漱石山房記念館2階資料展示室では令和5年10月15日(日)まで、
《通常展》テーマ展示「『硝子戸の中』と漱石のみた東京」を開催しています。
「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、
赤い実の結つた梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、
其他に是と云つて数へ立てる程のものは殆んど視線に入つて来ない。
書斎にゐる私の眼界は極めて単調でさうして又極めて狭いのである。
其上私は去年の暮から風邪を引いて殆んど表へ出ずに、
毎日此硝子戸の中にばかり坐つてゐるので、世間の様子はちつとも分らない。
心持が悪いから読書もあまりしない。
私はたゞ坐つたり寐たりして其日其日を送つてゐる丈である」
(夏目漱石「硝子戸の中」一より)
抜粋部分にあるように、執筆を始めた当初、漱石は体調をくずしてほとんど外に出ていない状態でした。
そのような中で書かれたのが、漱石にとって身近なことや実際に身の回りで起きたことなどが記されている
『硝子戸の中』です。
例えば、漱石の家族のこととして、異母姉である沢と房の芝居見物の話が書かれており、
姉たちの芝居小屋までの経路が詳しくわかります。
「彼等は築土を下りて、柿の木横町から揚場へ出て、
かねて其所の船宿にあつらへて置いた屋根船に乗るのである。
私は彼等が如何に予期に充ちた心をもつて、
のろ〱砲兵工廠の前から御茶の水を通り越して柳橋迄漕がれつゝ行つただらうと想像する。(中略)
大川へ出た船は、流を溯つて吾妻橋を通り抜けて、今戸の有明楼の傍に着けたものだといふ。
姉達は其所から上つて芝居茶屋迄歩いて、それから漸く設けの席に就くべく、小屋へ送られて行く」
(夏目漱石「硝子戸の中」二十一より)
漱石自身には生家の羽振りがよかったこの頃のことはあまり記憶になく、
この話を兄から聞いた漱石は
「そんな派出な暮しをした昔もあつたのかと思ふと、愈夢のやうな心持になるより外はない」
と述べています。
また、会場では、展示資料に関係する回の新聞の切り抜きを展示しています。
新聞記事は文字が小さく読みづらいので、展示室内のベンチに文庫本をご用意しております。
本文をお読みになりたい方はぜひご利用ください。
『硝子戸の中』からは、漱石の身近な出来事や周囲の人々のことを通して、
漱石のものの見方や考え方も窺い知れます。
漱石山房やこの近くのことがたくさん出てきますので、
実際の場所を辿りながら、『硝子戸の中』を読んでみてはいかがでしょうか。