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復刊!『法城を護る人々』と松岡譲
夏目漱石の門下生で、漱石の長女筆子と結婚した松岡譲(1891-1969)の代表作『法城を護る人々』が
昨年の11月15日に京都の出版社法蔵館より上中下の文庫本として復刊されました。
松岡譲は、明治24(1891)年、新潟県長岡市の真宗大谷派の松岡山本覚寺の長男として生まれました。
当然のことながら将来、寺を継ぐことになっていたのですが、松岡はそれに反発。
文学者の道を志します。
大正4(1915)年12月、東大の同窓生 久米正雄・芥川龍之介の紹介で
漱石山房の木曜会に出入りするようになり、翌大正5(1916)年2月、
芥川らと第四次『新思潮』を創刊したことは皆様ご存知の通り。
「法城を護る人々」はそのような松岡譲の自伝的小説であり、
今回の法蔵館文庫本は、昭和56(1981)年に刊行された『法城を護る人々』上中下(法蔵館)を底本としています。
もともと大正6(1917)年11月1日に『新小説』誌上に発表された
短篇の「法城を護る人々」を長編小説に改作し(それに伴い、短篇は「護法の家」と改称)、
発表したのが、『法城を護る人々』全3巻(第一書房、大正12~昭和元年)です。
実は、現在開催中の《通常展》「夏目漱石と漱石山房 其の二」(4月20日まで)では、
この松岡譲「法城を護る人々」に関する資料を何点か展示しています。
今回はそのなかから、芥川龍之介が松岡に宛てたはがき(「松岡・半藤家資料」)を紹介します。
大正6(1917)年10月25日、「法城を護る人々」の掲載にも奔走したらしい芥川は、
次の一文を記しています。
「早く法城を守る人々の顏が見たいな、ボクにあの小説を書かせればこんな挿画をかくよ」
芥川が挿画として提案したスケッチ(いささかキリスト教的ですが、
天空に届かんとする堅固な塔というイメージでしょうか)がなかなか上手です。
芥川も松岡作品が仏教界へ与える衝撃を期待している節が窺えます。
松岡自身、本作は1か月そこそこで書き上げた苦心作でもあり、
自伝的内容もあって本作への思い入れはひとしおのものがあったはずです。
今回の復刊も、松岡が生きていれば大変喜んだに違いありません。
もっとも、自分の作品には常に手を入れながら、
旧稿を発表する度に改訂を重ねていく松岡のことですから、
あるいは中身が相当変わった『法城』が刊行されていたかもしれませんが。
(学芸員 今野慶信)テーマ:漱石について 2025年1月25日