新宿区立新宿歴史博物館では、
学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
令和2年度は5人の実習生が参加して、10日間の博物館実習が行われています。
新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いましたので、
実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。
今回は、現在行なわれているテーマ展示
「越後の哲学者 松岡譲 ―人と作品―」についてご紹介します。
「夏目漱石の門下生」「漱石に越後の哲学者と評された」など
夏目漱石との関わりの中で語られることが多い松岡ですが、
今回は松岡と彼の故郷長岡で出土した火焔型土器、
そしてオリンピックとの意外なつながりについて紹介します。
松岡譲の生涯
松岡譲は明治24(1891)年に新潟県古志郡石坂村(現・長岡市)で生まれました。
生家である寺を継ぐことを期待されながらも文学の道に進み、
約50年にわたり作家として活動しました。
重厚な長編小説や夏目漱石についての随筆など、500点近い著作を遺しています。
松岡と火焔型土器、オリンピック
晩年の松岡は、縄文時代の火焔型土器に強い関心を持っていました。
長岡で発掘され、長岡科学博物館に展示されていた火焔型土器を鑑賞し、
すっかり魅了された松岡は、友人らにチラシを配り、その魅力を伝えました。
さらに、自らテニス愛好者向けの雑誌を創刊するほどスポーツを愛好していた松岡は、
東京オリンピックの聖火台のデザインを火焔型土器にする案を提言したそうです。
他にも、当時の東京都知事に火焔型土器の模型を送り、
大会事務総長に1時間にも及ぶプレゼンテーションを行うなど、精力的な活動を行なっていました。
松岡の提案が1964年の東京オリンピックに取り入れられることはありませんでしたが、
その思いは現代にも受け継がれています。
松岡の出身地である長岡市が加盟する信濃川火焔街道連携協議会は
今回開催予定の東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に
火焔型土器のデザインが採用されることを目指して活動をしています。
参考文献:関口安義『評伝 松岡譲』小沢書店 1991年
(博物館実習生:加納)