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特別展の見どころ 野上弥生子の漱石への思い

開催中の《特別展》「夏目漱石と野上豊一郎・弥生子」では、
日本近代文学館からお借りした明治40(1907)年1月17日に
漱石が弥生子の習作「明暗」に対して批評した巻紙2通を前・後半で1通づつ展示します(11月20日に展示替え)。
前年の年末に夫の豊一郎が漱石へ葉書でアドバイスを求め、
「明暗」が漱石に手渡された後、漱石がしたためた2通合わせて5メートル近い批評文です。
非常に苦心の作なり。然し此苦心は局部の苦心也。従つて苦心の割に全体が引き立つ事なし」から始まり、
1通目では7か条に渡って批評を加えた後、
2通目で「実際に就て」と具体的な指摘を同じく7か条に渡って掲げられています。
この2通には日付も差出名も宛名もありませんが、
漱石全集等は漱石の書簡として収録しています。
おそらく豊一郎が直接漱石から託され、弥生子に手渡したものでしょう。
「明暗」は発表されることなく、弥生子の没後に発見されるまで未公開作品となりましたが、
弥生子は講演会などでこの批評文を壇上から披露するなどし、
晩年に至るまで漱石への感謝の思いを持ち続けました。
文化勲章を受章するなど作家としての地位を確立した弥生子ですが、
漱石への感謝の思いを隠すことはありませんでした。

野上彌生子『縁』(成瀬書房)


さて、写真は限定版『縁・父親と三人の娘』で昭和54(1979)年8月に成瀬書房から刊行されたものです。
200部限定出版で、装幀は中川一政、手刷りの木版画装で本文を和紙、
和綴じで製本し、紺染め木綿装の帙に入れ、弥生子の肉筆署名と落款、
そしてシリアル番号の入った出版物です。
弥生子94歳の時の出版ですが、弥生子の力の入れ様が感じられます。
「縁」は『ホトトギス』明治40(1907)年2月号に本名のヤヱ(八重子)の名前で掲載された、
野上弥生子のデビュー作です。

『ホトトギス』明治40(1907)年2月号


「父親と三人の娘」は明治44(1911)年8月にやはり『ホトトギス』に掲載された作品です。
弥生子は、漱石に「明暗」を批評された後すぐに「縁」を書き上げ、
漱石の推薦文(「漱石氏来書」)と共に『ホトトギス』に掲載されました。
『縁』といふ面白いものを得たから『ホトトギス』へ差上げます。
(中略)しかも明治の才媛が、いまだかつて描き出しえなかった嬉しい情趣を、表しています。
(中略)広く、同好の士に読ませたいと思います。
」(「漱石氏来書」)
限定版ではこの「漱石氏来書」までも別刷で添付されており、
弥生子の特別な思い入れが表れているように感じ取れます。
漱石の批評文、そして推薦文。
夫豊一郎を通して行われた漱石の指導は厳しくも温かいものでした。
漱石の「明暗」批評文2通は非常に長いものなので、
会期の前半に1通目を、11月21日(火)からの後半では2通目を展示していますので、
2通ともに観ていただければ幸いです。
(漱石山房記念館学芸員 今野慶信)

テーマ:漱石について    2023年11月8日
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