漱石山房記念館では、ボランティアガイドが
漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っていましたが、
現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休止しています。
そこで、この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。
本郷区駒込千駄木町57番地(現在の文京区向丘2丁目)。
この地に明治23(1890)年~25(1892)年までは森鷗外、
そして明治36(1903)年3月~39(1906)年12月までは夏目漱石が住んでいました。
現在、この家は愛知県犬山市にある博物館明治村に移築されています。
戦火を免れたこのあたり一帯は、古い木造の家が残りました。
私が幼い頃、そんな中のひとつを指して「なつめそうせきの家」と教えられたその家は、
ひと気もなくひっそりとしていて薄暗く、ただ苔むして緑色になった塀だけが印象に残り、
幼い記憶ではありますが今も思い浮かべることができます。
今は日本医科大学の橘桜会館、
済生学舎ギャラリーの前に「夏目漱石旧居跡」の碑が残っています。
橘桜会館の塀には猫のオブジェが乗り、
中へ入れば猫の足跡に導かれるように木製の「夏目漱石旧居跡」が残されています。
本郷通りと並行する漱石旧居跡前の道は「人力」こそ通りませんが、今も比較的静かです。
「道草」の主人公・健三は物語の冒頭で、
毎日定刻に家を出て千駄木から追分へ出る通りを本郷の方へ歩いています。
健三が歩いた通りはこの漱石旧居前の道だと思いますが、
漱石旧居跡を後にして右手に進むと、現在の日本医大前の四つ角に出ます。
その右角にある和菓子店「一炉庵」は明治36(1903)年の創業です。
朝、店の前へ差し掛かると小豆を炊く良い香りが漂ってきます。
健三も、いや漱石もこの同じ香りを嗅いでいたのではないだろうか。
想像すれば、昔も今も変わらぬ良い香りが共有できたようでなんとなくうれしくなります。
健三の通勤路と離れて根津裏門坂から根津神社へ。
乙女稲荷の舞台から社殿を囲む朱と緑の透塀を眺めるといつも清々しい気持ちになります。
長い鳥居を下りたところには「文豪の石」があり、
漱石も、鷗外も……色々な人が腰かけたのかも知れません。
参拝を済ませ、表参道口を右手にS字坂を上れば健三の通勤路に戻ります。
左へ出て不忍通りを渡って坂を上ればそこは谷中です。
文学散歩をお楽しみください。
(漱石山房記念館ボランティア:櫻井眞里子)