現在開催中の《通常展》「夏目漱石と漱石山房 其の一」では、
冒頭に漱石が朝日新聞の社会部長の渋川玄耳に宛てた明治40(1907)年 6月16日付の書簡を展示し、
漱石の専属作家として初の作品「虞美人草」の執筆状況を伝えています。
現在、原稿用紙90枚(連載20回分)が出来ているが、
「前途遼遠」であると漱石は述べています。
この手紙の一週間後の6月23日に連載が始まりました。
また、チラシやポスターには、漱石の三周忌を期して
大正8(1919)年に出版された『漱石遺墨 第二』から、
漱石が描いた椿の花を用いました。
さて、漱石山房記念館CAFE SOSEKIの前の中庭では、
現在残念ながら寒椿は散りつつありますが、
虞美人草の花が咲いています。
昨夜豊隆子と森川町を散歩して草花を二鉢買った。
植木屋に何と云ふ花かと聞いて見たら虞美人草だと云ふ。
折柄小説の題に窮して、予告の時期に後れるのを気の毒に思つて居つたので、
好加減ながら、つい花の名を拝借して巻頭に冠らす事にした。
「虞美人草」連載のひと月前に掲載された漱石自身による「予告」です。
「虞美人草」は10月29日まで127回連載されました。
漱石は「好加減」に付けたといいながら、
作中の最後に虞美人草を印象的に使ったのはご存知の通り。
一方の椿も「虞美人草」四に、「机の前に頬杖を突いて、
色硝子の一輪挿をぱつと蔽う椿の花の奥に、小野さんは、
例によつて自分の未来を覗いて居る」と「未来を覗く椿の管が、同時に揺れて、
唐紅の一片(ひとひら)がロゼツチの詩集の上に音なしく落ちて来る。
完き未来は、はや崩れかけた」と暗い未来を暗示させています。
漱石は趣味の絵画でもしばしば椿を描いていますが、
椿の木が漱石山房の庭にあったという記録は無いようです。
漱石公園の桜の満開はまだ先になりそうですが、
展示をご覧になりながら、
当館中庭や公園の草木も愛でてみてはいかがでしょうか?