新しい年になり、新たな挑戦をされている方も多いのではないでしょうか。
今回は、漱石が行った新たな挑戦、自転車のエピソードを『自転車日記』からご紹介します。
漱石の挑戦の舞台はロンドン、渡英中の1902年のことでした。
下宿先(クラパム・コモン、ザ・チェースのリール家)のお婆さんの「命に従つて」、
下宿を同じくしていた犬塚武夫を「監督兼教師」として、自転車に乗ることになりました。
犬塚の女性用がいいという薦めを断り、訪れた自転車屋で漱石が購入したのは老朽した男性用自転車。
下宿近くの人通りの少ない馬乗場で、「乗つた後の事は思ひやるだけに涙の種」と評した
不具合だらけの自転車との悪戦苦闘が始まりました。
いざこぎ出そうとするとひっくり返る漱石の自転車を犬塚は支え、
押し出しますが、漱石は何度も自転車から落ちてしまいます。
なかなかうまく乗れないので、漱石と犬塚は坂を一気に自転車で駆け降りることを試みます。
非常に危険なので真似してはいけませんが、
犬塚の合図で下り始めた自転車の疾走ぶりはぜひとも『自転車日記』で
その描写を読んでいただきたいところです。
こうしてどうにか自転車に乗ることができるようになった漱石。
自転車自体に問題があったこともあるのでしょうが、曲がりたい方向の反対に進んだり、
角で急回転して驚いた後ろの人を落車させることもありつつ、
各所に自転車で出かけたことが記されています。
タイトルの「人間万事漱石の自転車」はその一節で登場する言葉で、
「自分が落ちるかと思ふと人を落とすこともある、そんなに落胆したものでもない」と続いています。
自転車に挑戦したのは、「夏目狂セリ」の電報が文部省に届いた、
神経衰弱が深刻な時期でしたが、『漱石の思い出』で、妻の鏡子はロンドンの漱石の様子を
「人通りの少い郊外なんぞを悠々と乗りまわしてゐるうちに、
余程気分も晴れやかになつたと見えて」としており、
自転車によって気分が晴れたようです。
良い影響のあった自転車ならば、帰国後も乗ったのでは?と感じます。
漱石の自転車監督兼教師・犬塚から帰国後の漱石に宛てた手紙は当館が所蔵しています。
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犬塚武夫書簡 K.Natsume(夏目金之助)宛て 明治36(1903)年11月26日 「松岡・半藤家資料」
※写真は書簡2枚目
「自転車は是非共御励み申候、尤本邦は道路悪しく遠乗ニハ困難ニ御坐候」とあります。
「或る時は立木に突き当たつて生爪を剥がす」ほど苦心した自転車ですが、
乗ったのは短い期間ということになります。
挑戦には痛手や失敗が続き、さらには環境が変わってやめてしまうことがあるかもしれませんが、
「人間万事漱石の自転車」の言葉をつぶやきつつ、
あまり気に病まないことも大事かもしれません。
(学芸員 朝野)