吾輩ブログ 一覧
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ボランティアレポート10 朗読会「芥川龍之介作品を読む」を終えて ~「泣きました…」のわけ~
漱石山房記念館では、ボランティアガイドが漱石の書斎の再現展示室の展示解説を行っています。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、しばらく休止していましたが、7月から活動を再開しています。
この吾輩ブログではボランティアガイドによるレポートをお届けしてまいります。開館5周年記念「夏目漱石と芥川龍之介」特別展にちなみ、11月12日(土)漱石山房記念館講座室で、
ふみのしおり(新宿歴史博物館ボランティアガイド朗読の会)による朗読会が開催されました。
会場はほぼ満席。メンバーが「漱石山房の秋」「鼻」「蜘蛛の糸」を、そして私は「蜜柑」を朗読しました。閉会直後のことです。一人の若い女性が近寄って来て「「蜜柑」泣きました」と言われました。
私はこれまで「良かった」「感動しました」と言われることはありましたが「泣かれた」のは初めて。
舞い上がるような気持ちになりました。
少しおぼつかない日本語でしたので「学生さんですか?」と尋ねると
「先月、中国から来た留学生です」とのこと。
そして、「芥川龍之介は人気があり、中国語に翻訳された作品を子供のころから読んでいました」
と話してくださいました。
芥川龍之介の世界的な人気を改めて知ると同時に、
この日もこうして文化の交流がなされていたことを実感しました。彼女のことを思い出しながら帰りました。
『蜜柑』は奉公先に向かう少女が、走る汽車の窓から沿線で見送る3人の弟たちに、
懐から取り出した蜜柑を投げて労に報い、別れを告げる物語です。
私の朗読した「蜜柑」が、多少なりとも彼女を感動させたのは相違ありません。
直接、私に伝えて下さったことがその表れでしょう。朗読者冥利に尽きます。
しかしふと「泣いたのは彼女の体験が「蜜柑」の少女に重なったからではないのか」という、
もう一つの思いにあたりました。
ひと月前の中国での旅立ちの日、家を出る玄関で、故郷の駅で、あるいは空港のロビーで、
彼女もまた家族や友人に向かって手を振ったのではないでしょうか。
きっと不安も感謝もあったと思います。
そのシーンがよみがえり、「泣きました……」と言ってくださったのかもしれません。
母国を離れ、早稲田大学で日本文学を学び始めた彼女。
これからの日本での生活が、温かくそして心地良い日々であって欲しいと願わずにはいられませんでした。(漱石山房ボランティア:岩田理加子)
<ふみのしおり活動予定>
・令和5年2月4日(土)14時~「北新宿図書館朗読会 夢十夜をすべて」 新宿区立北新宿図書館
・令和5年2月9日(木)14時~「夏目漱石誕生記念 2月9日朗読会」 新宿区立漱石山房記念館
・令和5年3月4日(土)14時~「第11回ひなまつり朗読会 大人を休んで童心にかえりませんか」 同上
※イベントの詳細は後日、各施設のWebサイト等でお知らせします。テーマ:その他 2022年11月30日 -
漱石の硯
令和4(2022)年10月16日付日本経済新聞の文化欄に、
詩人の高橋順子さんによる「漱石の硯」という記事が掲載されました。
高橋さんの叔母である石津信子さんが、
夏目漱石の長男・純一氏宅に家政婦として勤めていた際に譲り受けた、
漱石の遺品の硯についての文章です。
叔母の信子さんの思い出話とともに硯の来歴が詳しく語られており、
現在は漱石山房記念館に収蔵されていることも紹介されていました。この新聞記事をお読みになった方から、
漱石山房記念館にお問合せを多くいただいています。
当館には漱石の書斎の再現展示室があり、
文房具をはじめとした漱石の身の回りの品が再現されています。
「再現展示」ですので、書斎内の展示品は全てレプリカで、
硯もありますが、これは今回の新聞記事で紹介されたものではありません。今回の新聞記事で紹介された硯は、
昭和20(1945)年5月、山の手空襲により漱石山房が焼失した後、
焼け跡から出土したものの1つです。
添書の内容から「蓮の花の上に蛙が乗っていた」意匠が施されていたようですが、
戦災による欠損のため、現在は確認できない状態です。写真をご覧いただくと、確かに硯の縁に蓮の茎のような部分があり、
先の方が折れて欠損しているような様子が見られます。
この欠損した部分に蓮の花と蛙がついていたのでしょうか。この硯は常設での展示は行っておりませんが、
令和4(2022)年12月1日(木)~令和5(2023)年4月9日(日)に開催の
《通常展》テーマ展示 ああ漱石山房 で展示する予定です。
ご興味を持たれた方はぜひこの機会に、実物をご覧いただければと思います。テーマ:漱石について 2022年11月22日