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吾輩ブログ 一覧

  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート2 漱石をもっと知りたくなる、漱石公園と図書室へ

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    漱石公園と、漱石山房記念館地下1階の図書室についてご紹介します。
    漱石公園は、漱石山房記念館を包むように広がっています。
    記念館前にある漱石の胸像のすぐそばが公園の入り口です。
    公園の開園時間は、記念館より2時間早い朝8時です。
    朝、少し早くに公園を訪れ、記念館の開館を待ちながら散策してみるのもおすすめです。

    公園の植物の中には、漱石の作品や漱石に関連する著作に出てくるものも。
    「葉鶏頭(はげいとう)」や「梅擬(うめもどき)」などいくつかには、
    解説板に作品の一節が記されています。

    公園中央あたりにあるのは、「猫の墓(猫塚)」です。
    夏目家で飼われていた動物を供養するためにつくられましたが、
    空襲で損壊し、その残欠を利用して再興されたものです。

    また、入口から正面に見える「道草庵」の中には、
    「漱石山房に集った人々」、「牛込に住んだ文学者たち」などの解説パネルも置かれています。

    こうしたものを見ながら散策していると、
    もっと漱石の作品を読みたい、漱石のことを知りたいと思えてくるのではないでしょうか。
    開館時間になったら、地下1階の図書室へ。
    図書室には、漱石の作品や、研究書などの関連図書が約3500冊あります。

    公園で見た植物が出てくる本や、漱石山房を訪れた人々の著作も置かれています。
    そのほかにも、漱石作品の中でもホラーを感じるものを中心に組まれたアンソロジーや、
    絵本などもあり、様々な切り口で漱石を味わうことができます。
    また、漱石に縁のある人々、同じ時代を生きた人々の著作など、
    漱石を通して新しい図書に出会える場所でもあります。
    (博物館実習生:小松)

    テーマ:その他    
  • 博物館実習生による漱石山房記念館レポート1 夢見る若者 集いの場所

    新宿区立新宿歴史博物館では、
    学芸員資格の取得を目指す博物館実習生を受け入れています。
    令和3年度も約1ヶ月間の博物館実習が行われ、
    新宿歴史博物館内だけでなく、漱石山房記念館でも実習を行いました。
    実習生による漱石山房記念館のレポートをお届けします。

    近代日本文学の作家として活躍を収めた夏目漱石。
    「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」など名だたる作品を残しました。
    そんな彼には多くの門下生がおり、愛されていました。

    皆さんは「木曜会」をご存知でしょうか。
    漱石を中心に、多くの門下生たちが集まって行われた議論の場です。
    作家として名高い漱石ですが、東京帝国大学(現在の東京大学)で教鞭を執っており、
    優れた教育者でもありました。
    その為、作家として憧れを抱く若者たちだけではなく、
    教師としての教え子達も多く集いました。
    漱石に会いにくる門下生や来客は次第に多くなり、
    週に一度、木曜日の午後を面会日と定めたことから、「木曜会」と呼ばれました。
    漱石の晩年は鈴木三重吉、松根東洋城に代わって
    「蜘蛛の糸」でも有名な芥川龍之介、久米正雄たち新世代が木曜会に出入りするようになりました。

    「古参のメンバーと違って、彼らは遠慮せずに漱石と議論し、漱石もまたそれを喜ぶようだった。
    彼らに言わせたいだけ言わせた上で、最終的には漱石が勝つのである。」
    (十川信介著『夏目漱石』岩波新書、2016年)
    と、なんとも漱石先生の偉大さがうかがえる様な師弟関係を思わされるエピソードも残されています。

    芥川龍之介写真

    芥川龍之介
    (国立国会図書館ウェブサイトより)

    漱石山房記念館には、漱石の書斎と客間が再現展示されています。
    展示室からは、この書斎で創作活動をする漱石を前に、多くの門下生たちが客間に集う当時の様子も想像できます。

    漱石山房記念館再現展示室

    (博物館実習生:佐藤)

    テーマ:その他    
  • 漱石と印税

    今回は漱石と印税についてお話しさせていただきます。
    まず、漱石が日本で初めて「印税」を定着させた作家ということを
    ご存じでしょうか?
    漱石以前の作家は本を出版しても原稿料のみで、
    いくら増刷されても追加収入はありませんでした。
    雑誌『ホトトギス』に掲載された
    「吾輩は猫である」で人気作家の仲間入りをした漱石でも、
    原稿料は原稿1枚50銭と
    作家だけで食べていくことは難しい時代でした。
    そこで漱石は英国留学の経験から、
    初版一割五分、二版以降二割、六版以降三割(後に四版以降三割、初版は一千部)
    の印税契約を出版社と取り交わし、
    日本における「印税」の普及に貢献しました。

    松岡譲著『漱石の印税帖』(文春文庫、2017年)

    それでは、漱石の生前の印税収入はどれくらいだったのでしょうか?
    漱石の娘婿・松岡譲著「漱石の印税帖」(『文春文庫
    漱石の印税帖―娘婿がみた素顔の文豪』文藝春秋、2017年)には、
    「全部引っくるめて二万五千円から二万七千円程度の
    ものではなかったかと想像出来る。」
    「法外な高率と言われた印税をもってしても、
    年に平均すると二千円前後」
    とあります。
    東京帝国大学講師を辞めて朝日新聞入社後は
    月二百円+賞与で年三千円あまりの給与所得がありましたので、
    意外にも平均すると印税よりも給与の方が高かったようです。

    テーマ:漱石について    
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