吾輩ブログ 一覧
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書籍の販売を開始します
このたび書籍の販売を開始することになりました。
新潮文庫、岩波文庫の夏目漱石の7作品
(坊っちゃん・草枕・三四郎・それから・こころ・道草・硝子戸の中)を販売します。
今後も取り扱い作品を増やしていく予定です。
新潮文庫 坊っちゃん 草枕 三四郎 岩波文庫 こころ 道草 硝子戸の中
館内展示を観覧後、「改めて漱石の作品が読みたくなった」との声も多くの方からいただきます。
読書の秋に、漱石の本を読んでみませんか?
テーマ:お知らせ 2018年9月29日 -
職場体験・・中学生の書いた「記念館の見どころ」①
9月4日(火)~6日(木)、新宿区立落合第二中学校の中学2年生が職場体験に来ました。
受付など色々な仕事を体験し、ブログ記事「記念館の見どころ」を作成しました。ここでご紹介いたします。
「猫塚」(「猫の墓」)は、隣接する新宿区立漱石公園にあります。
テーマ:その他 2018年9月28日 -
開館1周年を迎えました
本日、9月24日、漱石山房記念館は開館1周年を迎えました。
当館は、地下1階図書室の図書も含め、所蔵資料の多くは寄贈された資料です。また開館前から基金賛同者の方々のご協力もいただいております。
多くの方々のご支援とご協力に心より感謝申し上げます。
これら資料を活用しながら、これからも皆さまに親しまれる記念館を目指して努力していく所存です。
現在、漱石山房記念館開館1周年 松岡・半藤家資料受贈記念特別展「漱石追慕のかたち―漱石、筆子、そして松岡譲」を開催しています。
皆様のご来館をお待ちしています。
テーマ:お知らせ 2018年9月24日 -
記念メダル、好評発売中です
8月から販売を始めた記念メダルですが、ご来館のお客様から好評をいただいています。
2種類のデザインで、各500円で販売しています。
表の漱石の顔のイラストと
漱石の肖像写真を比べてみると・・・
いずれも、大正元年9月に撮影された写真です。
左は千円札に使われた肖像写真、右は左腕に喪章をつけた漱石です。
メダルのイラストはふんわりとしたデザインで、見ていると心が和む感じがします。
ご来館の記念にいかがでしょうか?
テーマ:お知らせ 2018年9月21日 -
正岡子規 -漱石を取り巻く人々-
本日9月19日は、俳人・正岡子規の命日(へちま忌)です。
今回は、漱石と子規が交流を始めた頃についてご紹介します。
正岡子規(本名・常規) 俳人・歌人
慶応3年(1867)9月17日(新暦10月14日)~明治35年(1902)9月19日伊予国温泉郡藤原新町(現在の愛媛県松山市)出身。
帝国大学中退後、日本新聞社に入社。「獺祭書屋俳話」などの俳論を発表。明治28年(1895)、日清戦争の従軍記者となるが、病を得て、帰途松山の漱石の仮寓「愚陀佛庵」に52日間身を寄せた。『ホトトギス』や根岸短歌会を主宰。短歌・俳句の革新運動を推進し、写生文という表現スタイルを確立。没後、『竹の里歌』『仰臥漫録』『筆まかせ』などが刊行された。
漱石と子規との親交は、ふたりが第一高等中学校本科に進学してしばらくしてから、明治22年(1889)1月頃より始まります。同年5月、子規は突然喀血し、病床にありながら50句ほどの俳句を作り、その際に中国の故事「鳴いて血を吐くほととぎす」から「ほととぎす」を意味する「子規」と号しました。
同じ頃、子規は自作の文集「七艸集」(ななくさしゅう)を完成させ、友人に回覧していました。金之助は病床の子規を見舞い、「七艸集」に批評をつけて返却する際に初めて「漱石」の号を使用します。同い年の「金之助」と「常規」は、ほぼ同時期に自らを「漱石」「子規」と号したのでした。
漱石山房記念館の通常展示では、正岡子規をはじめ、漱石に関係する人物51名を「漱石を取り巻く人々」としてパネルでご紹介しています。
テーマ:お知らせ 2018年9月19日 -
漱石山房記念館切手と絵葉書セットを販売します
当館のミュージアムショップでは、「漱石山房記念館開館記念切手シート」を販売中で、ご好評をいただいております。
この度、新たに「漱石山房記念館切手と絵葉書セット」を販売開始いたします。
新たなデザインの切手シートと、2枚の絵葉書がセットになっています。 セット価格は1500円(税込)です。
今回は、再現書斎の大きな写真と、様々なデザインの62円切手5枚・82円切手5枚がシートになっています。
絵葉書は、当記念館の外観写真が1枚、当館所蔵の「漢詩扇面軸(高梧能宿露 疎竹不蔵秋 静坐団蒲上 寥寥似在舟)」が1枚の計2枚がセットになっています。
いずれも新宿区のオリジナル商品で、当館での限定販売です。
ご来館の記念として、この切手と葉書で身近な方にお便りを書いてみてはいかがでしょうか?
テーマ:お知らせ 2018年9月16日 -
9月13日は猫の命日
当館所蔵の「猫の死亡通知」と称される葉書が松根東洋城(豊次郎)宛てに送られたのは 明治41(1908)年9月14日のことでした。
松根東洋城は、俳人で愛媛県尋常中学校で漱石の教え子となり、俳句を通じて交流した人物です。
葉書に墨で黒枠を作り、『吾輩は猫である』のモデルとなった猫が 「物置のヘツツイの上にて逝去致候」と伝えています。
「埋葬の義は(中略)裏の庭先にて執行仕候。但主人「三四郎」執筆中につき御会葬には及び不申候」と いった文面に漱石のユーモアを感じます。
東洋城のほか、小宮豊隆・鈴木三重吉・野上豊一郎にあてた計4通が知られています。
この葉書が、9月21日(金)まで当館2階展示室で展示中です。ご来館ご観覧お待ちしております。
夏目金之助(漱石) 松根豊次郎(東洋城)あて葉書
明治41(1908)年9月14日付
テーマ:お知らせ 2018年9月10日 -
9月21日までの所蔵資料公開
《通常展》テーマ展示「夏目漱石」を知らないキミたちへが
ご好評のうちに終了いたしました。
9月22日(土)からは開館1周年記念の特別展を開催いたします。
9月21日(金)までは次回展示準備のため展示室は少しせまくなりますが、
以下のものを展示しております。
・夏目金之助 松根東洋城あてはがき(猫の死亡通知) 明治41年(1908)9月14日
※実物展示は9月14日から(9月11日~13日はレプリカ)
・『吾輩は猫である』初版本
・夏目金之助 立花銑三郎あて書簡 明治26年(1893)7月12日
漱石が大学院生だった頃、学習院嘱託教授だった立花あてに出した書簡。学習院出講の周旋を依頼しています。
・夏目金之助 立花銑三郎あて書簡 明治26年(1893)8月15日
・夏目金之助肖像写真 明治27年(1894)4月
夏目金之助が大学院生だった頃に立花銑三郎に贈ったもの
立花銑三郎は帝国大学時代の学友で教育学・哲学研究者です。
親しい友人だったらしく、手紙にはくだけた内容の近況も書かれています。
是非ご覧ください。
テーマ:お知らせ 2018年9月9日