約四半世紀前になりますが、入社時に支給された文房具の中に
電卓と並んで事務用万年筆がありました。
当時は殆どの書類を手書きまたはワープロで作成していたからです。
文書や年賀状もパソコンで手軽に作成できるようになった今では、
手書きの機会が大幅に減ったという方も多いのではないでしょうか。
私自身、手書きのものは書き手の存在を
身近に感じられるような気がしています。
そのため数年前に「手書きの機会を増やしてみよう」と思い立ち、
万年筆を購入しようと考えました。
万年筆を選択した理由は、持ち主の書き癖により書き味が変化するため
「育てるもの」と言われていることから、
使えば使うほど書きやすくなって、
無くてはならない一本になってくれればと期待したからです。
そこでインターネットで万年筆を調べたところ、
その種類(需用?)の多さに驚きました。
デザインだけでなく、素材や文字幅の種類など多岐に渡り、
最初はどれを選べばいいのか全く見当がつきませんでした。
同様に驚いたのがインクの種類の多さです。選ぶ楽しみが増えると思う一方で、
このままでは絞り切れずに幾つも買ってしまうのではないかとの不安を覚えました。
その不安は的中し、現在は複数の万年筆とインクが手元にあります。
漱石は「余と万年筆」(『定本 漱石全集 第十二巻』岩波書店、2017年)の中で
「余の如く機械的の便利には夫程重きを置く必要のない原稿ばかり書いてゐるものですら、
又買ひ損なつたか、使ひ損なつたため、万年筆には多少手古擦(てこず)つてゐるものですら、
愈(いよいよ)万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもつて見ると、其他の人が
価の如何(いかん)に拘(かか)はらず、毛筆を棄てペンを棄てゝ此方に向ふのは向ふ必要があるからで
財力のある貴公子や道楽息子の玩具に都合のいゝ贅沢品だから売れるのではあるまい。」
と万年筆の実用性を認めています。
また「酒呑が酒を解する如く、筆を執る人が万年筆を解しなければ
済まない時期が来るのはもう遠い事ではなからうと思ふ。
ペリカン丈の経験で万年筆は駄目だといふ僕が
人から笑はれるのも間もない事とすれば、
僕も笑はれない為に、少しは外の万年筆も試してみる必要があるだらう。」
とも書いています。
手書きの機会が減った今、
その貴重な時間をより良く楽しむためのアイテムとして、
万年筆を選択してみては如何でしょうか。