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漱石山房の「硝子戸」

「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、
赤い実の結つた梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、
其他に是と云つて数へ立てる程のものは殆んど視線に入つて来ない。
書斎にゐる私の眼界は極めて単調でさうして又極めて狭いのである。」

夏目漱石の随筆『硝子戸の中』の冒頭部分です。
『硝子戸の中』は、大正4(1915)年に39回にわたって朝日新聞に連載されました。
タイトルも、第1回目の始めの単語も「硝子戸」となっています。
この作品を書くにあたって、「硝子戸」というキーワードと「“うち”と“そと”」の意識が、
漱石にとってはそれだけ重要な位置付けだったのでしょう。

最初に引用したとおり、漱石は山房の中から外を見た風景を記しています。
それを前提にしてみてみると、漱石山房記念館の再現展示は俄然大きな意味を持ってきます。
そう、皆さんは『硝子戸の中』の漱石と同じ視点を感じることができるのです。
そしてこの「硝子戸」、実際にはどのようなものだったのか、
皆さんイメージできますか?

ここで言われている「硝子戸」は、
書斎を取り囲むように施された回廊の周りにある雨戸のようなものです。
ガラスを使っているので雨戸にしては心もとない気もしますが、
閉めたままでも外の様子を見られることや光を採り入れることが優先されたのでしょうか。

ベランダとも縁側とも言えるような回廊を、南・東・北の三方から「硝子戸」で囲むような構造になっていて、
「硝子戸」を収納できる戸袋が三方ともに取り付けられています。

この「硝子戸」によって、
漱石は「硝子戸の外」の世界との隔たりや関わりを感じていたわけです。
山房の建物や植栽は空襲で焼失してしまいましたが、
現在「硝子戸の外」には「芭蕉」や「梅もどき」が植えられています。


画面左;芭蕉、画面中央;梅もどき
漱石山房記念館では、令和5年10月15日まで
《通常展》テーマ展示「『硝子戸の中』と漱石のみた東京」を開催しています。
『硝子戸の中』の作品を読んで、再現された漱石山房を訪ねたり、
早稲田や神楽坂のまちを歩いてみたりすると、
漱石の視点とシンクロして新たな気づきがあるかもしれません。

テーマ:漱石について    2023年8月18日
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