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吾輩ブログ 一覧

  • ミュージアムショップに新商品が仲間入りしました(後編)

    漱石山房記念館のミュージアムショップでは、
    展示図録や夏目漱石にまつわるミュージアムグッズ、漱石作品の書籍などを取り扱っています。

    特に当館のみで販売しているオリジナルグッズは、来館者の皆さまに喜んでいただけるような商品を、
    少しずつ増やしていけるように力を入れて取り組んでいます。
    こちらのブログの前編ではこの秋の新商品『吾輩ハ猫デアル』の絵はがきをご紹介しました。
    後編では同じく『吾輩ハ猫デアル』の表紙をモチーフにした新商品、和紙ステッカーをご紹介します。

    『吾輩ハ猫デアル』の初版本の装丁について、夏目漱石はどのように考えていたのでしょうか?
    明治38(1905)年8月9日に漱石が『吾輩ハ猫デアル』の装丁を手掛けた橋口五葉宛てに送った葉書には
    「御依頼の表紙の義は矢張り玉子色のとりの子紙の厚きものに朱と金にて何か御工夫願度」とあります。
    「御依頼の表紙」とは『吾輩ハ猫デアル』上編の表紙のことで、
    橋口五葉はこの漱石の依頼のとおりに朱色と金色を用いた装丁で表紙を飾りました。

    さらに明治39(1906)年11月11日の橋口五葉宛ての書簡で漱石は中編の表紙について
    「今度の表紙の模様は上巻のより上出来と思ひます。あの左右にある朱字は無難に出来て古い雅味がある」
    と書いています。どうやら上編に比べて中編のデザインの方がより漱石は気に入ったようです。

    この表紙のデザインをステッカーにするにあたって、
    当館ではやはり漱石がこだわった部分を再現できればと考えました。
    そこで「とりのこ紙」をイメージした和紙素材のステッカー用シートに、
    「朱」色と「金」の箔押しで上・中・下編の表紙のモチーフを印刷し、
    それぞれ名刺ほどの大きさのステッカーが出来上がりました。
    3枚セットで200円(税込み)のお手頃価格で好評販売中です。

    さらに、11月27日(日)まで開催している「漱石×芥川スタンプラリー」では
    田端文士村記念館と漱石山房記念館を巡ってスタンプを集めた方全員に、
    この3種類の中からお好きな柄の和紙ステッカー1枚をプレゼントしています。
    無料でご参加いただけるスタンプラリーですので、チャレンジしてみてはいかがでしょうか。

    ※引用文の表記は岩波書店『定本漱石全集 第二十二巻』(2019年)に従いました。

    テーマ:その他    
  • ミュージアムショップに新商品が仲間入りしました(前編)

    漱石山房記念館のミュージアムショップでは、
    展示図録や夏目漱石にまつわるミュージアムグッズ、漱石作品の書籍などを取り扱っています。

    特に当館のみで販売しているオリジナルグッズは、来館者の皆さまに喜んでいただけるような商品を、
    少しずつ増やしていけるように力を入れて取り組んでいます。

    この秋は、こちらのブログでもご紹介した開館5周年記念グッズのほかに、
    『吾輩ハ猫デアル』の初版本装丁をモチーフにした新商品が2種類、仲間入りしました。

    1種類目は『吾輩ハ猫デアル』の絵はがきです。
    夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』の初版本は上、中、下編の3冊に分かれて出版されました。
    この3冊は色違いのカバー(ジャケット)にくるまれており、
    皆さんがメディア等で目にすることが多いのはこのカバーが付いた状態ではないでしょうか?

    『吾輩ハ猫デアル』初版本はこのカバーの下の表紙にも美しいデザインが施されています。
    3冊それぞれに個性的な猫のイラストにタイトルの文字が描かれ、
    箔押しで豪華に仕上げられているこの表紙デザインは、橋口五葉によるものです。

    漱石山房記念館では以前から上編表紙の絵はがきを販売しておりましたが、
    今回、中編と下編の絵はがきが仲間入りして、3冊分の絵はがきが揃いました。
    どちらの柄も1枚100円(税込み)です。
    今後も漱石山房記念館ミュージアムショップでは、
    初版本のデザインが気軽に楽しめる絵はがきを充実させていきたいと思います。
    (後編に続く)

    ※こちらのブログの写真の本は当館図書室に配架している復刻版です。
    絵はがきは当館所蔵の初版本を撮影した写真から作成していますので、
    ヤケやシミなども修正しておりません。あらかじめご了承ください。

    テーマ:お知らせ    
  • 中学生の職場体験学習 ミュージアムショップのポップ作りに挑戦!

    漱石山房記念館では新宿区内の中学校の
    職場体験学習を受け入れています。
    施設全体について学ぶことから始まり、
    3日間の日程で、実際に職員と一緒に受付でのお客様の対応、
    図書室の整理、次回展示会のちらしやポスターの発送作業など、
    様々な業務を体験しました。
    その中で、ミュージアムショップに仲間入りした
    新商品のディスプレイとポップづくりに挑戦しました。
    新商品は、今月売り出したばかりの㈱芸艸堂の和紙メモ箋2種、
    マスキングテープ2種、三つ折りクリアファイル1種の5点です。
    夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』の表紙のイラストをデザインした
    和紙メモ箋や、歌川広重の「猫」浮世画譜をデザインにしたマスキングテープなど、
    すべての商品が猫をモチーフとした人気の商品です。

    ディスプレイではお客様が商品のことを一目で分かるよう、
    工夫してガラスケースに陳列してくれました。
    さらに5点の中から自分で選んだグッズにじっくりと向きあい、
    大変目を引く素敵なポップを仕上げてくれました。
    私たち職員一同も、その仕上がりのすばらしさに感心し、
    代わるがわるショップの陳列ケースを眺めに行きました。
    中学生からは「好きなように作ってと言われて最初はとまどいましたが、
    アドバイスをもらい納得のいくものが作れました」
    「普段できないことができて、とても楽しかったです」
    などの感想を聞くことができました。
    皆さまもご来館の際にはぜひ漱石山房記念館ミュージアムショップにお立ち寄りいただき、
    中学生が挑戦してくれた素敵なポップをご覧ください。

    テーマ:お知らせ    
  • テーマ展示「夏目漱石「草枕」の世界へ」のみどころ

    「草枕」に登場する英国作家、ジョージ・メレディス

    「草枕」の中には、詩や小説など、いくつかの英国文学が引用されています。
    そのなかでジョージ・メレディス(1928~1909年)は、
    漱石が影響を受けた作家のひとりです。
    メレディスの作品としては、「ビーチャムの生涯」、
    「シャグパットの毛剃り」が「草枕」中で引用されています。
    展示している『漱石文学瑣談』(大正6〈1917〉年7月15日)にある
    「ジョオジ・メレデイス」は、明治42(1909)年にメレディスが亡くなったことを受け、
    同年5月21日、22日に「国民文学」(『国民新聞』紙上)に掲載された、
    漱石と門下生の野上臼川(豊一郎)とのメレディスに関する対談「メレディスの訃」を
    まとめたものと思われます。

    展示中の『漱石文学瑣談』

    その中で漱石は、メレディスの「シャグパットの毛剃り」を高く評価しており、
    「よくあんなに盛んな想像力が続かれるものだと思ふ」と記しています。
    東北大学附属図書館に所蔵されている漱石の旧蔵書の中にあるメレディスの作品は、
    メレディスの全集(The Works of George Meredith)の他3点確認できます
    (東北大学附属図書館『漱石文庫目録』1971年)。
    また蔵書への書き込みは、『定本漱石全集』第27巻によれば
    10点確認できます。中でも「草枕」第9章に引用されている「ビーチャムの生涯」の末尾部分には、
    「カヽル結末は容易になし。余音(韻)と云ふは此事なり」と記し、
    作品の結末について感嘆する書き込みが記されています。
    漱石は野上臼川との対談でメレディスの作品は
    「大抵皆読んだ。そうして大へんエライと思ってる」としています。
    蔵書への書き込みから推測すると、
    漱石はメレディスの全集を読んだのではないでしょうか。
    現在、メレディスの作品は、代表作として知られる『エゴイスト』の他、
    『リチァード・フェヴェレルの試練 父と息子の物語』、
    「シャグパットの毛剃」(『ゴシック名訳集成2 暴夜幻想譚』)、
    「喜劇論」など数点が翻訳されていますが、多くの作品は翻訳されていません。
    漱石が影響を受けたメレディスの作品がどの様なものであったのか、
    「草枕」に引用されている以外の作品についても興味が尽きません。
    (漱石山房記念館前館長 鈴木靖)

    テーマ:漱石について    
  • 万年筆という選択

    約四半世紀前になりますが、入社時に支給された文房具の中に
    電卓と並んで事務用万年筆がありました。
    当時は殆どの書類を手書きまたはワープロで作成していたからです。
    文書や年賀状もパソコンで手軽に作成できるようになった今では、
    手書きの機会が大幅に減ったという方も多いのではないでしょうか。
    私自身、手書きのものは書き手の存在を
    身近に感じられるような気がしています。
    そのため数年前に「手書きの機会を増やしてみよう」と思い立ち、
    万年筆を購入しようと考えました。
    万年筆を選択した理由は、持ち主の書き癖により書き味が変化するため
    「育てるもの」と言われていることから、
    使えば使うほど書きやすくなって、
    無くてはならない一本になってくれればと期待したからです。
    そこでインターネットで万年筆を調べたところ、
    その種類(需用?)の多さに驚きました。
    デザインだけでなく、素材や文字幅の種類など多岐に渡り、
    最初はどれを選べばいいのか全く見当がつきませんでした。
    同様に驚いたのがインクの種類の多さです。選ぶ楽しみが増えると思う一方で、
    このままでは絞り切れずに幾つも買ってしまうのではないかとの不安を覚えました。
    その不安は的中し、現在は複数の万年筆とインクが手元にあります。

    漱石山房再現展示室より

    漱石は「余と万年筆」(『定本 漱石全集 第十二巻』岩波書店、2017年)の中で
    「余の如く機械的の便利には夫程重きを置く必要のない原稿ばかり書いてゐるものですら、
    又買ひ損なつたか、使ひ損なつたため、万年筆には多少手古擦(てこず)つてゐるものですら、
    愈(いよいよ)万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもつて見ると、其他の人が
    価の如何(いかん)に拘(かか)はらず、毛筆を棄てペンを棄てゝ此方に向ふのは向ふ必要があるからで
    財力のある貴公子や道楽息子の玩具に都合のいゝ贅沢品だから売れるのではあるまい。」
    と万年筆の実用性を認めています。

    また「酒呑が酒を解する如く、筆を執る人が万年筆を解しなければ
    済まない時期が来るのはもう遠い事ではなからうと思ふ。
    ペリカン丈の経験で万年筆は駄目だといふ僕が
    人から笑はれるのも間もない事とすれば、
    僕も笑はれない為に、少しは外の万年筆も試してみる必要があるだらう。」
    とも書いています。
    手書きの機会が減った今、
    その貴重な時間をより良く楽しむためのアイテムとして、
    万年筆を選択してみては如何でしょうか。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石山房記念館5周年記念グッズを制作中です

    令和4年9月24日(土)、漱石山房記念館は平成29年の開館から5周年を迎えます。
    当館ではこれを記念したさまざまなイベントを企画しており、
    ミュージアムショップでは5周年記念グッズを鋭意制作中です。

    漱石山房記念館には夏目漱石の初版本が所蔵されています。
    版画家・装丁家・装飾美術家の橋口五葉や、画家の津田青楓による美しい装丁からは、
    漱石の本づくりに対するこだわりが感じられます。
    漱石自身も『こころ』や『硝子戸の中』の装丁をしています。

    この初版本のデザインをミュージアムグッズに活用できないか?と考えて、
    今回は文庫本サイズの布製ブックカバーを制作することにしました。
    どの作品のデザインにするか検討を重ねた結果、
    ちょうど令和4年9月に刊行から110年を迎える『彼岸過迄』と、
    早稲田や神楽坂など新宿区内の風景が多く描かれている『硝子戸の中』の
    2種類に決定しました。

    綿100%の帆布に初版本の図柄をアレンジしているのですが、
    できるだけ初版本に近い色味を布地に再現するのは調整が難しく、
    何度も試行錯誤をしながら作業をすすめています。

    9月の中旬くらいから販売開始予定ですので、
    どうぞお楽しみにお待ちください。
    どちらのデザインも限定200点ずつの販売です。
    正式な発売日が決まりましたら、Webサイトでお知らせします。

    テーマ:お知らせ    
  • 漱石山房記念館 壁面緑化について

    漱石山房通りから漱石山房記念館を見ると、
    向かって右手(東側)と左手(西側)に入り口があり、
    そこから漱石公園へ入っていくことができます。
    右手の入り口には漱石の銅像があり、大きな門扉もあるため、
    非常に分かりやすく、皆さんこちらから出入りすることが多いのではないでしょうか。
    しかし、左手からも漱石公園に入ることができます。
    向かって左手の入り口側の漱石山房記念館外壁では、
    つる植物を育てて壁面緑化を行っています。
    一見すると全部同じように思ってしまうかもしれませんが、
    実は2種類のつる植物が混じっています。
    2つのうち、つるがやや細いのが「ハゴロモジャスミン」(写真左側)で、
    太いのが「テイカカズラ」(写真右側)です。
    つるが互いに絡んでいる箇所もありますが、
    地面からたどっていただければ分かりやすいです。


    ハゴロモジャスミンは、「白い花びらが羽衣のように見える」ということが由来です。
    テイカカズラは、「定家葛」と書きますが、
    「定家」というのは、百人一首の撰者として有名な、
    あの藤原定家のことです。
    藤原定家が、後白河天皇の娘である式子内親王に思いを寄せ、
    内親王が亡くなった後もその墓に葛となって絡みついた……という言われから付いた名前とのことです。
    どちらも小さな花をたくさん付けます。
    高い壁が白い斑点で覆われた様子はなかなか壮観です。
    しかし、日当たりのよい建物の上部付近が良く繁茂しており、
    横を通っても人の目の高さでは意外と気づきにくいのです。
    どちらも4~5月が開花時期です。漱石山房記念館を訪れた際は、
    ぜひ漱石公園も見ていただき、お帰りの際に漱石の銅像とは逆側の出入口を通ったら、
    空を見上げていただくと、素晴らしい景色がご覧いただけるかもしれません。

    テーマ:その他    
  • 絵本で読む「草枕」 後編

    漱石山房記念館ミュージアムショップで扱う書籍の中に、
    『絵本 草枕~KUSAMAKURA~』(以下、『絵本 草枕』)という1冊があります。
    《通常展》テーマ展示 夏目漱石「草枕」の世界へ―絵本・絵巻・挿絵にみる「草枕」-
    (会期:令和4年7月7日(木)~10月2日(日))では、この本の原画も展示されます。
    『絵本 草枕』を発行するHalf wayの小須田祐二さんにお話を伺いました。

    前編から続く)
    ―小須田さんは「草枕」の舞台である熊本県玉名市にも足を運んでいらっしゃるそうですね。
    (小須田)最初は2016年2月に、「草枕」を絵本化するプロジェクトを始めるにあたって
    物語の舞台を訪問してみようと思い、「草枕交流館」へ向かいました。
    熊本市からバスで行ったのですが、そこで夏目漱石が旅した道が「草枕の道」として現在も歩けることを知り、
    それなら歩いてみようと思って2時間くらいかけて歩きました。
    峠を越えると、目の前に有明海が広がって、海の先にそびえる雲仙岳が見えました。
    小天温泉の方へ峠を下る途中には一面の蜜柑畑があり、漱石が滞在した「前田家別邸」に続きます。
    「草枕」の舞台になった美しい風景を体感して「漱石にとっても桃源郷みたいな場所だったのかな」と思いました。
    それ以来、玉名市を何度も訪問し、「前田家別邸」に隣接する旅館「那古井館」にも宿泊するなど、親しんでいます。

    小天温泉の蜜柑畑から雲仙岳を臨む
    (撮影:小須田祐二)

    ―『絵本 草枕』は電子書籍にもなっていますが、そのBGMも「草枕の道」にゆかりがあるそうですね。
    (小須田)『絵本 草枕』の電子書籍は現在、アプリから無料でご覧いただけます。
    ※電子書籍の詳細はこちらをクリック
    語りは熊本出身で元アナウンサーのKINUKOさん、
    音楽はNHK「ラジオ深夜便」にも出演する音楽家の守時タツミさんです。
    守時さんの音楽には小鳥の声や雨の音が入っていますが、
    それらは守時さんが「草枕の道」を実際に歩いて収録した音です。

    「草枕の道」峠の茶屋にて 小須田祐二さん

    ―最後に、7月7日からの「夏目漱石「草枕」の世界へ―絵本・絵巻・挿絵にみる「草枕」―」展に向けて、
    小須田さんからメッセージをいただければと思います。
    (小須田)私の手元にある新潮文庫の『草枕』は、本文が約170ページに対して、注釈が約30ページもついています。
    それだけ「草枕」には漱石の教養・知的背景が詰まっている、深みのある作品だということなのではないでしょうか。
    現代の私たちが読むには少しハードルの高い気もする「草枕」ですが、
    今回の展示は親しみやすいものになるのではと期待しています。
    また、漱石作品で「坊っちゃん」の舞台が「愛媛・松山の道後温泉」というのはよく知られていますが、
    それに比べて「草枕」の舞台が「熊本・玉名の小天温泉」というのはピンとこない方が多いような気がします。
    今回の展示を通して「草枕」の舞台についても知っていただければ嬉しいです。

    テーマ:漱石について    
  • 絵本で読む「草枕」 前編

    漱石山房記念館ミュージアムショップで扱う書籍の中に、
    『絵本 草枕~KUSAMAKURA~』(以下、『絵本 草枕』)という1冊があります。
    《通常展》テーマ展示 夏目漱石「草枕」の世界へ―絵本・絵巻・挿絵にみる「草枕」-
    (会期:令和4年7月7日(木)~10月2日(日))では、この本の原画も展示されます。
    『絵本 草枕』を発行するHalf wayの小須田祐二さんにお話を伺いました。

    『絵本 草枕~KUSAMAKURA~』
    原作:夏目漱石 脚色:結城志帆 画:いとう良一
    発行:小須田祐二(「草枕」絵本化プロジェクト)

    ―『絵本 草枕』を出版しようと思ったのは、どのようなきっかけですか?
    (小須田)若い頃から漱石の「草枕」が好きで、いつもお風呂に入りながら文庫本を何度も読み返していました。
    「草枕」の中で、画工が書物を読んでいると那美さんが「御勉強ですか」と声をかけてくるシーンがあります。
    画工は「勉強じゃありません。只机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」と答えますが、
    それと同じように私も適当に開いた部分をパラパラと読んでいました。
    2016年が漱石没後100年、2017年が漱石生誕150年ということで話題になり始めた頃に、
    ふと思いついて「草枕」を初めて最初から最後まで通して読んでみました。
    あらためて読み返すと、特に大きな事件は起きないけれども、ほんわかとした美しい物語だと思いました。
    絵本にしてみたら、この美しさが見えてくるのでは?と思ったのがきっかけです。

    ―『絵本 草枕』は小須田さんの目論見通り、とても美しい本ですね。
    (小須田)画を担当した、いとう良一さんとはある展示会で出会ったのですが、
    作品の優しい雰囲気が気に入りまして、直感的に「草枕」の絵本の画を依頼しようと思いました。
    漱石の原文を活かしながら絵本用のテキストを作成して、それを元にいとう良一さんに画を描いていただきました。

    Ⓒいとう良一

    ―最初はクラウドファンディングを利用して出版されたと伺いました。
    (小須田)2016年11月にクラウドファンディングを開始して、2017年4月に本が出来上がりました。
    最初は500部限定で出版して、クラウドファンディング支援者の皆さまに、
    物語の舞台になった熊本県玉名市や小天(おあま)温泉の特産品と一緒にお渡ししました。
    その後、ご好評をいただいて、玉名市の文化施設「草枕交流館」で販売したり、
    小天温泉の旅館「那古井館」では各部屋に置いてくださるようになりました。
    漱石山房記念館では現在、ミュージアムショップで販売しているほか、
    ブックカフェや図書室で自由に読んでいただくこともできます。
    どうぞお気軽にお手にとっていただければと思います。
    後編へつづく)
    ※引用文の表記は新潮文庫『草枕』(昭和25年初版、平成17年改版)に従いました。

    テーマ:漱石について    
  • お庭のザクロが実ってきました

    漱石山房記念館の前庭には、漱石の作品にちなんだ植物が植えられています。
    初夏の今時期は、ザクロの鮮やかな赤い花が受粉を終えて、
    果実に成長するかわいらしい姿を見ることができます。

    ザクロは、漱石作品『それから』の中で、
    主人公・代助の気分を表す場面に登場します。
    「柘榴(ざくろ)の花は、薔薇よりも派手にかつ重苦しく見えた。
    緑の間にちらりちらりと光って見える位、強い色を出していた。
    従ってこれも代助の今の気分には相応(うつ)らなかった。」

    (夏目漱石『それから』岩波文庫、138頁)
    暗調を帯びた気分の代助に、ザクロの花は、
    「余りに明る過(すぎ)るもの」、堪えがたいものと映ります。
    確かに、ザクロの花は濃い緑の葉の中で、
    小さいながらも力強く明るく咲いているように見えます。
    漱石山房記念館にお越しの際は、ぜひお庭の植物にも注目してみてください。
    小説の世界が広がります。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石の長襦袢

    漱石山房記念館では現在、令和4年6月12日(日)までの期間限定で、
    漱石の遺品の「長襦袢」と「硯」を特別公開しています。
    この長襦袢は平成29(2017)年の当館開館にあたって、
    半藤末利子名誉館長から寄贈されたものです。

    漱石の長襦袢


    半藤名誉館長は夏目漱石の門下生で作家の松岡譲と、
    漱石の長女・筆子の四女で、漱石の孫にあたります。
    『夏目家の糠みそ』、『漱石夫人は占い好き』(ともにPHP研究所)、『夏目家の福猫』(新潮社)など、
    夏目家に関するエッセイを多く執筆されており、
    この長襦袢の来歴については、著作『漱石の長襦袢』(文藝春秋)の中に詳しく記されています。
    『漱石の長襦袢』は当館ブックカフェや図書室にも配架されていますので、
    展示をご覧になった後に、ぜひお読みいただければと思います。

    昨年出版された著作『硝子戸のうちそと』(講談社)には、
    「漱石山房記念館」という一章が収録されており、
    当館の「整備検討会」や「完成を祝う会」の事なども記されています。
    また、5月24日放映のテレビ朝日『徹子の部屋』で語られた、
    夏目漱石のエピソードは「一族の周辺」の章に、
    夫の半藤一利さんとのエピソードは「夫を送る」の章に綴られています。
    『硝子戸のうちそと』も当館図書室でお読みいただけるほか、
    ミュージアムショップでも販売しています。

    半藤名誉館長の夏目家に関する著作はどれも、
    漱石の孫ならではの貴重なエピソードが描かれています。
    番組をご覧になってご興味を持たれた方は、お手に取ってみてはいかがでしょうか。

    テーマ:漱石について    
  • 漱石の言葉

    当館の2階通路展示室では、漱石の作品や、門下生・友人に宛てた手紙の中から、
    漱石の言葉をご紹介しています。
    小説の登場人物に託した漱石の想い、門下生や友人に示した漱石の人生観など、
    漱石がのこした言葉をご覧いただけます。

    今回はその中からいくつかご紹介したいと思います。

    僕は常に考えている。「純粋な感情程美しいものはない。美しいもの程強いものはない」と。
    (「彼岸過迄」明治45年)
    熊本より東京は広い。東京より日本は広い。・・・・・日本より頭の中の方が広いでしょう。
    (「三四郎」明治41年)
    智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。                         (「草枕」明治39年)
    余は吾(わが)文を以て百代の後に伝えんと欲するの野心家なり。
    (森田草平あての手紙 明治39年10月22日)
    『定本 漱石全集』(岩波書店)より

    一度は耳にした言葉もあったでしょうか。
    漱石は1867年に生まれ、1916年に生涯を閉じました。
    今から百年以上前の世を生きていた訳ですが、私たちにも共感できる言葉が多く、
    親近感を覚えると同時に、未来を見通していたかのような言葉にどきりとさせられたりもします。
    来館者アンケートでも、この展示が印象深かった、
    漱石の言葉が胸に刺さった等の感想を数多くいただきます。

    また、当館ミュージアムショップで販売している「漱石の言葉 日めくりカレンダー」
    には1日から31日まで毎日一つずつの漱石の言葉が入っています。
    今回ご紹介した以外にもたくさんの言葉に巡り合うことができます。
    ぜひ漱石山房記念館で、「漱石の言葉」に出会い、気に入った言葉を胸にお持ち帰りください。
    商品の詳細はミュージアムショップのページをご覧ください。

    テーマ:漱石について    
  • テーマ展示「漱石のミチクサー『道草』草稿を中心にー」みどころ 後編

    展覧会の見どころ・後編は、「第2章 草稿を読む」のコーナーをご紹介します。
    ここからは朝日新聞に掲載された文章と、
    当館所蔵の「草稿」の文章を比較して見ていきます。
    展示するのは、健三・御住(おすみ)夫婦の関係にかかわる新聞掲載回第19回、第23回、
    姉の夫・比田にかかわる第27回、28回、兄・長太郎にかかわる第36回、37回などの草稿です。

    書き直しの跡がよくわかる第27回の部分を見てみますと、
    冒頭の部分が数行書いては5回も原稿用紙を変えて書き換えられて、
    はじめに原稿1枚目に書かれていた比田と兄・長太郎の会話の部分は、
    定稿(新聞社に入稿された完成原稿)では2枚目のはじめに移り、
    1枚目に比田の軽薄さがわかる文章がまとめられたことがわかります。
    道草の草稿は、読みやすく文字におこした翻刻が岩波書店の
    『定本 漱石全集 第26巻』に掲載されているので、
    現存する草稿すべてを読むことができるのですが、
    原稿用紙の上のインクの染みや英語の書き込みは、
    実物にあたらないとわかりません。
    草稿を読んでいくと、
    枚数を重ねるごとに研ぎ澄まされていく文章はスリリングでワクワクします。
    書き渋った箇所には漱石のこころの揺れを感じ、
    文豪・漱石を身近に感じられます。
    展覧会は7月3日(日)までです。
    大正4(1915)年に『道草』の草稿が書かれた地に建つ、
    漱石山房記念館の展示会場で、漱石の息吹を感じてください。
    皆様のご来館をお待ちしております。

    テーマ:漱石について    
  • テーマ展示「漱石のミチクサー『道草』草稿を中心にー」みどころ 前編

    当館所蔵品の目玉である『道草』草稿をテーマにした展覧会
    (会期:令和4年4月14日(木)~7月3日(日))が開幕しました!
    まずはじめに、「草稿」とは、新聞社に入稿されずに書き潰しとなった原稿です。
    漱石の推敲過程を知る上で貴重な資料です。
    大正4(1915)年に書かれた『道草』の草稿は、
    全国の図書館や文学館などに分かれて、現在245枚の現存が確認されています。
    当館は朝日新聞全102回の連載のうちの12回分、70枚弱を所蔵しています。
    今回はできるだけ多くの草稿を皆さんにごらんいただきたく、
    狭い会場ではありますが、53枚の草稿を展示しています。
    直筆の資料を保護するために、前期(5月22日まで)・後期(5月24日から)で
    実物と複製(レプリカ)を展示替えし、
    会期を通じて直筆の草稿53枚をご覧いただけます。
    展示会場は2章で構成しています。
    「第1章 あらすじと登場人物」では
    「道草」が漱石の実体験に基づいた小説であることを確認するため、
    漱石の家系図に道草登場人物をなぞらえたパネルを展示しています。

    道草の主人公・健三は、兄や、姉の夫の比田と協力して、
    金銭を要求してくる離縁した養父・島田との交際を断つことに成功します。
    これと似たことは、実際に漱石の身の上にもおこっています。
    物語の中の兄の若い妻の話などが実体験に基づいていることは、
    このパネルの漱石の家族の年齢をご覧いただくとよくわかるかと思います。
    このコーナーには作品のモデルとなった
    漱石の生家への復籍に係わる書類の写真も展示しています。
    『道草』は家族の「片付かない」物語でもありますが、
    漱石の生い立ちや複雑な家系図は、その物語を読み解くヒントになるでしょう。
    (「テーマ展示「漱石のミチクサー『道草』草稿を中心にー」みどころ 後編」へ続く)

    テーマ:漱石について    
  • 漱石公園の桜が見頃を迎えました

    漱石山房記念館に隣接している漱石公園には、桜(ソメイヨシノ)の木が2本あります。
    今年、令和4(2022)年は3月27日(日)に東京の桜の満開宣言がありましたが、
    漱石公園の桜も満開の見頃を迎えています。

    漱石公園

    令和4年3月29日(火)撮影

    漱石公園

    令和4年3月29日(火)撮影

    今週末の4月2日(土)には漱石山房記念館で「レガスまつり2022」を開催します。
    当日は展示室への入館がどなたでも無料になるほか、
    記念品(絵はがき)の配布や、参加申込不要・無料の朗読会、
    事前申込制・有料(1回2,000円)の製本ワークショップも開催予定です。

    ・朗読会 漱石文学・その珠玉の小品世界と「漱石先生」の詳細はこちらをクリック
    ・製本ワークショップ 初めてでもできる!美しいブロックメモノートづくりの詳細はこちらをクリック

    製本ワークショップは13時~14時30分の回がすでに満席となりましたが、
    15時30分~17時の回はまだ若干の空席があります。
    開催直前となりましたので、お電話での受付も可能です。
    参加ご希望の方は漱石山房記念館(03-3205-0209)へご連絡ください。

    「レガスまつり2022」は新宿歴史博物館や林芙美子記念館、コズミックスポーツセンターなど、
    新宿区内のさまざまな文化施設で開催します。
    他の施設のレガスまつりの詳細はこちらをクリック
    お花見がてら、区内の文化施設を巡るお散歩はいかがでしょうか。

    テーマ:その他    
  • レガスまつり2022が開催されます

    きし」「くしゅう」「ポーツ」など様々な分野にわたるプログラムが楽しめる
    「レガスまつり2022」が4月2日(土)に開催されます。
    漱石山房記念館では、一日限りの観覧料無料に加え、
    展示観覧者全員に記念品(「漱石山房再現展示室」のポストカード)の
    プレゼントをご用意しております。

    地下1階の講座室では、
    製本ワークショップ朗読会を予定しています。
    また、レガスまつり特別企画として、
    4月2日(土)~5月8日(日)の期間中、
    謎解きイベント「レガス謎解きさんぽみち」を実施します。
    ブックレットを手に入れて、
    指定された新宿区内の各コースを巡りながら謎を解いた方には、
    オリジナルマグネットをプレゼントします。

    漱石山房記念館オリジナルマグネット

    コースは3種類あり、漱石山房記念館が含まれる
    「のんびり戸山コース」は、大久保スポーツプラザ、
    新宿コズミックセンター、戸山生涯学習館の合計4カ所を巡ります。
    ブックレットは全ての施設で配布しますので、
    どの施設からもスタートできます。
    他には、「しっとり落合コース」「ゆったり四谷コース」があります。
    各コースの施設ごとにマグネットのデザインが異なりますので、
    ぜひ集めてみてください。
    さらに、3つのコースを全て巡り、全問正解した方は、
    特別プレゼントにもご応募いただけます。
    詳細はこちら
    春の装いを感じる季節になってきました。
    お散歩がてら、ぜひ漱石山房記念館へ足をお運びください。

    テーマ:イベント    
  • ボランティアレポート9 福田先生の教え

    漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
    現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
    そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。

    長く続くコロナ禍のおかげで、自宅で過ごす時間が増えました。
    ぽっかりと空いた時間にふと、遠くなった自分が思い出されます。
    郷愁に誘われる、というのでしょうか。懐かしい日々が蘇ってきます。

    漱石の作品「永日小品」の「紀元節」という本当に短い文章が好きです。
    読まれた方も多いかと思います。書かれているのは学校での一コマです。
    私はこの作品にしっとりとした優しさを感じます。

    夏目漱石「永日小品」収録『四篇』
    明治43(1910)年、春陽堂

    小学生も学年が上がると先生にあだ名をつけたりしてからかうことを覚えます。
    時には馬鹿にもします。私もそうでした。
    先生のちょっとした癖をクラスメイトと笑ったりしたものです。
    そんな教室の雰囲気は漱石の明治時代も、私が育った昭和時代も、
    そして、おそらくは令和の時代も変わらないのではないでしょうか。
    子どもはいつの時代も大人をからかうものです。
    やがて、その子は大人になり、かつての自分を思い出し、若かったことを恥じる時があります。
    既に漱石の年齢を越えた私ですが、顔から火が出るような思い出は多く、
    また、いまだに恥の上塗りを続けています。

    「紀元節」の中で福田先生は、黒板に「記元節」と書いたのを
    「後から三番目の机の中程にいた小供」に「紀元節」と直されたことに気付きます。
    そして、「誰か記を紀と直した様だが、記と書いても好いんですよ」と言うのです。
    それは、記を紀と直した小供に謙虚ということを教えたように思えます。
    福田先生も謙虚であったことがわかります。

    知恵をひけらかすことの恥ずかしさをやんわりと諭した
    (実際には福田先生は諭してはいないのでしょうが……)、
    爺むさい福田先生は、その小供が大人になってもなお、
    「思い出すと下等な心持がしてならない」という人間に育てたのでした。

    目立つことなく、それでいて、心のどこかに確かに残るもの。
    福田先生を思うと、過去の恥ずかしい自分が浮かんできます。
    「紀元節」はさりげなく、懐かしい日々を思い出しながら自分と向き合うことを教えてくれます。

    ※引用文の表記は新潮文庫『文鳥・夢十夜』(昭和51年初版、平成14年改版)
    に収録されている「永日小品」に従いました。

    (漱石山房記念館ボランティア:井上公子)

    テーマ:その他    
  • 夏目漱石誕生記念朗読会の動画を撮影しました

    当館では毎年、館内で活動している朗読団体にご協力いただき、
    新暦2月9日の漱石の誕生日を記念した朗読会を開催しています。

    昨年度は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
    インターネット上での動画配信のみ行いましたが、
    今年度こそはお客様をお招きしての朗読会を開催したいという願いをこめて、
    朗読団体の皆さまと数ヶ月前から準備をすすめてまいりました。

    しかし、オミクロン株の影響で新型コロナウイルスの感染状況は落ち着かず、
    2月9日(水)に予定していた「夏目漱石誕生記念2月9日朗読会」は残念ながら中止。
    当日、無観客の会場で撮影した朗読動画を、後日インターネット上で配信する形になりました。

    この日のために一所懸命に練習を積んでいただいた朗読団体の皆さまが、
    心を込めて作品を朗読してくださいました。

    当館名誉館長の半藤末利子氏と、昨年亡くなられた夫の半藤一利氏による、
    漱石にまつわる作品も許可を得て朗読しています。
    朗読作品の詳細はこちらをクリック

    撮影した動画は3月下旬ごろの配信開始を目指して、鋭意編集中です。
    新宿未来創造財団公式YouTubeチャンネル「レガスちゃんねる」から無料でご覧いただけます。
    レガスちゃんねるby新宿未来創造財団はこちらをクリック
    配信を開始しましたら、漱石山房記念館ウェブサイトでお知らせしてまいります。

    このたび「漱石誕生記念2月9日朗読会」へ参加申し込みをいただいた皆さまには、
    イベントにお越しいただくことができず、誠に申し訳ありませんでした。
    来年度こそは2月9日に漱石誕生記念朗読会を実施できることを願っています。

    テーマ:イベント    
  • 2月9日は夏目漱石の誕生日です

    「夏目漱石誕生之地」碑


    今日2月9日(水)は漱石の誕生日です。
    漱石は、慶応3(1867)年1月5日(新暦では2月9日)、
    江戸牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)の名主・夏目小兵衛直克の五男として生まれました。
    漱石が生まれた年は、その年の11月に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜により大政奉還が行われ、
    世の中が大きく変わろうとしている頃のことでした。
    漱石は「金之助」と名付けられますが、
    それは生まれた日時が干支で庚申(かのえさる)の日の申の刻
    (午後4時またはその前後を含む2時間)にあたり、
    このときに生まれた子どもは大変出世するか、さもなくば大泥棒になる、
    それを避けるには名前に金偏の字を入れればよいとの俗信に従ったためでした。

    漱石没後に出版された漱石の妻・鏡子夫人が語る
    『漱石の思い出』には、以下のように記されています。

    「夏目は慶応三年正月五日に生まれたのですが、
    それが申の日の申の時に当たっていました。
    その申の日の申の刻に生まれたものは、
    昔から大泥棒になるものだが、それを防ぐには
    金偏のついた字を名につければよいという言い伝えがあって、
    それで金之助という名をつけたということです。
    そのかわりえらくなればたいそう出世するものだとこういうのです。」

    名前の略称は「金」で、漱石は後年も親しい友人や弟子に宛てた書簡では、
    この一文字で署名することもありました。

    現在、漱石の生家跡地には、
    漱石門下生・安倍能成(あべ・よししげ)の筆による
    「夏目漱石誕生之地」の文字が刻まれた記念碑が建てられています。
    記念碑は、東京メトロ早稲田駅(2番出口)からでてすぐ、
    早稲田前交差点から夏目坂をのぼりかけた左手側にあります。

    写真には記念碑のほかに、碑を囲む赤レンガが写っています。
    このレンガは漱石の家の蔵に使用されていたものと伝わっており、
    昔の名残を偲ぶことができます。
    なお、当館にも同じ赤レンガが保管されておりますが、
    常時展示はしておりません。

    ※引用文の表記は夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思い出』文春文庫(1994年)
    の表記に従いました。

    テーマ:漱石について    
  • テーマ展示「漱石からの手紙」みどころ

    夏目漱石は多くの手紙を書いていたことが知られています。
    今回は展示している手紙の中から、
    漱石の親友・正岡子規宛ての葉書を紹介します。

    夏目金之助 正岡常規宛て葉書
    明治28(1895)年5月30日消印(裏面)


    明治28(1895)年5月30日消印の葉書は、
    漱石が松山の中学校に着任直後、
    結核療養のために入院していた子規に宛てたものです。
    この葉書には七言律詩の漢詩が書かれていますが、
    これは2日前消印の手紙に書かれていた4首の漢詩に続くものでした。
    そしてそこにはひとり東京を離れて
    松山に赴任した漱石が抱えていた
    寂しさや緊張感など複雑な思いがつづられていました。
    葉書は明治2(1869)年にヨーロッパで誕生し、
    日本では明治6(1873)年に取り入れられた新しい郵便制度です。
    現在ならばSNSにあたるものでしょうか。
    漱石の葉書も、江戸時代から明治初期にかけ
    漢学教育を受けた日本の文化人が用いた漢詩を、
    新しい通信手段を使って親友に送ったと考えると、
    興味深いものがあります。

    テーマ:漱石について    
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