています。
    令和2年8月25日にWeb配信された第54話と9月22日に配信予定の第55話は、
    漱石山房記念館が舞台になっているお話です。

    漱石山房記念館外観

    作者のたもつ葉子先生は漱石山房記念館に来館され、
    ご自身で取材された資料をもとに描いてくださいましたので、
    本物そっくりの漱石山房記念館が登場しています。

    導入展示

    最新話は以下のWebサイトで無料で読むことができます。
    コミックNewtype 『真夜中のオカルト公務員』
    https://comic.webnewtype.com/contents/occult/
    作品と本物を見比べてみるのも面白いかもしれません。

    導入展示

     

    テーマ:お知らせ    
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