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松岡譲と津田青楓–描かれなかった耳疣(みみいぼ)の歴史–

「越後の哲学者 松岡譲」展は6月16日にようやく開幕することができました。
新型コロナウイルス感染予防対策として、手指消毒、検温、入場制限等、
ご来館の皆様にはご負担をおかけしておりますが、
ご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

今回は開催中の松岡展から、
今年(2020年)生誕140年を迎えた画家・津田青楓関係資料に注目したいと思います。
津田青楓は、夏目漱石の木曜会に出席し、
漱石作品の『道草』を装幀した画家として知られています。
青楓は、漱石没後も未亡人や子女に油絵を教えるなどして、
夏目家の人々と親しく交友しました。
漱石の長女・夏目筆子と結婚した松岡譲とは、
大正13(1924)年に京都で開催した漱石遺墨会や、
昭和4(1929)年の『漱石寫眞帖』の刊行、漱石忌など、
漱石追悼の機会を共にし、折々の手紙で近況を報告しあう親密な友人関係にありました。
展示中の松岡譲宛津田青楓書簡

昭和41(1966)年、86歳の青楓は、75歳の松岡に肖像画《譲上人座像》を送っています。
その後、松岡に宛てた手紙の中で、漱石の宗教観に関する文章を書くため
松岡の著作『ああ漱石山房』の持ち合わせがあれば送ってほしいと書いています。
松岡はその返信の手紙に、
「…処で一昨年でしたか私の顔を描いて下さりましたね。
私は両耳の耳の穴の前のところに人にはない、贅肉の疣が揃ってシンソリカルにあるんです。
昔それをテーマに「耳疣の歴史」という自伝めいた短編を書いた時、
寺田寅彦さんから大変ほめて頂いたことがあります。
ところがあなたの描いて下さった貴方の所謂「譲上人像」にはその大事なトレードマークがないのです。
いつかこれを一寸かき入れてくださるまいか。欠点即ち特徴ですから。」(注:1)と書きました。

この手紙を受け取った青楓は、
「…偖(さて)お手紙で思い出しました昔譲上人像書いたことがありましたね、
耳に左右にシンメトリに疣があるとのこと、若し手数をいとはず送って頂けば、
瘤をくっつけるなり又文章で書き入れしておいてもよろしい。」と返信しました。
しかし、現存する《譲上人座像》の耳には疣が描かれていません。
この手紙が届いた4か月後に松岡は帰らぬ人となり、疣が描かれる機会は失われてしまったのです。

「耳疣の歴史」は大正11(1922)年『新小説』に発表され、
その一年後、松岡の記念すべき第一著作集『九官鳥』に収められました。
『九官鳥』の装幀は青楓が行っています。
「耳疣の歴史」は、二人の交友を加味して松岡が亡くなるまで紡がれていたのですね。
現在開催中の「越後の哲学者 松岡譲‐人と作品‐」(~9月6日(日)まで)では、
このいきさつを示す青楓直筆の手紙や青楓作の《譲上人座像》(写真パネル)をご覧いただけます。
皆様のご来館をお待ちしています。

注1:津田青楓『春秋九十五年 限定版』求龍堂、1973年、41頁参照。
※引用文の表記は出典のままとしました。

テーマ:その他    2020年7月22日
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